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【ギリシア哲学】『メガラ派エウクレイデス』

〖はじめに〗

健康は善い。
友情も善い。
知恵も、正義も、勇気も善い。

私たちはふつう、そう考えます。

善いものは一つではなく、いくつもある。
それは自然な感覚です。

けれどエウクレイデスは、そこで立ち止まりました。

もし善いものが本当にいくつもあるなら、
それらがぶつかったとき、何を基準に選ぶのでしょうか。

正義のために友情を切ることがある。
平和のために真実を伏せることがある。
安心のために自由を狭めることもある。

そのとき争っているのは、
善と悪ではありません。
善と善です。

私たちはつい、
空気や損得、
その場の痛みの少なさで決めがちです。

けれど哲学は、そこで足を止めます。

善は、ほんとうは一つなのではないか。

エウクレイデスは、ソクラテスの弟子であり、
のちにメガラ派の祖とされる人物です。

著作は失われました。
それでも古代の伝承には、
彼が最高善を一つと考え、
それを知恵、理性、神などの名で呼んだことが伝えられています。

〖① どこから来た思想か〗

エウクレイデスは、
ソクラテスの「どう生きるべきか」という問いと、
エレア派の「ほんとうにあるものは変わらない」という発想を
結びつけた人物です。

古代の資料では、
彼がパルメニデスの書物に親しんでいたと伝えられます。

パルメニデスの流れでは、
見え方が変わっても、
その奥にある変わらないものこそが本物だと考えます。

今日は善いと思う。
明日は違うと思う。

そうした揺れを、
そのまま善と呼んでよいのか。

善が本当に善であるなら、
気分や都合と一緒に揺れてよいはずがない。

その不満が、
「善は一つ」という命題の出発点にあります。

〖② なぜ「善は一つ」と言いたくなるのか〗

この命題は、
話を単純にしたいから出てきたのではありません。

むしろ逆です。
善という言葉を安くしないために、
あえて一つと言いたくなるのです。

知恵も善。
快も善。
名誉も善。
権力も善。

何でも善と呼べるようになれば、
善という言葉は弱くなります。

それはもう、
本当に価値あるものの名ではなく、
その場で都合よく貼り替えられる札になってしまうからです。

知恵、理性、神。
呼び名はいくつかあってもよい。

けれど、
それらが本当に善に関わるなら、
根本では同じものを指していなければならない。

そう考えると、
「善は一つ」という命題は、
単なる好みではありません。

それは、
善という言葉を使う条件を
厳しく保とうとする態度です。

善いと言うなら、
それは何を意味するのか。
別の場面でも、同じように善いと言えるのか。
言葉だけが同じで、
中身はばらばらではないか。

この問いが、
命題の核心にあります。



〖③ 善が一つなら、悪はどうなるのか〗

古代の伝承では、
エウクレイデスは、
善に反するものに実在を認めない方向へ進んだとされます。

悪は存在しないと言われても、
現実には不正も残酷さもある。

私たちはそこで、すぐ引っかかります。
この違和感は自然です。

ただ、
彼の強さもそこにあります。

悪を善と並ぶもう一つの原理として立ててしまえば、
善はもはや最高の基準ではなくなります。

だから彼は、
悪を独立した本体としてではなく、
善の欠けとして捉えようとしました。

残酷さにも独自の真理がある。
そういう言い方を、
彼は簡単には許さないのです。

その強さは本物です。

ただ同時に、
この立場は現実の悪の重さをこぼします。

不正は人を傷つけ、
残酷さは現実に起こる。
善だけを本当にあるものとする考えは、
厳しすぎるようにも見えます。

大切なのは、
すぐ賛成することではありません。

悪は善と並ぶ原理なのか。
それとも善の欠如なのか。

この問いは、
後の哲学にも長く残っていきます。

〖④ なぜメガラ派は議論が細かくなったのか〗

エウクレイデスの後の系統は、
やがて言葉の扱いの細かさで知られるようになります。

善を一つのものとして立てた瞬間から、
言葉の使い方は重くなります。

こちらでも善、
あちらでも善と
簡単に言えてしまえば、
せっかく一つに立てた善が
また散ってしまうからです。

彼らは単に、
議論に勝ちたかったのではありません。

善について、
曖昧な言い方を許したくなかった。

メガラ派の論争好きは、
原理を守ろうとした
言葉の緊張として見えてきます。



〖おわりに〗

エウクレイデスを読むと、
「善い」という言葉を、
以前のようには気軽に使えなくなります。

次に何かを正しいと判断するとき、
自分はいま何を善いと呼んでいるのか。
その言葉は、
別の場面でも同じ重さを持つのか。

もしそこに少しためらいが生まれるなら、
その瞬間、
エウクレイデスの哲学は
もう古代の学説ではありません。

私たち自身の思考を試す問いとして、
静かに生き始めているのだと思います。

【哲学者データ】
名前 エウクレイデス
生没 前430年頃〜前360年頃
地域 メガラ
系統 ソクラテス系
立場 メガラ派の祖
師匠 ソクラテス
弟子・後続 イキュティアス、
  クリノマコス、スティルポンらの系譜
思想 最高善は一つであり、知恵・理性・神
  などはその別名である
特徴 ソクラテスの倫理的問いと、エレア派
  的な不変の発想を結びつけた人物

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