【プラトン全集第11巻『国家』】まとめ7/7
【はじめに】
『国家』の最後で、プラトンはかなり意外なことを言います。
詩人を追放しよう。
しかも、相手はただの詩人ではありません。
ホメロスです。
古代ギリシア人にとってホメロスは、ただの文学者ではありませんでした。
英雄の生き方を教え、神々の物語を語り、人々の価値観を作ってきた存在。
いわば、ギリシア世界の国民的教科書です。
そのホメロスを、プラトンは理想国家から追い出そうとします。
なぜそこまで言うのか。
芸術が嫌いだったからでしょうか。
そう単純ではありません。
プラトンが怖れていたのは、芸術そのものではなく、
人の魂を、気づかないうちに変えてしまう力
でした。

① 芸術は、本物から遠い
ソクラテスはまず、芸術を「模倣」だと言います。
模倣とは、ただのコピーではありません。
本物を知らないまま、見た目だけをそれらしく再現することです。
たとえば、ベッドがあります。
一つ目は、ベッドそのもの。(ベッドのイデア)
これは、プラトンの考えでは「本物のベッド」です。
二つ目は、大工が作る現実のベッド。
これは、本物を参考にして作られたものです。
三つ目は、画家が描いたベッド。
これは、現実のベッドの見た目を写しただけです。
つまり、画家のベッドは、
本物
↓
現実のベッド
↓
絵に描かれたベッド
という順番で、本物から二段階も遠い。
しかも、絵のベッドでは眠れません。
ただ、ベッドらしく見えるだけです。
ここでプラトンが言いたいのは、
見えることと、知っていることは違う
ということです。
画家は、ベッドの作り方を知らなくても、ベッドらしく描けます。
同じように詩人も、戦争を知らなくても英雄を語れる。
政治を知らなくても王を語れる。
正義を知らなくても、正義らしい言葉を語れる。
ここが危険なのです。
詩人は、本当に知っている人ではない。
けれど、人々には「知っているように見える」。
プラトンはそこを疑いました。

② ホメロスは、なぜ危険なのか
では、なぜホメロスほどの詩人が危険なのでしょうか。
たとえば『イリアス』では、アキレウスが親友パトロクロスの死を知って深く嘆きます。
地面に倒れ、髪をかきむしり、灰を頭にかぶる。
その悲しみは、読む者の胸を強く打ちます。
読者も泣き、英雄の涙に引き込まれる。
現代の感覚では、それは文学の力です。
けれどプラトンは、そこに危険を見ました。
人は、理性で善を判断する前に、感情で引きずられてしまう。
悲しみ、怒り、復讐心。
そうした感情に酔ってしまう。
悲劇でも同じです。
人は、登場人物と一緒に泣き、怒り、苦しみます。
普段なら抑える感情を、劇場では思いきり味わえる。
すると魂の中で、感情の部分が強くなる。
理性が弱くなる。
『国家』ではずっと、魂の秩序が大切にされてきました。
理性が導き、気概が支え、欲望を整える。
それが正しい魂です。
ところが詩や悲劇は、悲しみや怒りを大きくし、魂のバランスを崩してしまう。
だから詩人は、理想国家から追放されるのです。

③ でも、プラトンは詩を嫌いきれない
ここで面白いのは、プラトンが詩を完全には否定していないことです。
ソクラテスは、詩には大きな魅力があると認めています。
ホメロスは美しい。
悲劇は人を惹きつける。
そして自分たち自身も、そうした作品を愛している。
さらに伝承では、プラトン自身も若いころは詩人を目指していたと言われます。
ソクラテスに出会い、哲学へ向かったあとも、その愛着が簡単に消えたとは考えにくいでしょう。
実際、『パイドン』では興味深い場面があります。
死刑を待つソクラテスは、夢の中で繰り返し、
「音楽を作り、実践せよ」
と告げられます。
彼は長いあいだ、
「哲学こそ最高の音楽である」
と解釈していました。
けれど死を前にして、
もし夢の意味を取り違えていたらいけないと思い、
実際に詩を書き始めます。
人生の最後に、ソクラテスは詩を捨てたのではなく、むしろ詩へ手を伸ばしたのです。
だから話は単純ではありません。
嫌いだから追放するのではない。
好きだからこそ、怖いのです。
これは現代にもよく分かる感覚かもしれません。
SNSも。
動画も。
映画も。
物語も。
私たちはそれらを楽しみます。
けれど同時に、
怒りを煽る動画。
不安をあおるニュース。
泣かせにくる物語。
見た目だけで信じさせる情報。
そうしたものに、私たちの心は簡単に動かされます。
プラトンが見ていたのも、まさにこの問題でした。
人は、何を見続けるかで変わってしまう。
人は、何を聞き続けるかで変わってしまう。
だから芸術は、ただの娯楽ではありません。
魂を形づくる力なのです。

④ 魂の話へ戻っていく
詩人追放の話が終わると、『国家』は魂の話へ向かいます。
ここでようやく分かります。
第10巻の芸術批判は、寄り道ではありません。
魂をどう守るか、という話だったのです。
ソクラテスは言います。
鉄には錆が、身体には病気がある。
では、魂にとっての悪は何か。
それは、不正です。
欲望に流されること。
無知のまま生きること。
魂の秩序を壊すこと。
身体は死ぬ。
けれど魂は、そう簡単には滅びない。
だから、正しく生きるかどうかは、この人生だけの問題ではありません。
魂全体の運命に関わる。
ここで『国家』は、政治の本から、魂の本へとはっきり姿を変えます。
いや、本当は最初からそうだったのかもしれません。
国家を作る話は、人間の魂を大きく映したものだった。
正義とは、外側のルールではなく、魂の健康だった。

⑤ エルの神話――死後の世界を見た男
そして最後に、ソクラテスは「エルの物語」を語ります。
エルは戦士でした。
戦場で倒れ、死者たちとともに運ばれます。
けれど不思議なことに、彼の遺体だけは腐りませんでした。
十二日間、まるで眠っているように横たわっていた。
そして火葬の薪の上に置かれた瞬間。
エルは、目を開けます。
彼は生き返ったのです。
そして、自分が死後の世界で見てきたものを語り始めます。
そこでは、死者たちが裁きを受けていました。
正しく生きた者は、天へ向かう道へ。
不正に生きた者は、地下へ向かう道へ。
善い行いも、悪い行いも、何倍にもなって返ってくる。
とくに、暴君のように多くの人を苦しめた者は、重い罰を受けます。
ここでプラトンは、『国家』の最初の問いに戻っています。
正しく生きることは、本当に得なのか。
悪いことをしても、バレなければ得ではないか。
ギュゲスの指輪、つまり姿を消せる魔法の指輪を手に入れたら、人は正義を守るのか。
その問いに、最後の神話が答えます。
短い人生だけで見れば、不正が得に見えることはある。
しかし魂全体で見れば、不正は必ず自分に返ってくる。
不正は、他人を傷つける前に、自分の魂を傷つける。
やがて魂たちは、次の人生を選ぶ場所へ進みます。
そこには、王から動物まで、あらゆる人生が並んでいました。
多くの魂は、見た目だけで選んでしまいます。
前の人生で苦しんだ魂は、今度こそ楽をしたいと思う。
そして、権力ある人生を喜んで選ぶ。
けれどその奥には、民衆に憎まれ、最後には自分の手で人生を終える運命が隠れていました。
魂は、それに気づかない。
では、見抜けた魂はいたのか。
ソクラテスによれば、いました。
哲学をしてきた魂は、派手な人生に飛びつかず、名もなき一市民の人生を選んだという。
哲学とは、見た目に惑わされないための訓練だったのです。
『国家』が何巻にもわたって教育を論じてきたのは、そのためでした。
人生を選び終えた魂たちは、忘却の平原へ向かいます。
そこには、忘却の川が流れていました。
魂たちはその水を飲み、前の記憶を忘れていく。
そして夜になると、魂たちは星のように空へ飛び上がり、新しい人生へ向かう。
エルだけは、その水を飲みませんでした。
だから彼は、死後の世界を覚えたまま戻ってきた。
この終わり方は、とても印象的です。
人は忘れる。
過去の失敗を忘れる。
魂にとって大切なことを忘れる。
そしてまた、欲望に流される。
だからこそ、哲学が必要になる。
哲学とは、忘れないための訓練なのです。

おわりに
全7回、『国家』を読んできました。
哲学者王、魂の三分割、民主制の崩壊、そして詩人の追放。
読み終えてみると、プラトンがずっと問い続けていたのは、一つのことだったのだと気づきます。
あなたの魂は、今、何に動かされているのか。
見た目に惑わされてはいけない。
派手な人生が、善い人生とは限らないのだから。
プラトンは最後に、死後の神話を置きました。
エルだけが、忘却の川を飲まずに戻ってきた。
彼が運んだのは、死後の記憶だけではありません。
何を選ぶべきかを、もう一度問い直す機会でした。

