見出し画像

【ギリシア哲学】『ソクラテス派アンティステネス』

〖はじめに〗

カリクレスが「欲望を満たす強さ」を語る人物だとすれば、

アンティステネスは「欲望に支配されない強さ」を語る人物です。

同じ「強さ」でも、向いている方向は正反対でした。

前回が『多くを手に入れることは本当に幸福なのか』を問う記事だったなら、

今回はその逆側から、
『少なくても崩れない人間こそ強いのではないか』を考える記事です。

大きな荷物を抱える人は、失うことを恐れます。
けれど、少なくても歩ける人は身軽です。
彼はその身軽さのうちに自由を見ました。

① 立場

アンティステネスは、
もとは弁論に通じた人物とされます。

アンティステネスは、
はじめゴルギアスのもとで弁論を学んだとされます。

しかし後にソクラテスの影響を受け、
関心を『うまく語ること』から
『どう生きるか』へと移していったと
伝えられます。

そして彼は、『徳こそ幸福に十分である』と考えました。

ここでいう徳は、単なる行儀のよさではありません。
見栄や欲望に振り回されず、自分を保って生きる力です。

お金や名声や快楽は、あれば便利です。
けれども、それ自体が人を本当に善くする土台ではない。
アンティステネスはそう考えました。

また彼は、快楽そのものを善とは見ませんでした。
気持ちよさや豊かさは、失われうる外側のものです。
それより大切なのは、失っても崩れない内側の強さでした。

② カリクレスとの対比

この考えは、カリクレスと鮮やかな対照をなします。
カリクレスが『多くを満たせる力』を強さと見るなら、アンティステネスは『満たされなくても崩れない力』を強さと見ます。

カリクレスにとって、力とは欲望を大きく持ち、それを実現できることでした。
しかしアンティステネスは、欲望に引きずられ続ける状態そのものが、すでに不自由なのではないかと問い返しているように見えます。

彼は、幸福を外側の成功ではなく、内側のあり方に求めるソクラテスの方向を、より厳しい生活実践へと押し進めました。

つまり彼は、ソクラテスの教えを独自の厳しさで
受け継いだ継承者の一人でした。

③ キュニコス派との関係

アンティステネスは、一般にキュニコス派の創始者と呼ばれることが多い人物です。

ただし研究上は、創始者と断定するより、
キュニコス派の源流を形づくった重要な先駆者と見る立場もあります。

それでも、質素さ、自立、快楽への警戒、
世間の評価からの自由という点で、後の
キュニコス派につながることは確かです。

とくに、のちのディオゲネスへ連なる流れの出発点として、古代以来重視されてきました。

つまり彼は、ソクラテスの倫理を、
より厳しい生活実践へ押し進めた人物だと言えます。
そのため、堅いパンを食べる🍞

④ ソクラテスとの関係

印象的なのは、プラトン『パイドン』で、
ソクラテス最期の日にその場にいた人々の中に、アンティステネスの名があることです。

彼は教えを聞いただけでなく、死の直前まで取り乱さずに語るソクラテスを見た人の一人でした。

ここから先は解釈になりますが、
その姿が彼に強い印象を与え、
厳しい倫理観を支える一因になったと考えることはできるでしょう。

徳とは、きれいな言葉ではなく、生の終わりにおいても崩れないあり方である。

アンティステネスは、その実例を目の前で見たのかもしれません。

⑤ この人物のおもしろさ

アンティステネスのおもしろさは、私たちに逆向きの問いを投げるところにあります。

それがないと不安なのか。
失うと崩れるのか。
頼っているかぎり、本当に自由と言えるのか。

この思想の利点は、不安や見栄に振り回されにくくなることです。
一方で欠点は、行きすぎると暮らしの柔らかさや、人間らしいゆとりまで削りかねないことにあります。

それでも彼の問いは鋭いままです。
幸福とは、多く持つことではなく、少なくても立っていられることではないか。
アンティステネスは、そう問い返してきます。

〖まとめ〗

アンティステネスは、ソクラテスの教えを厳しい形で受け継いだ人物です。
カリクレスが『欲望を満たす強さ』を語るなら、アンティステネスは『欲望に負けない強さ』を語る。

彼の哲学が問いかけているのは、
「何を持つか」ではなく、「何がなくても崩れないか」ということです。

幸福とは、足りないものを埋め続けることではなく、足りなくても自分を失わないことなのかもしれません。

【哲学者データ】

名前 アンティステネス
生没 前445年頃–前365年頃
地域 アテナイ
学派 ソクラテス系(小ソクラテス派)
立場 キュニコス派の先駆者
師匠 (弁論面での影響)ゴルギアス
   (倫理思想の影響)ソクラテス
弟子 キュニコス派ディオゲネス

【主要概念】

アンティステネスは、徳(人格の優れたあり方)だけで幸福になることができると考えました。

財産や名誉、地位といった外的なものは幸福の条件ではなく、快楽も善そのものではないとしています。

そのため、多くを所有しなくても満ち足りて生きる「持たない強さ」を重視し、他人からの評価や世間の評判に左右されない自由な生き方を理想としました。

また、彼は善とは楽をすることではなく、徳のために困難や苦労に耐えることであると考えました。

その思想を表す言葉として、「善とは苦労である」という考えが伝えられています。

さらに、「立派に行為しながら悪しき評判が立つのは、王者らしいことだ」と語り、周囲の評価ではなく、自ら正しいと信じる徳に従って行動することこそが真に気高い生き方であると説きました。

【小話】

アテナイ人の父アンティステネス(同名)とトラキア人の母との間に生まれました。

母が外国人であったため、アテナイの完全な市民権を持たない非嫡出子(正規の市民として認められない立場)でした。

後にソクラテスの高弟となり、その死刑にも立ち会っています(著パイドン)。

ソクラテスの死後、アンティステネスは告発者であるアニュトスとメレトスに復讐したという逸話が伝えられています。

ただし、アンティステネスが自ら手を下して報復したことを示す確かな史料はありません。

伝承では、彼が両者を厳しく批判し続けた結果、アニュトスは市民から非難されて不名誉な晩年を送り、メレトスも民衆の怒りを買って殺害された、あるいは国外へ逃れたとされています。

しかし、これらはいずれも後世の逸話であり、歴史的事実として確認されているわけではありません。

【プラトンとの対立】

アンティステネスとプラトンは、ともにソクラテスの弟子でしたが、哲学的立場の違いから対立していたと伝えられています。

アンティステネスは、プラトンのイデア論を批判し、「私は馬は見えるが、馬性(うまらしさ)は見えない」という言葉で、目に見えない抽象的な本質の存在を否定しました。

また、病気のプラトンを見舞った際、嘔吐した胆汁の入ったタライを見て「ここに胆汁は見えるが、傲慢は見えないね」と皮肉を述べたという逸話も残されています。

また、「サトン(おちんちん)」という著者でプラトンを激しく批判した。

これらの逸話は史実として確認されているものではありませんが、両者の思想的対立と、アンティステネスが具体的な現実を重視してプラトンの哲学を批判していたことを象徴するエピソードとして知られています。

【次の記事】

【前回記事】

【関係記事】

師匠 ゴルギアス

師匠 ソクラテス

【哲学者まとめ記事】

【参考文献】

プラトン『パイドン』
ソクラテス最期の場面で、アンティステネスの名が登場します。
「ソクラテスの近くにいた弟子の一人」として確認する時の基本資料です。  

クセノポン『饗宴』
アンティステネスが会話参加者として出てきます。
性格や立ち位置をつかむのに役立ちます。  

クセノポン『ソクラテスの思い出』
アンティステネスが登場し、ソクラテス周辺の人間関係や思想の空気感を読み取れます。
「ソクラテス的な徳の重視」を見るうえで有力です。  

いいなと思ったら応援しよう!