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【怨毒】~保健所職員 百武凛太朗の調査事例~ 最終話(全10話)

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 軽井らしき人物が病院に現れたら連絡して欲しい――そう伝えておいた川原医師から、ギャル風の女性が粕谷の病室から出て行くところを見たと電話があった。粕谷の知り合いには、他にも似たような風貌の女性がいるかもしれない。だが凛太朗は急いで山本に連絡してから、公用車に飛び乗った。

 病院に到着するなり、速やかに粕谷の病室へと向かう。そこにいた川原によると、眠っていたという粕谷の状態をあれこれ確認したが、特に機械や点滴などに細工を行われた形跡はなかったとのことだった。

 川原は警備員にも探すよう連絡してくれていたが、引き留められていた女性二人はどちらも軽井とは別人だった。だが川原が目撃した女性とも違うとのことで、共に探し続けるうちに、やがて病棟の屋上庭園にたどり着いた。

 向こうの柵にもたれるように、短めのファーコートを羽織った背中が見える。

「彼女だ」と川原が小声で言うと、足音を立てないように二人でそっと近づいた。女性はスマホを片手に眼下に広がる街並みを眺めているが、場所があまりよろしくない。自棄になって飛び降りられたらいけないし、充分に近づいてから慎重に声を掛けた方がいいだろう。

 だが距離を詰めきれないうちに、女性はこちらを振り向いた。黒目がちの瞳は、縁を大きくするカラコンで覆われているのだろう。人形のような瞳が、一拍遅れてぬらりと泳ぐ。

「ふふ、警察より早かったですね」

 凛太朗が言葉の意味を飲み込むより前に、軽井は言葉を続けた。

「まさか保健所さんが、死亡者も出ていないただの食中毒で、ここまで細かく調査してくれるとは思いませんでした。それとも、モブさん個人がおせっかいなのかな?」

 今日の軽井の化粧も服装も、いつも通りのデコ盛りだ。だが口調が先日と違うことに驚きながら、凛太朗は答えた。

「……食中毒ってね、けっこう深刻なんですよ。放っておくと被害がさらに広がる可能性もありますから。ただ患者さんが一人だけなら、原因不明で終わることも多いんです。だからこう言うのもなんですが、粕谷さんただ一人が末端紅痛症になったぐらいなら、ドクササコが原因だと断定することは不可能でした。それなのに、貴女はなぜ怨霊騒ぎなんて起こして、あえてバレるような行動を取ったんですか?」

 彼女がドクササコを飲ませたという証拠はない。しかし駄目で元々と鎌をかけてみると、軽井は事もなげに答えた。

「それはね、注目されたかったんです。ネットでバズって、有名になりたかった」
「有名に? そんな理由で、こんな酷いことをしたんですか!?」

 真っ赤に爛れた粕谷の姿を思い出し、凛太朗は思わず声を荒らげる。対する軽井は、小さく口角を上げただけだった。

「その通りです。規則や制度が変わるのは、誰かが何かをやらかして、注目が集まったときなんです。騒ぎを大きくすれば、何らかの制度を見直す動きが生まれるかもしれない。それにあの動画が有名になったおかげで、被害者である粕谷の実名が毎日何千件とネットを流れているでしょう? 私の姉さんは、自殺した女子中学生として何度も実名が報道されました。あいつは未成年だからって、一度も報道されなかったのに!」

 徐々に声のトーンを上げていた軽井は、そこでハッとしたように声を落として続けた。

「しばらく怨霊の呪いということにして、もっと大衆の興味を煽りたかったんだけど……思ったより早く保健所さんが調査に来たときはびっくりしましたよ。どうかとっても凶悪な毒キノコ事件として、保健所さんからもマスコミに発表してやってくださいね」
「それは……」

 つまり、この自白までが彼女の描いた台本通りだったということか。やはり自棄になっているだろう彼女を何とか説得し、もしくは危険がないよう取り押さえなければならない。

(だが、なんと言えば……)

凛太朗が言葉を探していると、軽井は思い出したように言った。

「ああそうだ、事件の結末を送らなきゃ。みんなオチの動画を待っているんです」

 軽井はニッコリ笑って、川原医師に目を向ける。

「ねぇ先生、あいつのちんこはもげましたか?」

 絶句する凛太朗の横から、川原の苦々しい声が小さく聞こえた。

「いや、まだ脱落までは……」
「まで、ということは、壊死はしたってところかな。じゃあこれでクリアっと」

 軽井は楽しげに言うと、ずっと手にしていたスマホをぽちっとタップした。オチだという動画が送信されたのだろうか。

 医師らしくない失言をした川原の方に目をやると、彼はしまったという顔をしていた。あの軽井のあけすけな台詞は、動揺を誘う目的があったのかもしれない。

「……これは、さすがにやりすぎではないでしょうか。何より、あなたの大事な人生を、こんなことで棒に振る必要なんてなかったのに……」

 凛太朗がなんとか言葉を絞り出すと、軽井が一歩こちらに近づいた。

「百武さんって、優しいんですねぇ」

 秋の穏やかな光の中で微笑む彼女に、思わず一歩後ずさる。

「他人に優しくできるほど、心に余裕のある人生を送ってきたんでしょうね。私の人生、もうとっくにめちゃくちゃです。タダ同然の安い賭けでしたよ?」

 凛太朗にも集団食中毒という理不尽で、長年の夢の舞台に立ち損ねたという過去がある。前日の練習中に頼んだ弁当が原因で腹痛を起こし、本番の試合に出られなかったのだ。

 だから市販の弁当には、未だに少し抵抗がある。しかし支えてくれる周囲に恵まれて、食品衛生という新たな道を見つけることができた。それに対して彼女が味わった理不尽は、自分のトラウマなどとは比べものにならない絶望だっただろう。

 今はどんな言葉をかけても安っぽい説教にしかならない気がして、凛太朗は口を噤んだ。

「私の姉さんは、あいつのせいで傷つき膿んだ身体に苦しんだ挙句、子どもを望めない身体になりました。だからこれで、おあいこです。ここから先は、あいつ自身が選ぶ番です」

 軽井はさらに、こちらへ一歩踏み出した。

「さあ、行きましょうか」

 空は、晩秋の吸い込まれるような蒼穹。
 彼女は晴れ晴れとした顔で、両手のひらを差し出した。


 《了》

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