【ギリシア哲学】『エリス学派の祖パイドン』
最期を語るのは、なぜこの人なのか
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〖はじめに〗
ソクラテスの死を描く対話篇の題名は、
『ソクラテス』ではなく、
『パイドン』です。
もちろん中心にいるのはソクラテスです。
魂の不死をめぐる議論も、
最後に毒杯をあおるのも彼です。
それでも作品は、
その場にいた弟子の名で呼ばれる。
このずれは、
あまり軽く見ないほうがいいのかもしれません。
古代の伝承では、
パイドンは戦争ののちに捕らえられ、
奴隷として売られ、
そこからソクラテスに近づいた人物として語られます。 
そういう人物が、
あの最期の語り手に置かれている。
そのことが、
気になります。

〖① 語り手に選ばれた人〗
『パイドン』では、
当日の出来事がそのまま置かれているのではなく、
パイドンがあとから語る形になっています。
私たちが読んでいるのは、
ソクラテスの死そのものだけではありません。
それを誰が受け取り、
どう語ったかです。 
ここで効いてくるのが、
パイドンという人物の来歴です。
もともと安定した立場にいた人ではない。
人生を壊され、
他人の手に渡される側に落ちた人として、
彼は伝えられています。 
その人が、
死を前に取り乱さず、
議論を保ちつづけたソクラテスの姿を語る。
この構図は、
きれいすぎるほどです。
だからこそ、
そこに少し別の手触りを入れてくる断片が気になります。
セネカは、
パイドンの言葉として、
こんな趣旨の一節を伝えています。
小さな生き物の中には、
刺されてもすぐには痛みが分からない
ものがいる。
あとで腫れによって、
はじめて刺されたことに気づく。
賢い人と交わるのもそれに似ていて、
いつ、どうやって助けを受けたのか
分からないまま、
気づけば変えられている、と。 
これは、
かなりパイドンらしい言葉です。
見えない傷。
あとから分かる変化。
受けた力の時差。
もしこの断片を、
彼の名にふさわしいものとして読んでよいなら、
パイドンはただ
ソクラテスの最期を記録した人ではありません。
人が人から受ける影響は、
その場では言い切れない形で残る、
ということを知っていた人です。 

〖② 手と髪の感触〗
『パイドン』の中には、
不意に手触りのある場面が入ります。
議論が続くなかで、
ソクラテスはパイドンの頭に触れ、
首すじの髪をまとめるようにして、
翌日にはその髪を切ることになるだろう、と言います。
パイドン自身が、
ソクラテスにはふだんから
自分の髪をからかう癖があった、と語っています。
この場面はプラトン『パイドン』89a-b付近にあります。 
この逸話は小さい。
けれど、かなり効きます。
死をめぐる対話の中に、
突然、手と髪の感触が入ってくる。
しかもそれは、
あとから整えられた教訓ではなく、
身体の近さとして残っている記憶です。 
ここでソクラテスは、
死についてだけ語っているのではありません。
目の前の相手に触れている。
その触れ方を、
パイドンは残している。
この細部が入るだけで、
あの場面は
立派すぎる最期の図から少し外れます。
そこにいるのは理念だけではない。
触れた手があり、
触れられた髪がある。
パイドンが語るとき、
ソクラテスの死には、
そういう近すぎる記憶が混じります。

〖③ パイドンという人物の残り方〗
パイドン自身は、
ソクラテスやプラトンほど
輪郭の濃い哲学者ではありません。
後にはエリスで学派を成したとも伝えられますが、
彼その人の思想は、
大きな名前ほど鮮明には残っていない。 
だからこそ、
この人物は少し変わった残り方をしています。
強い学説で残ったのではない。
華やかな逸話だけでもない。
最期の場にいた人として残ったのでも、
それだけでは足りません。
見えないところで受けたものが、
あとから効いてくる。
そのことを語る断片があり、
最期の日の記憶には
手と髪の感触まで混じっている。
パイドンに残っているのは、
完成した理論というより、
人が人に触れ、
知らないうちに変えられていく時間のほうです。 

