【ギリシア哲学】『カリクレス』
〖はじめに〗
ポロスがソクラテスに追い詰められ、ついに沈黙したあと、その場で黙っていられなくなった人物がいます。
それがカリクレスです。
彼は、ゴルギアスやポロスがソクラテスの問いに押し込まれていく様子に強い苛立ちを示し、議論をさらに過激で根本的な方向へ進めます。
ポロスが語っていたのは、まだ「損か得か」という現実的な話でした。
しかしカリクレスは、そこからさらに踏み込みます。
彼が問うのは、単に不正が得かどうかではありません。
節度、自制、平等といった価値そのものが、本当に正しいのか。
ここで『ゴルギアス』の議論は、一気に激しさを増していきます。

① カリクレスの立場
強い者が多くを持つのは当然である
カリクレスの立場は明快です。
・自然に従うことこそ正しい(強者が正義)
・強い者が多くを持つのは当然である
・欲望を抑えるより、それを大きく満たして生きるほうが幸福である
つまり彼は、力ある者が大きな欲望を持ち、それを実現して生きることを肯定します。
ここでいう「強い者」とは、単なる腕力の強い人ではありません。
大きな欲望を抱き、それを現実に押し通せる力を持つ者のことです。

カリクレスは欲望を抑えることに価値を認めません。
むしろ、欲望を小さくして生きるほうが
不自然だと考えます。
② カリクレスが批判するもの
法律と道徳は弱者の道具なのか
カリクレスは、法律や道徳にも鋭い疑いを向けます。
彼によれば、多くの人は本来それほど強くありません。
だからこそ、自分たちより優れた者や力ある者を抑えるために、
• 平等
• 節度
• 自制
• 身の程を守ること
を「正義」として掲げるのだ、と考えます。
つまり彼は、法律や道徳を、万人にとって普遍的に正しいものというより、弱い多数派が強い少数を縛るための仕組みとして見ているのです。
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③ カリクレスの幸福観
欲望を満たすことは本当に幸福なのか
カリクレスの思想が人を引きつけるのは、それがただ乱暴だからではありません。
そこには現実味があります。
現実の社会でも、強く求めて動く人が成功して見える場面は少なくありません。
また私たちの中にも、
• もっと手に入れたい
• 思うままに生きたい
• 欲望を押し殺したくない
という気持ちがあります。
だからこそ、彼の言葉には危うさと同時に強い魅力があります。
しかしここで、新たな問いが生まれます。
気持ちよければ、それで善いのか。
欲望を満たせば、それで幸福なのか。
快さはたしかに魅力的です。
けれども、快いことがそのまま人を善くするとは限りません。

終わりのない渇きにもつながりうるからです。
④ ソクラテスが次に問うこと
快楽と善は同じではないのではないか
ここでソクラテスは、快楽と善は同じではないのではないかと問い返します。
たとえば、甘いものを食べれば気分はよくなります。
けれども、食べすぎれば体を損ないます。
目先の快さと、本当に自分をよい状態にすることは同じではありません。
さらに、もし快楽と善が同じなら、善い人と悪い人が同じ快楽を感じるとき、その違いはどこにあるのでしょうか。

問いを深めていきます。
⑤ この場面の意味
『ゴルギアス』の議論がさらに深くなるところ
ここで問われるのは、もはや不正が得か損かではありません。
• 快楽とは何か
• 欲望は抑えるべきか
• 本当の強さとは何か
• 幸福とは何か
つまり問題は、人はどう生きるべきかという、生き方そのものへ移っていきます。
カリクレスが鋭いのは、ただ過激だからではありません。
彼は、
「強くありたい」
「思うままに生きたい」
「欲しいものを手に入れたい」
という、人が心の奥で抱えがちな願いを率直に語る人物です。
だからこの対決は今読んでも古びません。
私たちは本当に善く生きたいのか。
それとも、ただ満たされて生きたいだけなのか。
カリクレスの問いは、その違いを深く突いてきます。
議論ではソクラテスが優勢です。
ただ、カリクレスが心から納得したわけではありません。
だからここは単なる「論破」ではなく、
ソクラテスが勝ちながらも、
カリクレスの問いが読者の中に残り続ける場面として読むと、
いっそう深みが見えてきます。

