何もかもうまくいかなかった僕が、自分とラグビーを取り戻すまで③〜日本でグラウンドに立つ〜
リーグワン・ヤクルトレビンズ戸田の河野大地です。
第1回では、何もかもうまくいかなかった時間のなかで「自分の評価は、自分で決める」と気づくまでを。
第2回では、ニュージーランドとフランスを回って、日本に還ってきてリーグワンの選手になるまでを書きました。
最終回の今回は、その僕がいま送っている毎日と、これからの話です。
朝はトラック、昼からトレーニング
僕の朝は、埼玉・戸田の事務所から始まります。
たくさんのトラックが並ぶ事務所から、東京・文京区へ向かい、資源回収の仕事をする。それが僕の平日です。
2026年の3月には、フジテレビの番組「ヒーロー〜あなたの仕事が未来を変える〜」で、この仕事とラグビーの両立を取り上げてもらいました。

前回書いたとおり、就職活動では「ラグビーを優先したい」と言った瞬間に面接官の顔が曇りました。
でも今の会社は違いました。入社するとき、社長に正直に「ラグビーがメインになってしまうんですけど」と伝えたら、「じゃあ、こういう仕事にしよう」と一緒に考えてくれたんです。
業務は昼過ぎまでに終わる形にしてもらい、週末の試合が遠方なら、移動日の金曜は休みにしてもらう。本当に理解のある会社です。
だから僕の平日は、午後がまるごとトレーニングに使えます。練習量だけなら、下手をするとプロ選手並みに確保できている。クラブ選手としては、かなり恵まれた環境だと思います。
もちろん、勤務時間を短くしてもらっているぶん、収入は減ります。正直、それが今の生活の一番の課題です。
でも、僕がこの生活を選んだ物差しは、収入ではありませんでした。「ラグビーを探究し続けられるかどうか」。その一点で選んだ道を、いま歩いています。
夜7時半、グラウンドに人が集まる
ヤクルトレビンズ戸田の練習は、平日週3回とプラス土曜日。平日は夜7時半に始まります。
僕は昼から準備できますが、チームメイトのほとんどはそうではありません。本社などでフルタイムで働いて、仕事を終えてグラウンドに駆けつける。

練習のない日に残業を回して、練習日は定時で飛び出してくる。夜10時前に練習が終わって、クラブハウスで風呂と食事を済ませたら11時半。家が遠い選手は、帰り着くのは深夜0時です。そして翌朝、また仕事に行く。
最初は本当に驚きました。
それなのにみんな、練習終わりにグラウンドからクラブハウスまでの道を、笑って、楽しそうに話しながら歩いて帰るんです。こんな人たち、いるんだ、って。
ニュージーランドでニック・イブミーが言っていた「ヤクルトはニュージーランドみたいなクラブの感じだよ」という言葉は、本当でした。
誰かにやらされているのではなく、好きだから、探究したいから、ここに集まっている。ファン感謝会を「選手で勝手にやっちゃおう」と企画してしまうようなチームです。
チームのSNSや試合写真も、同じプロップの石井清さんという選手がプレーの傍らで、しかも独学で、ほぼ全部作っている。自分の道を自分で作る人たちの集まりなんです。
僕もいま、チームリーダーのひとりを任せてもらっています。

プロップという沼
プレーの話も少しさせてください。
174cmのフランカーには需要がなかった、と第1回に書きました。あれから僕はフッカーへの転向を目指し、いまはプロップとしてプレーしています。リーグワンでは、これまでに26試合に出場しました。
体重は大学卒業のときから10キロ以上増えました。
簡単に増えたわけではありません。食事を徹底的に意識して、トレーニングを重ねて、少しずつ作ってきた身体です。
そして、プロップというポジションは、やればやるほど奥が深い。スクラムの組み方ひとつ、姿勢ひとつに理由があって、毎週のように発見があります。
今のラグビーのプロップは、ただ押すだけではなく、走れて、パスもできて、運動量で貢献することが求められます。突き詰める余地が、どこまでも広がっている。
母の保育の話を思い出すんです。
カリキュラムどおりに進めるのではなく、突き詰めればどこまでも探究できる仕事だと。プロップは、僕にとってそういうポジションです。
だから、もし試合を見に来てもらえたら、スクラムとタックルを見てほしい。コンタクトプレーが、僕の一番の強みです。いま探究していることの答え合わせを、僕は毎試合、グラウンドでやっています。
冷蔵庫の未来年表
以前、ある柔道選手の記事を読んだことがあります。
まだ世界一になっていないのに、「世界一になりました」と紙に書いて、冷蔵庫に貼っていたという話です。
僕も真似をして、書いていました。
どん底から立ち直りかけていたあの頃、「何年後、フランスに行ってました」と、過去形で。そして本当に、フランスに行ったんです。当時は行く予定すらなかった国です。
だから今も、未来のことは過去形で書いています。そのひとつが「10年後、海外移住してます」。じつは半分冗談です。ただ、残りの半分は本気で、その本気の意味はこうです。
何でもできるし、何にでもなれる。
大学を卒業した頃の僕は、「このままの自分で30歳、40歳になってしまうんじゃないか」とずっと怯えていました。でも、そうじゃなかった。
「I」に「am」がつくことも分からなかった僕が、英語で生活して、ニュージーランドの州代表の育成チームでプレーした。過去の自分がどうだったかは、未来の自分を決めない。それを僕は、身をもって知りました。
これからの目標も、冷蔵庫の年表と同じように、過去形で書いておきます。
「プロになってました」
もっとお金が欲しいからではありません。もっと高いレベルで、もっと深くまで、ラグビーを探究してみたい。仕事をしながらのクラブ選手から、ラグビーを職業にする側へ。
「特別支援学校の先生になってました」
これが最近考え始めたセカンドキャリアです。教員免許は持っています。決まったカリキュラムをこなすのではなく、一人ひとり違う子どもに合うやり方を、どこまでも探していく仕事。母から受け継いだ探究心を、いつか子どもたちのために使ってみたい。
止まない雨はない
どん底にいた頃の僕は、他人のボードに自分の価値を決めさせていました。チームに落ちたら、人生ごと弾かれた気になっていた。

いまの僕は、「クラブ選手」です。世間の物差しで見れば、「プロになれなかった選手」に見えるのかもしれません。
でも僕の物差しでは、働きながら、リーグワンの舞台で、誰よりも探究を続けている現在進行形の挑戦者です。どちらの物差しで生きるかは、自分で決めていい。
もしいま、人の評価に押し潰されそうになっている人がいたら、友人が僕にくれた言葉を、そのまま渡したいと思います。
成功は、失敗の連続の中にしかない。本当の失敗は、挑戦しないことだけ。そして、あなたの評価は、あなたが決めていい。
僕の座右の銘は「止まない雨はない」です。
あの頃の僕は、雨が止むのをただ待っていました。でも本当は、雨の中を走り出す日を、自分で決めることができる。
3回にわたって読んでいただき、ありがとうございました。グラウンドで、お会いしましょう。
