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【ギリシア哲学】『ソクラテス周辺人物アイスキネス』

アイスキネス

ソクラテスの「考え」を残した人ではない。
ソクラテスの言葉の効き方を残した人である。

〖はじめに〗

ソクラテスの弟子と聞くと、まずプラトンやクセノフォンが浮かびます。

けれど、その少し後ろに、静かに見逃しにくい人物がいます。
スフェットスのアイスキネスです。

大きな学派を立てた人ではありません。
巨大な思想体系を築いた人でもありません。
著作の大半も失われ、いま読めるのは断片ばかりです。

それでも、この人は外しにくい。
彼が残そうとしたのは、ソクラテスの理論そのものより、その言葉が相手の中でどう効いたかに見えるからです。

① 野心家を立ち止まらせた言葉

アイスキネスで印象に残るのは、対話篇『アルキビアデス』です。
ここで大事なのは、アルキビアデスという人物そのものを詳しく語ることではありません。
野心に満ちた若者に、ソクラテスの言葉がどう働いたかを、アイスキネスが残していることです。

この対話でソクラテスの前にいるのは、若く、才能があり、人の上に立とうとする相手です。
けれどソクラテスは、その勢いや華やかさを褒めません。

問いは、もっと手前へ向かいます。
自分を知らないまま、人を導こうとしていないか。
何を知り、何を知らないかも確かめないまま、政治を語ろうとしていないか。

崩されたのは、才能ではありません。
その才能を支えていると思っていた足場でした。

後代には、この対話に重ねて、アルキビアデスが涙を流したと伝える証言もあります。
あの強い相手が、ソクラテスの前では立ち止まった。

アイスキネスが残したのは、
ソクラテスの立派な理論ではなく、
言葉が相手の中に入り、向きを変えさせる瞬間だったのでしょう。

② アスパシアを「教える側」に置いた人

もう一つ印象的なのが、『アスパシア』です。
これはアイスキネスが書いた対話篇の一つで、全体は失われ、後代の引用から一部だけが伝わっています。

アスパシアは、ミレトス出身で、ペリクレスの伴侶として知られる人物です。
ただ、この対話で大事なのは、その肩書きではありません。
ここで彼女は、問いを通して相手を考え直させる側に置かれています。

伝わる断片では、アスパシアはクセノポンの妻に尋ねます。
隣人がもっと良い金や装飾品を持っていたら、そちらを欲しいと思うか。
妻は、そうすると答える。
では、隣人がもっと良い夫を持っていたらどうか。
ここで言葉に詰まる。

同じ問いは、今度は夫にも向けられます。
もっと良い妻を望むなら、自分もまた、もっと良い夫でなければならない。

相手がうなずける話から入り、最後に、自分では逃げにくい問いへ進めていく。
正面から説教しているのではありません。

相手が自分で詰まる場所まで、静かに連れていく。

『アルキビアデス』では、思い上がりを崩す言葉が前に出る。
『アスパシア』では、相手の中に静かに入り込む言葉が前に出る。

③ 作品を抱えて、売り込みに行った人

ただ、ここで面白いのは、
そういう言葉の働きを書いた当人が、少しも「きれいな哲学者」ではなさそうなところです。

後代の伝承では、アイスキネスは貧しさのためにシケリアへ渡ったとされます。
けれど、ただの困窮話として読むより、対話篇を抱えて宮廷へ売り込みに行った人として見た方がずっと面白い。

ソクラテスの弟子が、作品を手にして僭主のもとへ向かう。
思想を語るだけではなく、書いたものを差し出して生きようとする。

伝承では、その場でプラトンは彼を相手にせず、アリスティッポスが取り次いだとも言われます。

本当の細部は慎重に見た方がよい。
それでも古代には、アイスキネスは
貧しく、動き、売り込み、言葉で生きようとした人として語られていました。

立派な殿堂の主というより、ずっと生々しい書き手です。

④ 借金と香水商売という、人間くさい輪郭

さらに後代には、借金や香水商売の悪評までついています。

敵対的な文脈で語られた話なので、そのまま事実と決めつけるのは危ない。
けれど、中身はかなり具体的です。

アイスキネスは金を借り、
いま香水商売をしている、その元手がいるのだと語っていたとされます。

しかも、借りた金を返さず、朝になると金を返せという人々が家の前に集まり、
通りがかった人が葬式かと思うほどだった、とまで言われています。

きれいではありません。
むしろ、かなり生活に追われています。

それでも、その人が書いた断片の中には、
アルキビアデスを泣かせるソクラテスがいる。
アスパシアを教える側に置く視線がある。
暮らしは整っていない。
けれど、言葉が人にどう効くかを見る目だけは鋭い。
そこが、この人の妙なところです。

〖おわりに〗

プラトンのように、大きな建物を残した人ではありません。
残ったものも、断片ばかりです。

けれど、その断片の中には、
あのアルキビアデスが涙を流す場面があり、
アスパシアが人を導く側に立つ場面があり、
書き手自身は作品を抱えて売り込みに向かうような、生々しい姿までのぞいています。

完成した哲学は残らなかった。
その代わりに残ったのは、
言葉が人に効く、その瞬間でした。

(地図データ後日)

〖哲学者データ〗

名前 アイスキネス
系統 ソクラテス系
出身 スフェットス
師  ソクラテス
立場 ソクラテス的対話篇の作者
著作 『アルキビアデス』『アスパシア』
   『アクシオコス』『カリアス』『ミルティ
   アデス』『テラウゲス』『リノン』など
特徴 
ソクラテスを、相手に自己認識を与え、考え直させる人物として描く傾向が強い
備考 
デモステネスと争った弁論家アイスキネスとは別人

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