【怨毒】~保健所職員 百武凛太朗の調査事例~ 第9話(全10話)
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さて準備はできたが、他に大きな事件があれば動画なんて陰に隠れてしまうかもしれない。巷では女児の失踪事件が話題になっていて、優美花は落ち着くまで様子を見ることにした。しかし公開された監視カメラの映像から、犯人はどうやら少年ではないかと大々的に報道されたのだ。
――世間の注目が『少年』に集まっている、今がチャンスだ。
優美花は、行動を開始した。
未開封のペットボトルの首をカッターで切り取ると、湯煎で柔らかくして中の透明なボトル部分をペンチで内側に小さく折り曲げ、キャップの中から抜き取った。これが可能なのは、ペットボトルの軟化温度が沸騰水よりほどよく低いためだ。
ペットボトルの名の通り、ボトルはPET樹脂でできている。本来PET樹脂は耐熱性に優れているが、薄いボトルに加工された場合は八十度程度まで軟化温度が下がるのだ。PP樹脂で出来たキャップは本体より少しだけ丈夫だから、一緒に曲がることはない。
優美花はもう一本同じコーヒー飲料のペットボトルを取り出すと、普通に捻って開封した。開封済を示すリングを先が尖ったハサミで慎重にカットして外すと、例の粉をボトルの口へとパラパラ注ぐ。先ほど外した未開封キャップを飲み口に当て、くるくる回せば完成だ。
未開封にしか見えないボトルを渡すのは、ごく簡単なことだった。
七日後。優美花は髪にストレートアイロンを丁寧にかけてから、黒戻しクリームを塗り込んだ。姉の制服に似た印象のシンプルなブラウスとタータンチェックのスカートに、それをすっぽり包むコートを羽織る。すっぴんのまま地味な眼鏡をかけてマスクをすると、ポケットに形見のリボンを忍ばせた。
午後二時から八時の面会可能時間まで、病棟への出入りは自由である。正式には受付で名前を書くのだが、面会の途中に売店に行こうと出入りする人も多いから、周囲に溶け込む見た目ならば受付をスルーしても見咎められることはない。手には大きいバッグではなく、いかにもちょっと買い物に出た感じの小さなビニール袋を下げた。
ひと気のない階段の突き当りで深夜を待つと、優美花は粕谷の眠る病室に忍び込んだ。無人のベッドの影にしゃがみ込み、マスクと眼鏡をポケットに入れる。代わりに出したハロウィン向けの真っ赤なカラコンをつけてから、ビニール袋からパンを模したポーチを取り出し、口を開いた。
青いコントロールカラーを全顔にのっぺり塗って肌から血色を消し、唇にはコンシーラー。仕上げに白浮きしやすいことで有名なファンデをはたくと、ブラウンのパレットで眼窩に深いグラデーションを描く。
ここまで、ものの五分もかからない。優美花はコートを脱いでリボンを付けると、粕谷のベッドのカーテンを開けた。レコーダーのスイッチを入れ、枕元灯をつける。それでもまだ起きないので肩を小突くと、粕谷はようやくうっすらと目を開けた。
――充分な音声素材が取れたので、優美花はカーテンを出た。写真は昨日の夕刻に下見を兼ねて見舞いに来たとき、スマホをいじるフリをして消音カメラで撮影しておいた。これだけあれば、数分程度の動画を作るには充分だ。
優美花はメイク落としシートで顔を拭うと、ソフトタイプのカラコンを外して口に入れた。コートを羽織って眼鏡をかけ、夜間出入り口から外に出る。産科や小児科、救急などもある大病院だから、夜間の出入りがそこそこあった。入る方は確認されるが、出る方はノーチェックである。もっとも、これが騒ぎになったら出る方も厳しくなるかもしれないが。
数日後。いつも通り仕事をしていた優美花のスマートフォンに、ある通知が表示された。自宅ドアに仕掛けておいた開閉センサーから、スマートスピーカー経由で届いたものだ。思っていたより早かったが、そろそろ充分な頃合いだろう。クローゼットの中に置いてきたコートの照会は、すぐに済むはずだ。
あのリボンの意味には、気づいてくれただろうか。一人残った娘の名が報道されたら、あの父も少しぐらいは動揺を――。
――いや。どうせまた、他人のフリをするに決まってる。
「尾羽ちゃん、ちょっと郵便出しに行ってくるねー」
優美花が郵便物の束を持って立ち上がると、尾羽が顔を上げた。彼女はわざわざ老眼鏡を外してこちらと目を合わせると、心配そうな声音で言った。
「気をつけて行ってくるのよ!」
「だからもぅ、ウチそんな子どもじゃないし!」
優美花は子どものように口ごたえしながら笑いかけると、小さく手を振った。
「そんじゃ、行ってきまーす。尾羽ちゃんも身体に気をつけてね、もーイイ歳なんだからさ!」
「あらもう、失礼ねぇ」
苦笑しながら手を振り返す尾羽に背を向け、優美花は事務所を後にした。
