ライオンなのに、どこか穏やか。「マルゾッコ」に癒される【フィレ春紀行④】
歴史小説『フィレンツェの春』にまつわるよもやま話を綴ります。
お暇な折、眠れぬ夜のお供に、楽しんでいただければ幸いです♡
第四弾は「マルゾッコ」!ライオンなの?丸いの?マゾなの?筋肉隆々でマッチョなのに、なんかカワイイよ。
そんな、フィレンツェ共和国を象徴する獅子、百合の守護者のお話。
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ライオンなのに怖くない

あれ?
ライオン、獅子っていったら、もっと牙をむいてるものじゃない?
だって食物連鎖の頂点、「百獣の王」ですよ?
けどこの子、百合の盾を右の前足で支えて、なんだか穏やかな表情で座ってますね。
もちろん威厳はたっぷりある。けれど、どこか肩の力が抜けていて、ほんわかしたかわいさもある。
実はこれ、わざとなんすよ。
名前の正体。「マルゾッコ」って何よ?
あと名前。
マルゾッコ……って何?
強いんだか、丸いんだか、ぞっこんなんだか、よく分からないじゃないすか。
語源にはいくつか説があるようで、有力なのは古代ローマの軍神「マルス Mars」に由来するというもの。
マルスはギリシア神話だと「アレス」で、荒ぶる軍神です。見境なく暴れてほかの神に怒られたりする。
でも、いま目の前にいるのは「荒ぶる神」というよりお昼寝後の猫みたい。
これ、名前の由来を紐解くと半分以上理由が分かります。
古代ローマの時代、フィレンツェの守護神は件(くだん)のマルスだった。
時代が下って中世、キリスト教の時代になると異教の神マルスは崇められるわけにもいかず、かといって忘れられるでもなく町の伝説的な存在になるんすよ。
で、フィレンツェが民主制の独立国家「フィレンツェ共和国」へと発展していく中で、市民たちは新たに共和国の主権と自由のシンボルとして「ライオン」を採用するようになる。
こうして、古来の守護神「マルスの」という形容詞「Marzius」と「小さく親しみのある」というニュアンスを付与する接尾辞「-occo」とがひとつになり「マルゾッコ Marzocco」という名が生まれ、晴れてこのライオンがそう呼ばれるようになった、と。
だからMarzoccoをあえて訳せば「マルス坊や」くらいのニュアンス。かわいい。
だから穏やかで、ほんわかして丸かわいいんです。
百合の守護者
さてこのライオン。盾からも分かるように、何かを守ってます。
前足の、おそらくはぷにぷにの肉球でそっと支えられているであろうこの盾。気持ちよさそう。
そこに描かれているのは、フィレンツェの紋章「ジリオ(百合)」です。
かのダンテが「内乱の血によって赤く染められた」とか評したやつ。

これはフィレンツェが「フローレンティア(花咲く所)」とラテン語で呼ばれていた時代から、この町そのものの象徴。
つまりマルゾッコは、
「このライオン、強えんすよ」ってことをただ見せるのではなく、
「共和国は、この由緒ある花の都を守る」
という意思を示している。
牙を剥かない。
剣も振るわない。
ただ静かに座り、(なんなら肉球で)この百合を守る。
かっこよくもあるよね。
ドナテッロ、さすが分かってるなぁ
さっきの画像のマルゾッコを作ったのは、あのドナテッロ。
本編の【13】では彼のダヴィデ像の前でメディチ兄弟が剣術の稽古をする場面などがありますが、あの、泣く子も黙る巨匠です。
だからよく見ると、ほんと絶妙にできてる。
肩幅は広く、前脚も太く、おまけに胸板も分厚い。
「百獣の王」の強さが一目で伝わる。
それでいて、佇まいは妙に優しい。
表情がまたいいんすよ。
目元には険しさではなく落ち着きが宿る。
口元も、威嚇するのではなく「うん、いつでも動けるよ。けど、今その時じゃねえから」とでも言いたげに半開き。
強さを誇示するんじゃなくて、穏やかな、秘めたる強さを表現している。
新プラトン思想(ネオ・プラトニズム)でおなじみ、理性で制御された獣性にも通じる考え方。
だから見ていて安心する。癒されるまである。
このあたり、本当に分かってるなぁ、さすが巨匠。
『フィレンツェの春』本編では
今までに二度、登場願いました。

ヴェネツィアの「サン・マルコの獅子」は福音書を手に翼を広げ、フィレンツェの「マルゾッコ」は百合の盾を支え、どちらもゆったりと座り、穏やかな表情で見つめあう。
一度目は、ヴェロッキオ作の大理石レリーフのなか(キャプションつけて実在の作品っぽくしてますが、実はVviciの創作。こういうことあるんで注意してください)。
翼を持つヴェネツィアの獅子と、百合を抱くフィレンツェの獅子。
向かい合う二頭が、優しく同じオリーヴの木を分かち合っています。
戦争ではなく、外交。力任せではなく、均衡。
そんな二つの共和国の政治的理想を表現する場面でした。
そして二度目。
ロレンツォ・デ・メディチに向かって、ヴェネツィア特使ピエトロ・ロレダンが吹っかけます。
「マルゾッコは、腹で悪さをする虫が既にわかっている、そういう口ぶりだが」
ここではマルゾッコという名前が、そのままフィレンツェ共和国の人格(獣格?)を指すものとして使われます。
ここがまあルネサンス的レトリックのシビれるところで、その共和国の意思を体現するのがロレンツォとなるわけで。
ひと言で「共和国」と「一人の政治家」の距離感を潰し、おまけに「獅子身中の虫」のシャレも効いている。自分でもかなりお気に入りの場面。
あと、少し余談ですが、軍神マルスといえば、ロレンツォの弟ジュリアーノ・デ・メディチもマルスに譬えられるじゃないですか。
ボッティチェリも眠りこけるマルスをジュリアーノをモデルに描いたりしてますが、あれ、マルゾッコを調べる前はちょっと違和感があった。
だってメディチの貴公子ですよ?稀代の演出家ロレンツォ・デ・メディチがプロデュースする理想の騎士が、見境なく暴れまわって顰蹙を買う荒ぶる神って、おかしいじゃないすか。
でも、今見たようなフィレンツェ的文脈を踏まえると、腑に落ちましたね。
だって強くてキュートな「マルス坊や」だったら、ジュリアーノにぴったり。みんなメロメロ、もといゾッコンなわけですよ。
フィレンツェのアニマルセラピー
その獅子は、怒らない。
今は、その時ではない。
町は守られている。
百合は、可憐な紅でそこにある。
しかしいざとなれば、いつでもその強さを発揮する用意がある。
そんな静かな自信が、マルゾッコの穏やかな表情に込められている。
フィレンツェの街を歩くと、彼が思いのほか多くの所にいるのがわかる。
ヴェッキオ宮、サンタ・クローチェの像はもちろん、街灯の台座や鉄柵のモチーフ……カフェのエスプレッソマシーンに至るまで。
見るたびに思う。
この誇り高き獅子は、敵を怖がらせるためではなく、市民を安心させるために何百年も座っているのだ、と。
今日も、そんなマルゾッコに癒される。
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