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【ギリシア哲学】『ソクラテス周辺人物クセノフォン』

一万人を連れ帰った男が書いたソクラテス

〖はじめに〗

異国の奥地で、軍の指導者たちが全員殺された。
残されたのは、一万人の兵士たちです。

前にも敵、後ろにも敵。
土地勘もない。補給も苦しい。
このままでは帰れないかもしれない。

その場で前に出た一人が、クセノフォンでした。

ソクラテスの弟子。
けれど同時に、傭兵軍とともにペルシア帝国の奥深くまで入り込み、崩れかけた集団を立て直し、生きて帰る道を切り開いた男でもあった。

哲学者の弟子なのに、ほとんど戦記の主人公のような人生を送っている。
そして、その人がソクラテスを書いた。

ここがまず面白いところです。

ふつう、こういう人生を送った人が書き残しそうなのは、武勇談か戦争の記録でしょう。
けれどクセノフォンが強く残したソクラテスは、ただ鋭く問い詰める人ではありませんでした。

もっと生活の中にいる人、もっと地面に近い人として現れます。

その感じがいちばんよく出ているのが、アリスタルコスの場面です。

① クセノフォンは「弟子」だけでは小さすぎる

クセノフォンをただソクラテスの弟子と呼ぶと、この人の異様さが消えます。

彼は軍人であり、記録者であり、行動の人でもありました。
とりわけ有名なのが、ペルシア遠征からの撤退行です。

頼りにしていた指導者たちは殺され、兵は異国の真ん中に置き去りにされる。
道は遠い。食糧は乏しい。周囲は敵だらけ。
集団は、恐怖だけで崩れてもおかしくない。

そのときクセノフォンは前に出ます。
ただ勇敢だっただけではない。
止まりかけた人々に、「まだ帰れるかもしれない」と思わせたのです。

『アナバシス』の中でもとくに有名なのが、兵たちが海を見つけて「海だ、海だ!」と叫ぶ場面です。

あの叫びが強いのは、海が美しいからではありません。
帰れると分かったからです。
絶望の中に、初めて道が見えた。
だから、あの叫びが起きた。

クセノフォンは、人が「もう無理だ」から「まだ行けるかもしれない」へ変わる瞬間を知っていた人です。

この経験を持つ人がソクラテスを書く。
そう考えると、彼の文章に出てくるソクラテスが、ただ理屈の鋭い人ではなく、詰まった現実の中で人を動かす人として見えてくるのは、かなり自然に思えます。

② 家が重くなったとき、ソクラテスはどう話したのか

『ソクラテスの思い出』二巻七章には、いかにもクセノフォンらしい場面があります。

アリスタルコスの家に、内乱のため自由な身分の女の親族たちが身を寄せていました。見捨てるわけにはいかない。
けれど現実には、人数が増えたぶん家計は重くなり、家の空気まで沈んでいく。

守る側もしんどく、守られる側も肩身が狭い。善意だけでは回らない、そういう苦しさが家全体に広がっていたはずです。

そこでアリスタルコスはソクラテスに訴えます。

「十四人もの自由な身分の親族を抱えているのです。けれど、そのための金がありません。」

ここでソクラテスは、すぐ同情だけを返しません。まず比較を持ち出します。

「ケラモンの家は、多くの者を養いながら、なお暮らしを立てているではないか。」

アリスタルコスは言い返します。

「あちらは奴隷の家です。だが、こちらにいるのは自由な身分の親族です。」

ここでソクラテスが押し返す。
このやりとりが面白いのです。

「では、奴隷より身分の高いその人たちは何もできないのか。」
「羊毛の仕事はできないのか。」
「布を作ることはできないのか。」

アリスタルコスに見えていたのは、食べさせ、守らなければならない重荷としての十四人でした。
けれどソクラテスは、そこに別の見方を差し込みます。

「働ける力があるのに、ただ座らせているから、家全体が重くなっているのではないか。」

この運びが鮮やかです。

ソクラテスは、
「困っている人を追い出せ」
とは言わない。
しかし、
「かわいそうだから黙って抱えろ」
とも言わない。

彼が言うのは、もっと実際的なことです。

「その人たちを、ただ支えられる側のままにしておくな。
働けるなら、家を支える側にも戻せ。」

アリスタルコスはこの助言を受け、実際に親族たちへ仕事を与えます。
すると家の空気が変わる。
それまで食べさせてもらうだけだった人たちが、家の役に立つ者として動き始める。
守る側と守られる側に分かれて重くなっていた関係が、いっしょに家を支える関係へ変わっていく。

ここが大きいのです。

ソクラテスは金策を教えたのではありません。
節約術を授けたのでもない。
人をどう見るか、その視線を組み替えた。
だから家の空気まで変わった。

この場面は、ただの家計の知恵として読むには、少し強すぎます。

③ なぜ、この記録者がこの場面を残したのか

ここで、いちばん面白い問いが立ちます。

なぜ、このソクラテスを強く残したのがクセノフォンだったのか。

プラトンもソクラテスを書きました。
しかも、はるかに大きく、深く、思想史を動かす形で書いた。
このこと自体は動きません。

けれど、アリスタルコスのこの場面を読むと、少し立ち止まりたくなります。
なぜクセノフォンは、こんなにも生活の匂いのある場面を、ソクラテスの重要な顔として残したのか。

ここで一つの仮説が浮かびます。

一万人を率いた経験が、この書き方に出ているのではないか。

戦場では、人は簡単に止まります。
怖れ、疑い、疲れ、秩序を失う。
そのとき必要なのは、「正しい」だけの言葉ではない。
いま何を見直せば動けるのか、そこを示す言葉です。

もしクセノフォンがその感覚を骨身にしみて知っていたなら、彼がソクラテスの中に強く見たのも、まさにそこだったのではないか。
相手の誤りを暴く人としてだけでなく、行き詰まった人に別の見方を渡す人として。

アリスタルコスの場面を書いたのは、一万人の前に立った男でした。

おわりに

クセノフォンは、ソクラテスの思想をいちばん深く書いた人ではないかもしれません。けれど、ソクラテスの言葉が人を立て直す瞬間を、これほど自然に残した人はそう多くないはずです。

ソクラテスのそばにいた人が、その後は戦場を生き、一万人とともに帝国の奥地から帰ってきた。
その人が、一つの家の重たい空気がほどける場面を書いた。
そこには偶然以上のものを感じます。

戦場で帰り道を探した男は、家の中で道が見える瞬間にも、よく気づいたのかもしれません。

【哲学者データ】
名前 クセノフォン(Xenophon)
生没 前430年頃 - 前354年頃
系統 ソクラテス周辺
立場 記録者・弟子・歴史家
出身 アテナイ
活動 小アジア・スパルタ圏など
師  ソクラテス
弟子 後世のソクラテス理解に大きな影響
思想 実践的倫理、助言としての哲学、
   ソクラテスの記録
主な著作
『ソクラテスの思い出』『ソクラテスの弁明』『饗宴』『家政論』『アナバシス』『ギリシア史』
特徴
ソクラテスを「思想」だけでなく「人に働きかける存在」として伝えた主要証言者の一人

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