【ギリシア哲学】『ソクラテス周辺人物クリティアス』
【はじめに】
紀元前404年、アテナイはスパルタとの長い戦争に敗れました。
その混乱のなかで、スパルタの後押しを受けた三十人の有力者が権力を握ります。
これが、いわゆる三十人政権です。
その強硬派の中心にいたのが、クリティアスでした。
政権は反対者を次々と追放し、処刑し、わずか八ヶ月で千人以上を殺したとも伝えられます。
しかも排除されたのは外の敵だけではありません。
内部にも、少しずつ亀裂が生まれていた。
テラメネスは、同じ三十人政権の一員でありながら、
「さすがにやりすぎだ」と感じていた側の人間でした。
その声が、邪魔になった。
評議会の場で、テラメネスが弁明していました。
空気は、まだ彼に残っていたようです。
このまま採決に入れば、助かるかもしれない。
少なくとも、その場ではそう見えました。
そこでクリティアスは、正面から押し切ろうとはしませんでした。
言葉で論破するのではない。
手続きそのものを曲げるのです。
護衛を呼び入れる。
テラメネスの名を、政権が保護する市民三千人の名簿から消す。
名簿から外れた人間には、法の保護が及ばない。
その状態にしてから、処刑へ進める。
ただ殺すのではありません。
法の形を使って、人を法の外へ押し出す。
この人の恐ろしさは、そこにあります。
やがて毒杯が渡される。
テラメネスはそれを飲み干し、残りを投げる酒宴のしぐさになぞらえて、こう言ったと伝えられます。
「これは美しいクリティアスへ」
この場面だけで、もう十分かもしれません。
クリティアスという人間の知性も、冷たさも、そして戻れなさも、ほとんど出ているからです。

① 節度を語る言葉を持っていた
クリティアスは、最初から処刑者の顔で現れる人物ではありません。
若いころには、節度や自己認識をめぐる対話の場に姿を見せます。
政治の人であるだけでなく、詩や散文を書く、言葉の人でもありました。
だから、後味が悪いのです。
ただ粗暴な人間なら、まだわかりやすい。
力ずくで押し切るだけの人なら、その怖さは単純です。
けれどこの人は、徳を語る言葉を持っていた。
節度を論じる側にいた。
そのうえで、節度のない側へ進んでいく。
言葉を持つ人でも、考える力のある人でも、徳を口にできる人でも、別の方向へ進んでしまう。
クリティアスの嫌さは、そのことを正面から見せるところにあります。

② 問いの場にいた人が、問いを禁じる側へ回る
その冷たさがはっきり見えるのは、ソクラテスとの距離です。
三十人政権のもとで、クリティアスたちはソクラテスを呼びつけ、若者たちと対話することを禁じました。
かつて問いの場にいた人間が、今度は問いそのものを止める側へ回る。
ここには、かなり嫌な反転があります。
しかも、それは激情の場面には見えません。
怒鳴り散らし、剣を振り回し、その勢いで潰すのではない。
何を言わせないか。
どこで止めるか。
誰の口を封じればいいか。
先にそこを見る。
相手を論破するより、発言できない形へ持っていく。
そのやり方は、あとに起こることをよく示しています。
クリティアスの怖さは、怒りの強さより、人の扱い方を先に考えるところにあります。

③ 三十人政権で、その冷たさは制度になる
前404年、アテナイ敗戦のあと、スパルタを後ろ盾とする三十人政権が成立します。
その強硬派の中心にいたのが、クリティアスでした。
ここで起きたことは、単なる粛清ではありません。
人を消し、その財産を奪い、それを支配の手順に組み込んでいく。
残酷さが、感情ではなく仕組みになるのです。
政権は、とくに市民権を持たない居住者を狙いました。
反発が比較的起きにくく、しかも財産を奪える。
そのため、拘束し、処刑し、没収する流れが進みます。
ここまで来ると、暴力はもう爆発ではありません。
冷えて、固まって、手続きになる。
だから重いのです。
怒って人を殺す話より、仕組みで人を消せる話のほうが、ずっと後に残ります。

④ テラメネスを消したとき、政権は自分で自分を止められなくなった
その頂点が、テラメネス処刑でした。
テラメネスは、三十人政権の内部にいながら、なお少しは抑えを残そうとした側でした。
やりすぎだと感じていた。
少なくとも、このままでは危ないと思っていた。
評議会の場には、彼の弁明に動かされる空気がまだあったようです。
そのまま採決に入れば、助かったかもしれない。
そこでクリティアスは、採決に委ねませんでした。
武装した若者たちを呼び込み、テラメネスを法の保護の外へ押し出し、そのまま処刑へ進めます。
この場面で見えるのは、ただの残酷さではありません。
敵を消したのではない。
味方の側にいる、最後の歯止めを消したのです。
政治が壊れるとき、本当に危ないのは、敵への攻撃が激しくなる段階だけではありません。
内部にいる「そこまではやめよう」と言う人が消える段階です。
そこまで行くと、もう自分で自分を止められない。
テラメネスの毒杯が示しているのは、どれだけ残酷だったかだけではありません。
この政権が、もう戻れないところまで来ていたということです。
⑤ 最後は戦場で倒れた
三十人政権は長く続きませんでした。
民主派の反撃のなかで、クリティアス自身も戦死し、政権も崩れます。
終わり方だけ見れば、劇的です。
けれど、この人を思い出す場面は戦場ではありません。
やはり、あの毒杯です。
評議会。
傾きかけた空気。
採決の前にねじ曲げられる手続き。
名簿から消される名前。
そして、毒杯の向こうに立っている人影。
あの場には、クリティアスのほとんどすべてがあります。
知性もある。
言葉もある。
制度も知っている。
だからこそ、人をむき出しの暴力ではなく、法の形を使って消せる。
乱暴なだけの人間なら、ここまで嫌な残り方はしなかったはずです。
本当に後味が悪いのは、都市を整えるための言葉も仕組みも知っていた人間が、それを都市の喉元に当てたことです。
クリティアスは、悪人だったから記憶に残るのではありません。
毒杯の向こうに立っていたのが、
ただ剣を振るうだけの男ではなく、
言葉と仕組みを知った人間だったからです。

