登山道は誰かが守っている|黒法師岳で考えたこと
登山を始めた頃、
登山道は最初からそこにあるものだと思っていました。
標識もある。
道も続いている。
山頂まで迷わず歩ける。
それが当たり前でした。
でも本当は違います。
消えてしまう道
山は放っておくと自然に戻ります。
笹は伸びる。
倒木は増える。
踏み跡は消える。
深南部を歩いていると、それを強く感じます。
数年整備が入らなければ、道はあっという間に自然へ飲み込まれてしまうでしょう。
気づかない仕事
登山道整備は不思議です。
上手くいっている時ほど気づかれません。
道が歩きやすい。
標識が分かりやすい。
迷わない。
それが当たり前になるからです。
でも実際には、
誰かが山へ入り、
刈り払いをして、
倒木を処理し、
標識を運んでいます。

黒法師岳で思ったこと
今回、黒法師岳へ標識を設置する機会をいただきました。
標識そのものは決して大きなものではありません。
ですが、
その標識があるだけで、
初めて訪れた人は安心できます。
写真も撮れます。
自分がどこにいるかも分かります。
当たり前のようで、
実は当たり前ではない。
そんなことを考えながら歩いていました。
目立たない仕事
登山道整備は、
山頂に立つことよりも目立ちません。
SNSで話題になることも少ない。
でも、その活動があるから私たちは山を楽しめます。
誰かが歩くために。
誰かが迷わないために。
誰かが無事に帰るために。
そう考えると、山の景色が少し違って見えました。

これから山へ行くとき
次に山へ行ったら、
少しだけ足元を見てみてください。
笹が刈られていること。
標識が立っていること。
倒木が片付けられていること。
そこには名前も知らない誰かの時間があります。
関連記事
実際に黒法師岳で標識を設置した日の記録です。
▶ 【南アルプス深南部】黒法師岳|野鳥の森から往復21km・標識を届ける山行
▶ 当たり前にある標識の裏側|黒法師岳へ再び標識を届けた日
おわりに
登山道は自然の中にあります。
でも、自然だけでは成り立ちません。
歩く人。
守る人。
支える人。
その積み重ねの上にあります。
今回の標識設置を通じて、
私はほんの少しだけ、その側面を見ることができました。
これからも山を歩きます。
そして以前より少しだけ、
登山道に感謝しながら歩く気がしています。
山へ行く理由は、山頂や絶景だけではありません。
ふとした出会いだったり、
誰かの言葉だったり、
あとになって思い出すのは、そんな小さな出来事だったりします。
この出来事もまた、私の中に残った「山で出会った記憶」のひとつです。
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