【プラトン全集第1巻『パイドン』】アポロドロス
〖はじめに〗
ソクラテスの最期には、多くの弟子たちがいました。
クリトン。
パイドン。
シミアス。
ケベス。
彼らは師のそばで言葉を聞き、死を前にした姿を見届けます。
その中に、強く名を残した人がいます。
アポロドロス。
彼は、議論で目立ったわけではありません。
大きな答えも、師を救う策もなかった。
彼が残したのは、言葉ではありませんでした。
泣き声でした。
問う者がいる。
耐える者がいる。
支えようとする者がいる。
そして、わめくほどに泣く者がいた。

① 偉大な思想家ではなく、泣いた弟子
アポロドロスは、ソクラテスの弟子です。
けれど、大きな学派を作った人物ではありません。
対話篇を書いたわけでもない。
後の学派へつながる流れを作ったわけでもない。
彼は、思想史の大きな柱ではありません。
では、なぜ名前が残ったのか。
ソクラテスを失うことに、耐えられなかった弟子として描かれたからです。
哲学の歴史では、語った人、書いた人、学派を作った人が残りやすい。
けれど彼は、泣いたことで記憶された。
それは小さなことのようで、とても人間らしい残り方です。

② 『饗宴』のアポロドロス――語らずにはいられない人
アポロドロスは、プラトンの『饗宴』にも登場します。
ただし、彼自身がその宴にいたわけではありません。
アリストデモスから聞いた話を、あとから人に語ります。
つまり彼は、「目撃者」ではなく「語り手」です。
自分が見たわけでもないソクラテスの話を、何度も語ろうとする。
まるで語ることで、自分の中に師を残そうとしているように見えます。
彼にとって、ソクラテスは単なる先生ではありません。
語らずにはいられない人。
思い出さずにはいられない人。
聞かれれば、何度でも話してしまう人。
ソクラテスの話は、知識ではなく、日々の中心だった。
語らずにはいられなかった人は、やがて、泣かずにはいられない人として、もう一度姿を現します。

③ 『パイドン』のアポロドロス――毒杯の前で、声が崩れた人
その場面は、静かに始まります。
牢獄の中で、ソクラテスは毒杯を受け取ります。
まわりには、パイドン、クリトン、シミアス、ケベス、そしてアポロドロスがいる。
ソクラテスは、死を前にしても大きく乱れません。
いつものように語り、問い、弟子たちに向き合っていました。
しかし、毒杯が差し出されると、場の空気は変わります。
ソクラテスが杯を手にする。
それを見た弟子たちは、もう耐えられなくなる。
ある者は顔を覆い、ある者は涙をこらえきれない。
それまで保っていた静けさが、少しずつ崩れていく。
そして、アポロドロスが声をあげます。
彼は、ただ静かに涙を流したのではありません。
わめくように泣いた。
慟哭した。
その声が、牢獄の静けさを完全に破りました。
そこで、ソクラテスは静かに言いました。
なぜ泣くのか。
自分は、よいところへ向かうのだ。
その言葉を受けて、他の弟子たちはようやく声を抑えました。
それでもアポロドロスは、すぐに声を収めることができませんでした。
師は静かだった。
けれど、弟子は静かではいられなかった。
師が死ぬ。
その事実が、哲学の言葉より先に、彼の身体を突き破って出てしまう。
そこには、別れがあった。
喪失があった。
耐えられない人間がいた。
その声によって、ソクラテスの死は、哲学者の最期である前に、一人の人間を失う場面になるのです。

④ クリトンとの対比――助けようとする人、泣く人
クリトンは、ソクラテスの古くからの友人です。
『クリトン』では、彼はソクラテスに脱獄を勧めます。
お金は用意できる。
助ける仲間もいる。
逃げる先もある。
彼の友情は、「助けたい」という行動として現れました。
一方で、アポロドロスは違います。
救出計画を持っているわけではない。
議論で師を支えるわけでもない。
何かを解決するわけでもない。
ただ、悲しむ。
クリトンの友情が「助けたい」という形で現れたなら、アポロドロスの友情は「失いたくない」という形で現れた。
動く人がいる。
考える人がいる。
黙る人がいる。
泣く人がいる。
アポロドロスは、その中の「泣く人」として、師のそばにいた。

⑤ 死を受け入れる師、受け入れられない弟子
ソクラテスは、死を前にしても語ります。
魂について。
哲学について。
死をどう考えるかについて。
彼は死を、ただの終わりとしては受け取らない。
一方で、アポロドロスはその静けさに追いつけませんでした。
大切な人が死ぬ。
師がいなくなる。
もう声を聞けなくなる。
それは、理屈だけでは受け止められない。
ソクラテスは、死を語ることができた。
アポロドロスは、その死を前に、泣くことしかできなかった。
けれど、その涙があるからこそ、この場面は遠い哲学の話だけで終わりません。
ソクラテスという人が、どれほど弟子の心を動かしていたのかを示す、生々しい証拠になるのです。

⑥ 哲学を理解していなかったのか
ここで、一つの厳しい見方もできます。
アポロドロスは、ソクラテスの哲学を理解していなかったのではないか。
ソクラテスは、死を恐れるべきではないと語っていました。
本当に師の言葉を理解していたなら、静かに見送るべきだったのではないか。
そう見ることもできます。
実際、アポロドロスの姿は、哲学的に完成された弟子には見えません。
落ち着いていない。
問いを返す余裕もない。
師の死を、理性で受け止めきれていない。
その意味では、アポロドロスは未熟です。
けれど、本当にそうでしょうか。
哲学とは、感情を消すことなのでしょうか。
悲しみを感じない人間になることなのでしょうか。
そうではないはずです。
少なくとも、その涙は、不理解だけでは片づけられません。
彼は、師の死の意味を整理する前に、師を失う痛みに打たれていた。
それは未熟さでもある。
しかし同時に、ソクラテスを一人の人間として深く受け止めていた証でもあります。
シミアスやケベスは、問いを通して受け止めた。
クリトンは、行動を通して受け止めた。
パイドンは、語り直すことで受け止めた。
アポロドロスは、涙で受け止めた。
彼は、哲学を完成させた弟子ではなかったかもしれない。
けれど、哲学者の死を、人間の痛みとして残した弟子でした。

⑦ 泣いていたからこそ、残った
アポロドロスは、大きな理論を残したわけではありません。
新しい学派を作ったわけでもない。
政治を動かしたわけでもない。
戦場で名を上げたわけでもない。
それでも名前が残った。
ソクラテスの死の場面で、泣いていたからです。
普通なら、泣いた人の名は残りにくい。
残るのは、語った人。
書いた人。
戦った人。
支配した人。
けれどアポロドロスは、泣いた人として残った。
哲学の歴史は、冷たい理論だけではありません。
問いがあり、議論があり、書物がある。
しかしそのそばには、師を失って泣く弟子もいた。
アポロドロスの存在は、ソクラテスの死が言葉では拾いきれなかったことを、今も示しています。
師は静かに死へ向かった。
けれどその牢獄には、最後まで泣いていた弟子の声も、たしかに残っていたのです。

