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デリバリーのお兄さんに、ゴミ捨てをお願いしてみた

先日、デリバリーのお兄さんに、ゴミ捨てをお願いしました。

日本にいたら、たぶん絶対にしなかったことです。

今、私はタイで暮らしています。

住んでいるところの近くには放し飼いの犬が10頭ほどいて、発情期なのか最近よく吠えます。

私は犬そのものが苦手というより、急に吠えられると強い恐怖心が出るタイプです。

ゴミ捨て場までは、家からたった30メートルほど。
まさに目と鼻の先。

真昼間でも突然吠えられることがあるので、ゴミ捨てに行くたび、ちょっと身構えてしまいます。

「今日はゴミ捨てに行きたくないな……」

そんなことを思っていたある日、ちょうどデリバリーを頼みました。

荷物を届けてくれたお兄さんを見ながら、ふと思ったのです。

この人に、ゴミも一緒に持っていってもらえないだろうか。

もちろん、デリバリーの仕事にゴミ捨ては含まれていません。

だから、チップを渡してお願いしてみることにしました。

「犬が怖いので、このゴミをゴミ箱まで持っていってもらえませんか?」

お願いすると、お兄さんは特に驚く様子もなく、あっさり引き受けてくれました。

「え、いいの?」

拍子抜けするくらい簡単でした。

そして同時に、私はちょっと不思議な気持ちになりました。

なぜなら、日本にいたら、こんなお願いはなかなかできなかったと思うからです。


たぶん日本にいたら、お願いする前に、頭の中でいろいろ考えます。

「30メートルぐらい歩けばいいじゃん」

「そんなこと頼んだら迷惑じゃない?」

「ゴミくらい自分で捨てればいいのに、と思われない?」

「図々しい人だと思われたら嫌だな」

「そもそも、その人の仕事じゃないし」

そして結局、

自分でできることなんだから、自分でやろう。

となる。

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。

でも今回、ふと思いました。

私たちはいったい、誰に遠慮しているのでしょう。

相手はまだ何も言っていません。

迷惑だとも、図々しいとも言っていない。

断られたわけでもない。

なのに自分の頭の中にはすでに、

「そんなことを人に頼んではいけない」

という声がある。

この声は、いったいどこから来たのでしょう。


「承認欲求」というと、

褒められたい。

認められたい。

すごいと思われたい。

そんな欲求を思い浮かべる人が多いかもしれません。

でも、もっと見えにくい承認欲求があります。

それは、

嫌われたくない。
迷惑な人だと思われたくない。
ちゃんとした人だと思われていたい。

という気持ちです。

目立ちたいわけではない。

むしろ逆です。

周囲からはみ出さず、「普通の人」「感じのいい人」でいようとする。

だから本人にも、承認を求めているという自覚がほとんどありません。

私自身も長い間、承認欲求が強い人間だとは思っていませんでした。

でも、こういう小さな場面を見ていると、

「私は、人からどう見えるかをずいぶん細かく気にしていたんだな」

と思います。


文化人類学では、自分にとって当たり前だったものが、別の文化に入ることで見えてくることがあります。

ずっと同じ場所にいると、「普通」は普通のままです。

でも環境が変わると、

「あれ?」

と思う瞬間がやってきます。

今回の私にとっては、それがゴミ捨てでした。

タイにいると、日本にいたときよりも、人にちょっとしたことをお願いする場面が増えました。

もちろん、タイの人はみんな人に頼るとか、日本人はみんな頼れないとか、そんな単純な話ではありません。

ただ、環境が変わったことで、

「人に迷惑をかけないように、自分のことは自分でする」

という、自分の中に染み込んでいたルールが見えやすくなったのだと思います。

私はそれを、自分の性格だと思っていました。

でも、性格だと思っているものの中にも、文化から身につけたものはたくさんあります。


もちろん、人に何でも押しつければいいわけではありません。

相手には断る自由があります。

こちらも、相手への敬意を持つ。

必要なら対価を払う。

そのうえで、お願いしてみる。

それだけのことです。

お願いすることと、相手を利用することは違います。

そして、

「頼んではいけない」と自分の中だけで結論を出してしまうことも、相手の選択肢を奪っているのかもしれません。

相手が嫌なら、断ればいい。

引き受けてもいいと思ったら、引き受けてくれる。

人間関係って、本当はもう少しそのくらいシンプルなのかもしれません。


デリバリーのお兄さんにゴミ袋を渡しながら、私はほんの少しだけ、自分の中の「当たり前」を外してみました。

世界は何も壊れませんでした。

お兄さんも怒りませんでした。

私はゴミを捨てに行かずにすみました。

たったそれだけの出来事です。

でも、こういう小さなところに、

「迷惑をかけてはいけない」

「ちゃんとしていなければならない」

という、見えない承認欲求は隠れているのかもしれません。

自分でできることを、全部自分でやる。

それは本当に「自立」なのでしょうか。

最近の私は、ときどきそんなことを考えています。


「見えない承認欲求」シリーズ

「承認欲求なんて、自分にはあまりない」と思っていた私が、日常の中にひそむ“見えない承認欲求”を、人類学の視点から考えていくシリーズです。

バックナンバー

「迷惑をかけたくない」「嫌われたくない」「ちゃんとしていたい」。

そんな、一見すると承認欲求には見えない気持ちの奥に何があるのか。これからも、日常の小さな出来事から考えていきます。

人類学的思考で書いたエッセイシリーズ

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武田和歌子 (Wakako TAKEDA)|人類学者 私の記事が役に立った、面白かった、笑ったと思った方のサポートお待ちしております!いただいたサポートは更に良い作品を作るためのインプットや、他の素敵なクリエーターさんへのサポートに使いたいと思います。