【ギリシア哲学】『ソクラテス』④
【はじめに】
哲学者は処刑されました。
しかし彼は逃げませんでした。
自ら毒杯を飲んだのです。
彼は最後まで
自分の哲学の通りに生き、そして死にました。
本記事では
• 告発
• 弁明
• 判決
• 逃亡拒否
• 最期
を通して、
ソクラテスの生き方を見ます。

70歳のソクラテス。
哲学史で最も有名な裁判開幕!
① 告発
――国家への不敬と青年の腐敗
紀元前399年、
ソクラテスはアテネで裁判にかけられます。
罪状は3つ
• 国家の神々を認めない
• 新しい神的存在を導入した
• 青年を堕落させた
(クリティアス、アルキビアデス)
告発者は3人。
• メレトス(詩人)
• アニュトス(政治家)
• リュコン(弁論家)

その時代は精霊くらいのニュアンスです。
背景にあった政治状況
ここが重要です。
アテネは直前に
• ペロポネソス戦争で敗北
• 三十人政権(寡頭政)の支配
• その後、民主政復活
という激動を経験していました。
ソクラテスと関係のクリティアスが三十人政権の中心人物になった。
つまり市民の目には
「この人の周囲は危険ではないか?」
という疑念があったのです。
② 弁明
――哲学をやめない宣言
裁判での弁論は
プラトン『ソクラテスの弁明』に記録されています。
ソクラテスの主張は明確でした。
• 自分は知者ではない
• 無知を自覚させただけ
• 神の使命として哲学している
• 哲学はやめない
彼にとって哲学とは
仕事でも理論でもなく、
魂をよりよくする営みでした。
有名な立場があります。
『不正をするより死ぬ方がよい』
ここで彼は宣言します。
哲学=倫理的生き方である。
③ 判決
――死刑へ
アテネの裁判は二段階制でした。
1. 有罪・無罪の評決
2. 刑罰の選択
陪審は市民501人。

無罪でした。
-第1投票-
古代資料の伝承では
• 有罪:約280
• 無罪:約221
およそ30票差。
僅差でした。
⸻
刑罰提案
有罪後、
• 検察側:刑罰案を提示
• 被告側:対案を提示
陪審が選びます。
告発側は死刑を要求。
通常なら被告は
• 罰金
• 追放
• 軽刑
を提案します。

ソクラテスは言います。
『私は国家に益した。
プリュタネイオンで食事を受けるべきだ。』
(国家功労者が公費で食事を受ける場所)
これは挑発に近く、
陪審の反感を強めました。
⸻
-第2投票-
第2投票では
• 有罪(死刑支持):361
• 無罪:140
結果は‥
『ヘムロック(毒ニンジン)服毒刑』
でした。
⸻
④ 逃亡拒否
――法への服従
弟子たちは脱獄を提案します。
これはプラトン『クリトン』に描かれます。
しかしソクラテスは拒否します。
理由は3つ。
• 法を破るのは不正
• 国家との暗黙の契約を破る
• 不正は魂を害する
『自ら合意して生きてきた法を破ることはできない』
という単純な服従ではなく、
自ら選んだ共同体のルールを守る責任
を語ります。

――これが彼の立場でした。
⑤ 最期
――哲学と一致した死
最期の様子は
パイドン に記録されています。
描かれる姿は一貫しています。
• 平静
• 恐怖なし
• 弟子と対話
• 魂の不死を論じ続ける
毒杯(ヘムロック)を受け取り、
ためらわず飲みます。
足から感覚が消え、
静かに横たわりました。
そして最後にこう言います。
『クリトン、アスクレピオスに雄鶏を。忘れずに。』
処刑は
思想の終わりにはなりませんでした。
むしろ弟子たち――
とくにプラトン によって
哲学は体系化され、広がっていきます。
哲学と生き方が
最後まで一致した死でした。
【深掘り豆知識】


ソクラテスが言った通り、
むしろ後継者は増える。
それがソクラテスの予言と重なります。

彼の態度は、思想の継続を
確信しているかのように描かれています。

『ソクラテスの予言』

■ 妻クサンティッペの訪問
死刑直前、牢獄に
妻クサンティッペが
幼い子を抱いて訪れます。
彼女は運命を嘆き、
激しく悲しみます。
しかしソクラテスは
静かに看守へ命じます。
彼女を家へ帰してほしい。
最後まで彼は
理性的態度を崩さなかったと描かれます。

