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戦争へと向かう今、瀬尾夏美 氏と「あたりまえの反戦」を考える|泊まれる古本屋山猫堂「mujoh motel」in 岩手県陸前高田市

反戦や改憲反対の声が、そのうねりが全国各地で起き、勢いを増している。2026年4月26日に泊まれる古本屋山猫堂(岩手県陸前高田市)において、瀬尾夏美 氏をゲストに迎えて行われたmujoh motel(ムジョーモーテル)ーー「あたりまえの反戦」もまた、そうした声の一つだった。

この場所から、あたりまえに反戦の声をあげたい。
これからはいくつかの具体的な市民運動につなげる。
陸前高田でのデモを計画している。被災地と呼ばれるここでみんなと立ちたい。
市議会への請願もする。地方議会と地方政治に自分ごとになってもらう。
戦争の記憶をみんなで読む場も継続的に開く。

すべて抑止力として。弱さとちっぽけさの連帯は強い。

泊まれる古本屋山猫堂(Instagram)

本イベントについては、先日以下のnoteにて速報を公開している。5月3日に憲法記念日を迎え、また全国各地で反戦や改憲反対の声が日に日に高まる状況を踏まえ、mujoh motelーー「あたりまえの反戦」について改めて記録しておこうと思う。可能な限り、以下のnoteを読んだ上で、読み進め欲しい。


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「あたりまえの反戦」を知り、反戦に対してできることは何かを考える|mujoh motel|泊まれる古本屋山猫堂 in 岩手県陸前高田市

一般社団法人NOOK 代表理事であり、アーティストの瀬尾夏美 氏が戦争について触れたのは、同氏が東日本大震災をきっかけに陸前高田市に移住し、地域住民の話を聴いていく中で、戦争について語る声を多く見聞きするようになったためとされる。

最初は津波の後の復興・復旧していく過程のお話を聴いていて、被災の話ももちろん聞くし、街が変わっていく様子とか、街づくりに対する不安とかも聞いてたんですけど、そういう話を聴いていく中で、いつ頃からかーーでも最初からそういう語りはあったと思うんですけどーー『あの空襲とかああいう戦争から立ち直ったんだから、町は復活します』みたいな言い方って結構あった。

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

戦争を乗り越えてきた土地だから、東日本大震災による津波被害からも街は立ち直る。そうした形で、戦争に触れる声がちらほらと聞こえてきたようだ。一方で、そうした声には特徴があったとされる。

いつも、こういう戦争の話っていうのは、『とはいえ、ここは中心じゃないので』と話されて、『でもここまで端っこにいても、そうやって戦争協力したんだよ』って話と、『軍国主義少年だったんだよ』みたいな話と、もう一方で、『もっと大変だったのは、東京の空襲にあった人とか、広島、長崎で原爆にあった人たちや南方に行った人たちだから。自分たちは端っこなんだ』みたいな話をされて、誰が中心なんだ問題ってのも津波の話でも常にあって。
(中略)
戦争も東北の山奥で聞く価値あるかもとか、なんか遠い場所で聞く価値あるかもって思うようになったのが最初のきっかけでした。

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

東日本大震災後にも数多くの人々から語られた言葉だけれど、『もっと大変な人がいる』『自分は中心じゃない』といった、謙遜とも異なる他者への配慮のような言葉が、戦争について語る人々の口からいつも出たようだ。

瀬尾 氏は、そのことに気付いたことで、歴史などで語られる中心地から離れた地域で戦争について話を聴く意義があるのでないかと考え、戦争に関する語りを集め始めたとされる。

なぜ「あたりまえの反戦」なのか

瀬尾 氏は、戦争に関する話を聴くようになった理由について説明した後、今回、泊まれる古本屋山猫堂のイベントーーmujoh motelで「あたりまえの反戦」をテーマにした理由について説明した。

どうして反戦ですか? と言われても、当たり前でないかと思ったので、このタイトルをつけました。

どうしてというか、戦争は怖いとか、戦争はやっちゃだめとか、戦争嫌いだみたいな感覚をなぜこんなに強く持っているんだろうって思った時に、私はやはり祖父母と暮らしてたのが大きいかなって思ったんですね。

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

戦中世代の祖父母ーー南方での戦争から帰還した祖父にまつわるエピソードとともに、その二人との生活において形成された想い、感覚が、反戦への意識を自然と植え付けたのでないか。瀬尾 氏の語る理由を聴きながら、そんな推察が起こる。

瀬尾 氏は続いて、山猫堂を訪れる前に立ち寄った戦争に関する資料館について参加者たちに伝えた。岩手県平泉町(太平洋戦史館)、同県北上市(北上平和祈念館)にある資料館で見聞きした話について、詳細な説明が話される。参加者は、未知の情報に耳を傾けた。

地域の資料館まで来ると、なんとか君なんとかさんみたいな形で、飯盒に削られた名前とかにも住所がついていたりして、ここまで来ると本当に遺された家族たちが葬式できなかったこととか、そういうことがすごく伝わってくる。ローカルに考えていくのがすごい良いと感じました

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

ローカルに存在する戦争にまつわる資料館ほど生々しい情報ーーそこに存在していた一人一人の人間の命が刻まれているのが汲み取れる。ただの知識としての記録ではなく、一人の人間が生きた軌跡が知られる場所としてのローカルの資料館。瀬尾 氏の話を通じて、参加者は岩手県内、地域に存在する資料館の価値に気付かされる。

小原麗子さんという、最近注目されているおばあさんがいるんですけど、彼女は戦争で姉の夫を亡くしていて、それで1人で子供を育てている姉を見て、『こんなくだらない男たちがやっている戦争はもうダメだ』みたいな形でフェミニズムの先駆けのような15人居た女たちの道具とそこにある構造的な問題、家父長制の問題とか、農村に生まれた女たちの苦労を勉強する勉強会をずっとやってて、おなごっていう名前の詩集を未だに編んでいる。

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

また瀬尾 氏は、ローカルの資料館だけでなく、ローカルで戦争について勉強する機会や制作活動をしている小原麗子 氏の存在に触れ、戦争というものについて強い意志を持って取り組んでいる力強い存在を教えてくれた。

瀬尾 氏の話に続き、山猫堂の木津谷 氏が、今回mujoh motelにおいて、瀬尾 氏をゲストに迎えて戦争・反戦をテーマにした理由について説明し、オーナーの越戸 氏が頷いた。

この場所で本屋をやる時、イベントをやる時、どんな場を作りたいかっていう時、何か考える仲間を創りたいというのが、一つの目標としてずっとあったんですよね。

考える仲間っていうのは、社会に対してだったりとかーー世の中、色々複雑で、今も色々な問題があるけど、3年前も色々な問題が、その間もずっと色々な問題があってーーそれについて思考できる、一緒に考えられる種を持ってる人がたくさんいるから、その種まきをする。

そういう種をちょっとずつ育てていって、考えられる仲間を増やすにはどうしたらいいだろうっていうのをずっと考えながら山猫堂をやっていて、特にここ数ヶ月は、戦争みたいなものがリアルに、身近に信じられないニュースがあまりにも多すぎて、リアルに感じられるようになってきた時に、どういう風に発信したり、声を上げていったりするかっていうのを、もうほぼ毎日ぐらい、ニュースを聞いては話して、ニュースを聞いては話してみたいなことを繰り返していたっていう背景があって、その中で今回瀬尾さんが来て、ゲストで話すなら、今の私たちとしてもこのテーマしかないなっていう風に思ったというのがあります。

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

それはどうして陸前高田市で山猫堂をやるのかも含んだ原初の動機のような内容で、加えて昨今の社会情勢ーーあちらこちらで戦争が起き、悲惨な惨劇が繰り返される中で、繰り返し繰り返し議論を重ねた結果として生み出された切なる願いが込められたような内容だった。

ロシア-ウクライナ戦争を契機に変わった”語り”についての気付き

瀬尾 氏は、ロシアとウクライナによる戦争が始まって以降、普段話を聴いていた方々の口から話される内容に変化があったと話す。

それまでは『空襲怖かった』とか被害の話とかあったんですけど。攻め入る。自分たちはどっちなんだろうみたいな。ロシアが攻めてきたというのと、一方でウクライナの子供たちが地下鉄に逃れて、あそこで避難している姿を自分に重ねることもあれば、でも侵攻したみたいなことで、日本ってどっちだったんだろうっていう話をし始めたりとか。

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

年を重ね、現実の戦争を改めて目の当たりにしたとき、過去の自分たちがどちらの側に立っていたのか、その疑問を口にする方々が見られるようになったとされる。それは、当事者だから発せられる意見と当事者でないから発せられる意見との差異を表しているようで、興味深い内容に感じられた。

何より、時間の経過や感情の変化によって、話せないこと、話せることが刻々と変わって行く。その人間の淡さが、東日本大震災後にも見られた様子と重なり、人間の奥底にある真理のようなものを覗き見た想いにさせられる。

戦争が近づいてきてるとか、そういう状況だと仮定したら、僕らの今の時間っていうのもいつかの語りになって次に届けていく。

個人的には、もうその段階にあるような気がしてて、それが近づいてきた時に、そういう空気になってきた時に、僕らは何を考えていたりだとか、何を話していたりだとか、何を言えなかったみたいなこととかを含めて、僕らがそのループの中にもういるっていう感覚がめちゃめちゃ強くて、だからそういう観点で、残していかなきゃないっていうか、そういう気持ちになっている。

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

越戸 氏は、瀬尾 氏の話を踏まえて、今こうして互いに話し合っている時間、考えている時間、そういったものを次の世代へと残していく段階にあり、そうした残す行為をする必要性について意識し始めている点について語る。

僕みたいに 40歳とかの世代。

瀬尾さんとか、あのとき若くして飛び込んできた世代っていうのが、複雑だったり、人の死が絡んでそれっていうのが解きほぐせない状態で街、社会の再構築みたいなことに続いていくっていうことに対して、無自覚すぎたんじゃないかなっていう感覚を僕は持っていて、そのある種の震災的な悲劇的なストーリーであったりだとか。人が頑張って立ち上がる姿みたいなこととか。
そこに飛び込んでくる若者みたいなストーリーっていうのがあるんだけど、単純化しすぎて、そういう複雑なことに向き合わなすぎて、それが僕は今の状態とリンクしている。

こういう社会情勢が不安定な時とかに同世代があんまり声をあげないとか。逆に自分の立場みたいなこととかで声を上げづらいみたいなこととかっていうのを空気感としてすごい感じてて、そこに自覚的にいなきゃって思っちゃった。

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

加えて、戦争が続き、社会の状況が目まぐるしく悪い方向へと進んでいく中、声が上がって来ない空気を感じている点に触れ、そうした点について自覚的でいる必要を感じていると説明する。その後、声が上がってこない無責任さを感じていることが加えられた。

政治の話と生活の話と。震災の後の復興の話も政治と結びついていてっていう、その繋がりを感じるっていうのが、多分感じられてる人の母数がすごい少ないんじゃないかなっていう感覚が私は結構ある

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

それに対して、戦争と東日本大震災。両者の話は地続きにあるはずなのに、その繋がりを感じられている人々が少ないのでないか。木津谷 氏が自身の感覚を語る。越戸 氏が、そういった話を毎日のように交わしていると継いだ。

記憶継承は政治への抑止力になる

木津谷 氏が瀬尾 氏の著作の内容を踏まえて、記憶継承が日本特有の文化でないかと書かれている点について、瀬尾 氏に説明を求めた。

私、陸前高田市で記憶継承の映画を作って、「二重の街」というの作ったんですけど。それを上映するということで、釜山の相手の方と打合せをしていたら、何がテーマですか? 

記憶継承ですね。何ですか?それは?言われて、考えたことないって言われたんですね。

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

韓国で記憶継承とは何かと問われたエピソードを瀬尾 氏は語り、続けて台湾の友人とも同様のやり取りがあったと答えた。

記録継承。ある種、積極的かはわからないけど、でも伝えてきた。末端にいる人はこうなるぞということ。原爆で被曝して、日本被団協がノーベル賞を取ったと思うんだけど、それは一つの抑止になりうるっていうこと、脅威になりうる、権力側からすれば。

こういう目に一番末端にいる人たちこそが遭うんだってことを市民が知っているっていうことが、一つの抑止力になるんだっていう風に思ってみる。私は「あたり前の反戦」っていう超嫌だって気持ちを持ってるっていうのは、そういう空間があったから。

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

続けて、瀬尾 氏は”記憶継承”が権力を有している人々に対する抑止力になり得ると指摘する。戦争が起きたとき、末端にいる人々ーー民衆が、どのような被害を受けるのか、辛い目に遭うのか、それを知っていることが、権力側にとって脅威になる。無知ではない。それが力になる。

”記憶継承”という何気ない行為が、過去の人々の切なる願いの連なりが、未来の我々民衆の力となり、権力の暴走を食い止める力になる。それは、我々今を生きる人々を幸福にするための、過去の人々による贈り物なのかもしれない。そんな気持ちになる言葉だった。

汽水空港の挑戦ーー誰もができる平和への取り組み

後半は、参加者と言葉を交わす時間となった。とりわけ印象深かったのは、宮城県気仙沼市の市長選挙・市議会議員選挙の話から広がり、木津谷 氏が語った内容だった。

汽水空港っていう本屋さんが鳥取にあるんですけど、店主が市議になった。住んでいるところの市議になって、その人がこないだ投稿であげてて、『すごいなるほど』って思ったのは、市議の方に憲法の改正反対、反戦のメッセージを市議の人に話して、その人と一緒に書類を作ってもらって、議会で話してもらう。『議会にあげてもらうっていうのをやりませんか』という呼びかけ。

それが色々なところで起これば、色々な地域の議会で、そういうのが出たよっていうことになる。少なくともその市の議会の中で話されているっていうのが、小さいけど抑止力になる。

『知り合いに1人市議がいれば、議員を捕まえればできることだからやってみてください』みたいなことを言ってて、そういう意味で、市議会みたいな、身近なところの政治っていうのはすごい大事だなって思いました。

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

『市町村議会議員は、何をやっているのか分からない。何もしていないのではないか』といった話がよく交わされる。一方で、身近な政治家だからこそ、民衆にとって頼みできる面もある。

木津谷 氏が説明した汽水空港の提案は、これまで多くの人々がやれたけれど考えもしなかった、本来的な意味での地方からの政治を実現する手段だった。そしてそれは、小さな一人一人の力を大きな国に届ける希望のような話に思えた。

私たちが大学生のときはまだ勢いで来た人がいっぱいいた。今は『僕が行っていいのか』っていうのを SNS上で悩みまくって誰も来ないみたいな問題がある。

行けない人が多すぎるから、ボランティア準備室みたいな形でとりあえず1 回集まってみんなで喋って行けるように 5人組みとかにして車で行くみたいな。

弱いが集まって喋った方がいいっていうのが本当にせめてもの抵抗だと思っていて。1人でニュースを見たりしてると難しそうすぎて喋る気がなくなったり、力がでかすぎてもう嫌になっちゃうことが本当に多い気がして、集まってそういう気持ち持ってる人いっぱいいるってことをやっぱ思わないとすぐ負けちゃうっていう感じがする

mujoh motelーー「あたりまえの反戦」

小さな一人一人の力でも、集めれば大きな力に抗することができる。そうした話は、瀬尾 氏が最後に話した一人では躊躇って行動できない人々も、集まれば行動できるようになるといった話に通じる。

昨今の世の中は、どうにも問題が複雑化しすぎて考えることさえ嫌になりがちだ。また、権力が多層化・多様化し、対峙はおろか何か行動するのにも一人では臆してしまいやすくなった。

けれどそれは一人でいるから難しいだけだ。何人かで集まって話せば、臆していた気持ちは薄れていく。行動もえいやでできるようになる。反戦はあまりにも大きなテーマだ。

しかし昨今全国各地で多くの人々がデモに参加している様子からも分かるように、誰もが一人ではない。だから臆さずに誰もが語るべきことを語れる状況にある。

自分の言葉で語るのが難しければ、汽水空港が提案するように地方議員を頼る方法もある。語ること、記録を残すこと、想いを伝えること、社会情勢が悪化の一途を辿り、社会が歪んでいく昨今だからこそ、声を上げ、一人の人間としての存在を示し、残すことが大切である。


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