私が自叙伝を薦める訳(自己紹介)
人はいつ死ぬのだろうか。
心臓が止まった時だろうか。
呼吸が途絶えた時だろうか。
でも、人は必ず死んでいく。
手渡された武者小路実篤の晩年の手記を読んでみた。
実篤は90歳まで生きた。
世間で言えば、大往生である。
しかし、その最晩年の文章には、静かな変化が現れていた。
89歳の時に書かれたゴッホ論には、
「神経質な顔」という表現が何度も繰り返し登場する。
同じ言葉。
同じ意味。
同じ文章。
まるで壊れたレコードが、同じ箇所を何度も回り続けるように。
若い頃の実篤なら、決してそのままにはしなかっただろう。
何度も推敲し、言葉を磨き上げたはずである。
しかし、晩年の彼は違った。
書いたことを忘れる。
忘れるから、また書く。
また忘れて、また書く。
原稿用紙の上に、少しずつ記憶がこぼれ落ちていく。
その姿を見た山田風太郎は、実篤を「同じレコードを一生回し続けた人」と評した。
もともとその言葉は、実篤の人生観を表していた。
「人間万歳」 「仲良きことは美しき哉」
人を信じる。
人生を肯定する。
幸福を求める。
90年近く、同じメッセージを語り続けた作家であった。
しかし、晩年になると、その言葉は少し違った響きを帯びる。
思想として同じレコードを回していた人が、
今度は記憶の衰えによって、本当に同じレコードを回し続けるのです。
どこか切なく、少し残酷な気がする。
それでも。その姿に深い人間らしさを感じる。
人は記憶によって自分を保っている。
だから認知症を恐れる。
忘れることを恐れる。
しかし、実篤の晩年を見ると、別の景色も見えてくる。
記憶は薄れていった。
文章も崩れ始めた。
それでも彼は最後まで、人間を信じ続けた。
人生を肯定し続けた。
幸福を語り続けた。
頭の中の言葉が消えても、その人の根っこにあるものは残るのかもしれない。
私の周りで80歳を過ぎた人たちには、補聴器をつける人も増えている。
人の名前がすぐに出てこないこともある。
昨日会った人の顔を思い出せないことさえある。
老いとは、少しずつ何かを失っていく旅路のようです。
最後まで守るべきものは記憶力や知識ではないように思う。
何を信じて生きてきたか。
何を愛してきたか。
誰のために尽くしてきたか。
その人の人生の芯こそが、最後まで残るのではないだろうか。
そして、次のような気がする。
人は必ず死ぬ。
肉体はいつか土に還る。
しかし、人間にはもう一つの死がある。
それは、その人のことを誰も思い出さなくなった時である。
ある人はこう言った。
「人は二度死ぬ。最初は肉体が死んだ時。
二度目は、人々の記憶から消えた時。」
この言葉に深く頷いてしまう。
人が生きた証とは、財産の額ではない。
肩書きでもない。
どれだけ誰かの心に残れたか。
どんな言葉を遺したか。
どんな生き方を見せたか。
それこそが、本当の遺産なのだと思う。
武者小路実篤は亡くなった。
肉体は消えた。
けれど100年以上経った今も、
私たちは彼の言葉に触れ、その人生を語っている。
それは、まだ彼が生きているということなのかもしれない。
だから私は、自叙伝を書く仕事に心を惹かれる。
人は忘れる。
やがて老いる。
そして、死ぬ。
けれど、その人が歩いた人生の物語は残せる。
妻へ。
子どもへ。
孫へ。
友人へ。
そして、その先の家族の未来へ。
人生を書き残すことは、過去を整理するためだけではない。
その人が確かに生きた証を、誰かの記憶の中へ手渡していくためなのだ。
人は二度死ぬ。
だとすれば、自叙伝とは二度目の死を少しだけ遠ざけるための、本当にささやかかもしれませんが、尊い営みなのような気がします。
だから私は、
人生を記録し、
言葉で未来へ手渡す仕事に、
大きな意義と魅力を感じました。
人生の編集人。
人生を編集し、言葉で未来へつなぐ仕事をしています。
自叙伝と聞くと、多くの人は、
「立派な人が書くもの」
「有名な人だけのもの」
そんなイメージを持たれるかもしれません。
でも、そうではありません。
人生には、誰一人として同じ物語はありません。
戦後の何もない時代を生き抜いた人。
明日は今日より豊かになると信じ、高度経済成長を支えてきた人。
日本が元気だった時代に、会社のため、家族のために懸命に働いてきた人。
子どもの成長に喜びを感じ、子育てに人生を捧げてきた人。
後継者という使命を背負い、家業を守り続けてきた人。
病と向き合い、どん底から死生観を見出した人。
失敗を繰り返しながらも、今日まで歩き続けてきた人。
家系図を眺めながら、ご先祖から命が繋がってきたことに、
命の尊さを感じた人。
そのすべてが、かけがえのない人生の物語なんです。
私が制作しているのは、単なる「自叙伝」ではありません。
ご本人への丁寧なインタビューを重ね、
想い出の一枚一枚の写真を回想させながら、
人生という時間を、一冊の物語として編集していきます。
それは、
また、自叙伝だけではなく、
ご先祖から現在までを紡ぐファミリーヒストリー(家族の歴史)。
創業者の想いを未来へ伝える社史や記念誌。
経営理念や会社の物語、。
ホームページやパンフレットの文章制作など、
人の想いを、言葉という形で未来へ残す仕事をしています。
それは、個人から企業へ、そして次の世代へと受け継がれていきます。
次の世代へ届ける仕事をしてきました。
創業者の人生を聞くたびに、
「この言葉は、残しておきたい。」
そう思える瞬間が、何度もありました。
何もない人生だったとは思いません。
どれだけ笑ったのか。
どれだけ泣いたのか。
誰を愛し、誰に支えられて歩いてきたのか。
何もないと思っていた人生にも、
振り返れば、たくさんの人が登場しています。
家族がいて、友人がいて、恩師がいて、仲間がいる。
その一人ひとりが、
あなたの人生という風景に色を添えてくれていたのだと思います。
だから、一冊の自叙伝は、単なる記録ではありません。
その人の人生を彩ってくれた人たちへの感謝でもあり、
未来へ手渡す、大切な贈り物でもあるのです。
もし、このnoteを読んでいただき、
●「父や母の人生を、子どもや孫へ残しておきたい。」
●「自分が歩んできた人生を、一冊の本にしておきたい。」
●「会社を創った時の想いを、次の世代へ伝えておきたい。」
そう思われた方がいらっしゃいましたら、
どうぞお気軽にご相談ください。
人生は、いつか終わります。
しかし、生きた人生の物語は、未来へ残すことができます。
人生は、一度しかありません。
だからこそ、その人生を語り継げるものであってほしい。
そんなお手伝いができることを、心から幸せに思っています。
人生の物語は、書くことから始まるのではありません。
誰かに語ることから始まります。
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