漱石「こころ」考察85 先生と「私」の明治45年7月30日
(画像は、新宿区立漱石山房記念館で買ったグッズです)
夏目漱石の有名小説「こころ」、大正三年(1914年)新聞連載。
この「こころ」についてたまにある解釈
・「乃木希典の殉死に感銘を受けて明治の精神に殉じた「先生」、そこから見られる夏目漱石の明治時代へのオマージュは~」「明治の精神とは~」な論に対し、私は異を唱えるべくあれこれ書いている。
既に何度か書いてはいるがもう一度、明治天皇崩御に対する「私(わたくし)」の態度を振り返る。
1、先生と明治天皇崩御
「こころ」の記載順とは逆になるが、まず小説の終盤、「先生」の明治天皇崩御に対する反応から振り返る。
時は明治45年(1912年)7月30日である。
すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました。私は明白に妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたらよかろうと調戯いました。
五十六
「(略)私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
小説「こころ」は、引用の「下 五十六」が最終章である。
その章及び一つ前の章で、「先生」は明治天皇崩御を受けてこう書いた。再度列挙
・明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がした
・最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れ
・もし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもり(なおこれは「笑談(冗談)」だと)
・古い不要な言葉(殉死)に新しい意義を盛り得た
ここだけを見れば、大正三年連載の「こころ」は、過ぎ去ってしまった明治時代へのオマージュと読める。
しかし
2、「私」と明治天皇崩御
明治の精神だ殉死だと書いてる先生に対し、「私」は明治天皇崩御に、なにも感じていない。
父親の重病のため「私」が田舎の実家に帰省している最中。
時は同じく明治45年7月30日である。
崩御の報知が伝えられた時、父はその新聞を手にして、「ああ、ああ」といった。(略)
私は黒いうすものを買うために町へ出た。(略)旗も黒いひらひらも、風のない空気のなかにだらりと下がった。私の宅の古い門の屋根は藁で葺いてあった。雨や風に打たれたりまた吹かれたりしたその藁の色はとくに変色して、薄く灰色を帯びた上に、所々の凸凹さえ眼に着いた。私はひとり門の外へ出て、黒いひらひらと、白いめりんすの地と、地のなかに染め出した赤い日の丸の色とを眺めた。それが薄汚ない屋根の藁に映るのも眺めた。(略)
私はまた一人家のなかへはいった。自分の机の置いてある所へ来て、新聞を読みながら、遠い東京の有様を想像した。
ここでの「私」の描写を列挙
・崩御の新聞を読んだ父親が「ああ、ああ」と声をもらしている様を描いておきながら、「私」のほうはなんの感想も書いていない
・「黒いうすもの~」の描写がちょっとよくわからないが、自宅門前に日の丸の旗を掲げてその先に黒い布で弔意を表現したということか。これも感慨めいたものはなく淡々と「作業」をしている感じだ
・しかもその周辺描写がまたひどい
「だらりと下がった」「古い門」
「雨や風に打たれたりし変色」「所々の凸凹」
「日の丸」が「薄汚ない屋根の藁に映る」と。
改めて読み返すと私の記憶以上に小汚い形容を並べており、驚く。崩御を知り弔意で日の丸を掲げているのにだ。
・崩御を伝える「新聞」を読みながら、「私」は父とは対照的にショックどころかなんの感想も示さない。明治天皇のことをまったく想起もしない感じで、先生のいる東京への想像に移っている。
これらが「私」の、明治天皇崩御に対する反応なのだ。
決して直接的には天皇や時代に批判的な台詞を述べてはいない。しかしその行動をみれば、明らかに作者:夏目漱石はここに仕込みを入れている。
さらに、この7月30日の「ついこの間」に、「私」は明治天皇を直接目撃している。にもかかわらず先述の反応だ。
ある大きな事が起った。それは明治天皇のご病気の報知であった。新聞紙ですぐ日本中へ知れ渡ったこの事件は、一軒の田舎家のうちに多少の曲折を経てようやく纏まろうとした私の卒業祝いを、塵のごとくに吹き払った。(略)私はついこの間の卒業式に例年の通り大学へ行幸になった陛下を憶い出したりした。
こういった「私」の一連の対応を見れば、単に若者だから天皇や時代への思い入れ・敬意が薄いという次元ではない。
とりあえずここまで。
こういった夏目漱石の天皇に対する姿勢について、また語りたい。
次回語りたいのは、下の引用2つと、「三四郎」に出て来る応神天皇らの描写、「坊っちゃん」が清和天皇の子孫であること等。
毎日新聞の来るのを待ち受けて、自分が一番先へ読んだ。それからその読みがらをわざわざ私のいる所へ持って来てくれた。
「おいご覧、今日も天子さまの事が詳しく出ている」
父は陛下のことを、つねに天子さまといっていた。
「勿体ない話だが、天子さまのご病気も、お父さんのとまあ似たものだろうな」
乃木大将の死んだ時も、父は一番さきに新聞でそれを知った。
(略)
その頃の新聞は実際田舎ものには日ごとに待ち受けられるような記事ばかりあった。
