【ギリシア哲学】『ソクラテス周辺人物カイレポン』
ソクラテスのために、神にまで聞きに行った友
〖はじめに〗
ソクラテスのまわりには、いろいろな人がいました。
弟子、友人、対話相手、のちに名を残す人たちもいます。
その中で、カイレポンは少し異質です。
この人は、大きな本を書き残していません。
学派を立てたわけでもありません。
けれど名前だけは、妙に強く残っている。
なぜか。
この人は、ソクラテスのために、
神にまで聞きに行ったからです。
デルポイ。
戦争の前に神意を問い、町を建てる時にも伺いを立てる、
ギリシア世界でも特に重い場所でした。
そこでカイレポンは、こう尋ねたと伝えられます。
「ソクラテスより賢い者はいるか」
返ってきた答えは、
「いない」
でした。
神託そのものも強い。
けれど本当におもしろいのは、そんなことを本当に聞きに行った人がいたということです。
先生を尊敬する人はいても、
その人のことを神にまで確かめに行く人は、そういません。
カイレポンは、そこまで行った人でした。

映画では賄賂つかまされてましたけどね🤔
① その一言が、ソクラテスを動かした
この話がただの珍談で終わらないのは、
神託がそのままソクラテスを動かしてしまったからです。
もしここでソクラテスが
「神がそう言うならそうなのだろう」
で終わっていたら、話はきれいでした。
でも、終わらなかった。
ソクラテスは逆にひっかかります。
自分が賢いとは思えない。
では、なぜ神はそう言ったのか。
そこで彼は、人を訪ね歩きます。
賢いと評判の政治家のところへ行く。
話してみる。
すると、立派に見えていた人が、じつは分かっていない。
今度は詩人のところへ行く。
美しい言葉は書いている。
けれど、その詩の意味を本人がいちばんよく分かっているわけでもない。
職人のところへ行けば、たしかな技はある。
ただ、その確かな技があるせいで、
ほかのことまで自分はよく知っていると思ってしまう。
そうやって、一人ずつ会って、話して、確かめていく。
あの有名なソクラテスの問いは、そこから本格的に動き出します。
つまり、かなり乱暴に言えば、
カイレポンが神に一つ聞いたせいで、ソクラテスがアテナイ中の人に会って回ることになったのです。
自分で思想の本を書いたわけではない。
けれど、ギリシア哲学のもっとも有名な歩き方の入口に、
この友人が立っている。
カイレポンは、思想を説明した人ではありません。
けれど、思想が動き出す引き金にはなったのです。

② しかもこの人、町ではだいぶ変な人に見えていた
ここでさらにおもしろいのは、
カイレポンが「立派な友人」としてだけ残っているわけではないことです。
町の人から見たこの人は、
もう少し妙でした。
アリストファネスの喜劇では、カイレポンは
青白くやせた、コウモリみたいな男としてからかわれます。
別のところでは、まるで生きた死人みたいに扱われることさえある。
もちろん、喜劇です。
誇張もあります。
そのまま事実として受け取るわけにはいきません。
けれど逆に言えば、
それだけ舞台で笑いになるくらい、町の人に通じる人物だったということです。
ソクラテスのそばには、
理屈を整えて静かに座っている弟子だけがいたわけではありませんでした。
コウモリみたいだと笑われる、
青白くて、落ち着きがなくて、
どこか熱ばかり先に立って見える友人がいた。
そして、その変な男が、
本当にデルポイまで行ってしまった。
ここが、ただの脇役では終わらないところです。
カイレポンという人は、
あとから整った言葉で先生を語る人ではない。
先に信じて、先に走ってしまう人です。
だから神託の逸話が似合う。
慎重に考えた末にデルポイへ行ったというより、
信じる気持ちの勢いが、そのまま遠くまで行ってしまった。
そういう人物に見えます。

③ 熱いだけの人ではなかった
街が血なまぐさく揺れた時代も、その中にいた
カイレポンは、
おもしろい変人で終わる人でもありません。
アテナイは、のんびり哲学だけしていられる町ではありませんでした。
戦争に負け、政変が起き、支配者が入れ替わり、
人が追われ、殺され、町の空気そのものが変わる。
三十人政権の時代は、その最悪に近い時期です。
反対する側の人間は追われ、財産を奪われ、殺される。
街には露骨に恐怖がありました。
カイレポンは、そういう時代の外にいた人ではありません。
伝承では、民主派とともに国外へ退き、のちに戻ったとされます。
つまりこの人は、
ソクラテスのそばで熱くなっていただけの人ではない。
笑われるような変な友でありながら、
同時に、街が本当に危ない時には、その危険の中にもいた。
ここで人物の輪郭が少し変わります。
ただの「先生大好きな人」ではない。
熱がある。
勢いもある。
でもそれは、舞台の上の笑いだけで終わる軽さではなかった。
現実の荒れた政治の中にも、その人はいたのです。

④ 最初の場面にはいる
けれど最後の場面にはいない
そして、この人の残り方をいちばん忘れにくくしているのが、ここです。
カイレポンは、ソクラテスの物語の最初にいます。
デルポイへ行った人。
神に問いかけた人。
ソクラテスが自分の使命を考え直す、その入口を作った人。
けれど、最後の場面にはいません。
ソクラテスが法廷で弁明する頃、
カイレポンはもう死んでいたとされます。
その場にいたのは本人ではなく、兄でした。
これは妙に重い。
あれほど強く師を信じて、
そのために神にまで聞きに行った人が、
いちばん大事な最後の法廷にはいないのです。
最初の場面を作った人が、最後の場面にはいない。
ずっとそばで語り続けた弟子として残るのではない。
体系を書いた人として残るのでもない。
一度、ものすごく強く動いた。
そして、その後はいない。
だから、かえって忘れにくい。
物語としてきれいなのは、
最初に神託を聞きに行った友が、最後の法廷でも師のそばに立つ形でしょう。
でも、カイレポンはそう残らない。
入口にはいる。
けれど結末にはいない。
その欠け方のせいで、この人の名前は、
ただの脇役よりずっと強く残ります。

〖おわりに〗
カイレポンは、大きな思想を残した人ではありません。
けれど、ソクラテスのために神にまで聞きに行った。
しかも町では、少し変な男として笑われてもいた。
それでも、その一度の行動は、本当にソクラテスを動かしてしまった。
そしてその人は、最後の場にはいない。

当時戦争する前には神託聞きに行くことが
敵味方問わず習慣でした。
【哲学者データ】
名前 カイレポン
時代 前5世紀
出身 アテナイ(スフェットス区)
系統 ソクラテス系周辺人物
師 ソクラテス
弟子 不明
立場 友人・熱心な支持者
活動 アテナイ、デルポイ
著作 現存なし
特徴 デルポイ神託を聞いた人物として有
名。三十人政権期の追放、裁判前の死
も重要。
【次の記事】
【前回記事】
【哲学者まとめ記事】

