火と人、そして夏の終わりのスイカと線香花火|山猫堂で過ごす「焚き火」の夜
火と人は似ている。
漢字が似ているだけではない。吹けば消えてしまいそうなか細い種火が徐々に成長し、燃え盛る。火勢は段々と穏やかなものへと変わり、次第に収まり、そして消える。まさに一人の人間がこの世に生を受け、成長し、やがて老い衰えて亡くなるーーそんな人の一生を辿るようではないか。
人の生命を指して命の火などと表現されることがあるが、言い得て妙である。何せ、火の生はまるで人生そのものだ。その言葉がどのようにして生まれたのか筆者は知らないけれども、もしかすると火を見続けた人々が、同様に火の生に人の生を重ねて思い付いたのかもしれない。
さて今回のnoteは、そんな火を見る話を語るnoteである。岩手県陸前高田市の山猫堂で、2週間続けて行われた焚き火を囲むイベントの話だ。夏も終わろうかという時分、夏を締めくくるうたかたの夜を思い浮かべるような心持ちで読んで欲しい。
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火を囲んで語らう夏の終わり|山猫堂の「焚き火」二夜
泊まれる古本屋で知られる岩手県陸前高田市の山猫堂では、定期的に焚き火を囲む夜を提供している。火の回りに集まるのは夏の虫ではなく、近所で暮らす人々や山猫堂を訪れた旅人、焚き火を愛する人々など、顔ぶれは実に様々だ。
8月29日の夜は、翌日にイベントを控えたダンサーの荒悠平氏や外国人旅行者たちが訪れ、9月6日には外国人団体や帰省者、陸前高田自動車学校の合宿生、ブックランドさんりくの帰りに立ち寄った人々など様々な人々が訪れていた。
様々な人々が入れ替わり立ち代わり訪れ、顔ぶれが変わる一方で、人々の輪の中に焚き火が在るのは変わらなかった。もっとも火は一分とて同じ形を保たず、常に変化し続け、まるで多くの人々の注目を浴びる主人公のように、その生命の輝きで夜闇を照らし続けていた。
『焚き火は、薪のくべ方ひとつを取っても人によって違う』
レコードが奏でる音楽を背に、そんな焚き火にまつわる話が出れば、『ぶりぶりおじさん』とはしゃぐ子どもの声と戯れる歓声が飛び交う。山間にある閑静な場所で焚き火を囲んでいるとは思えないほど、賑やかな時間が過ぎていくのだ。
9月6日の焚き火では、訪れた方が持参した大きなスイカや焼いたマシュマロを肴に歓談が交わされ、終わりが迫る時分には線香花火を楽しむなど、夏と焚き火をこれ以上ないほどに愉快に過ごしながら、地方だからこそ浸れる時間を満喫した。
火勢が衰え、宵闇を感じられ、各々が帰る場所へと足を向けたときには、自然と再会を誓う言葉が飛び交った。この日初めて出会い、2時間ほど同じ台の上で燃える火を囲んだだけの間柄の人々が、再会の日を望むのだ。遥か昔、多くの人々が火を囲み、団欒の時間を過ごしてきた。
その理由を垣間見るようである。ところで、焚き火を囲む時間を提供してくれた山猫堂では、9月29日の月曜日にふたり芝居「ナゾのまじんきたる」上演を、10月11日の土曜日に「山猫堂怪談会」を予定している。詳細、申し込みは公式Instagramを参考にして欲しい。終わりに、焚き火の様子を写真とともに伝える。
写真と文章で見る山猫堂「焚き火」

























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