【怨毒】~保健所職員 百武凛太朗の調査事例~ 第1話(全10話)
【あらすじ】
あなたの、「死ぬより嫌なこと」って、何ですか?
保健所に勤める凛太朗のもとに、市民病院から一本の通報があった。毒キノコの食中毒らしき入院患者がいるというのだ。その患者は「末端紅痛症」という、身体のあらゆる末端が紅く腫れ、激しい痛みが続く症状に悩まされていた。だが患者は、キノコなんて食べた覚えがないという。
手がかりのないまま調査を「原因不明」で終えた頃、今度は患者が「怨霊を見た」と言い出した。その翌日、患者が怯える様子を撮影したらしき「呪ってみた」動画が、有名配信者の手により拡散される。
「もしやこれは事故ではなく、事件なのでは?」そう考えた凛太朗は、調査を再開したのだが――。
【目次】
第1話/第2話/第3話/第4話/第5話
第6話/第7話/第8話/第9話/最終話
※第2話以降のURLは、記事末尾にもあります。
――こいつさえ、いなければ。
「おい、コーラ買ってこい!」
「えっ、でも、今日もう千円こえていて……」
僕が語尾を濁すと、痩せた野良犬のようなヤンキーが眉を吊り上げる。
「あぁ? こないだ例の一万やっただろ。センパイの頼みに、ケチくさいこと言うなよぉ」
なれなれしく腕を回されて、僕はこいつと同じロゴが入った作業着の肩を竦めた。
「わ、わかりました……」
蠅のようにタカられた金額は、一万円だなんてもうとっくに超えている。だが逆らうことはできない。僕は遺失物横領の共犯になって、いや、されてしまったからだ。粗大ゴミから出てきた封筒を見せられたとき、下心が全くなかったといえば嘘になる。だがその結果待っていたのは、奴隷のような日々だった。
――こいつさえ、いなければ。
僕は目についた自販機に駆け寄ると、ポケットから小銭をつかみ出した。残暑に汗ばむ冷たいボトルを差し出すと、こいつはすかさず引ったくって封を切る。
プシュっという鋭い音がした瞬間、こいつはボトルを深く傾け、強炭酸を一気に飲み干した。その暴挙に呆気に取られていると、突然、ニヤけ面が眼前に迫る。理解不能な事態に硬直していると、ゲファッと盛大なゲップが顔に吹きかけられた。
「うわぁっ……!」
アスファルトに尻もちついた僕を見て、こいつは今日もゲラゲラと下品に笑っている。
「くっせぇ……」
座り込んだまま思わず小声を漏らすと、横っ腹につま先がめり込んだ。潰れた肺から、ひゅっと鋭く息が漏れる。最近よく思うことだが、本当に痛い時は痛いとすらも言えないらしい。
「おい、早く立てよ。この服で人に見られたら、また役所にチクられて面倒だからよ」
言葉とは裏腹に、二発目のつま先が太腿に刺さった。
――こいつさえ、いなければ。
飲み終えたペットボトルを、こいつはいつものようにパッカー車に投げ入れた。透明なボトルはたちまち回転板に捻り潰され、あっという間に奥へ奥へと飲み込まれてゆく。
今日は燃えるゴミの日、ペットボトルは資源ごみだ。汚い金髪がパッカー車の助手席に消えたのを見届け、僕は呟いた。
「こいつさえ、いなければ――」
◇ ◇ ◇
「はい、東多摩保健所、生活環境安全課です」
『稲田市民病院の川原だけど、食品衛生係の百武さんお願いできますか』
受話器から聞こえた馴染みの声に、凛太朗は思わず年季の入ったスチール製のデスクに向かって会釈した。
「これは川原先生、お世話になっております。百武です」
『ああモモブ君、ちょうどよかった』
受話器ごしでも分かる川原医師の嬉しそうな声に、凛太朗は軽く首をかしげた。
「ええと、ご用件は食中毒の届出でしょうか?」
確かに自分は食品衛生係の職員だが、二年間の事務職を経て、昨年ようやく食品衛生監視員の資格を取ったばかりの新人だ。消化器内科医長の川原医師とは同郷のよしみで会えば雑談などする仲だが、わざわざ下っ端をご指名とは、一体どういう理由なのだろう。
『それが……ちょっと断言は難しいんだけどさぁ。今うちの病院に末端紅痛症の患者が入院してるんだけど、どうもドクササコの中毒っぽい気がするんだよね』
「ドクササコ……ですか!?」
凛太朗が驚きの声を上げると、川原は受話器の向こうで頷いたようだった。
『うんうん、同じ富山のモモブ君なら話が早いと思ったんだよ。まったく循環器のヤツら、誰も信じてくれないんだから』
ドクササコは北陸地方など日本海側を中心に分布するキノコで、その名の通り毒性を持つ。ただその中毒症状は、一般的に想像する食中毒のように消化器系に問題をきたすものではなく、ましてや命を奪うような劇毒でもない。神経毒に分類されるその症状の特徴は、末端紅痛症を引き起こすというものだった。
末端紅痛症とは、四肢を始めとした身体のあらゆる末端が紅く腫れあがり、灼熱性の劇痛発作を引き起こすという心血管疾患の一種である。
ドクササコの摂取によって末端紅痛症が発症すると、一か月以上にわたって激しい痛みに晒されることになり、重度の場合は自殺や衰弱死してしまったケースもあるという。さらにはようやく痛みが引いても、指や鼻、そして男性特有の末梢部などに、壊死・脱落といった後遺症を残す場合もあった。
「どこで食べたか患者さんから聞き取ることはできましたか?」
ドクササコの都内での発見例はないが、山梨県でキノコ狩りに参加したあと帰宅してから発症したという事例がある。食べた量にもよるが、ドクササコ中毒は遅いと七日後に発症するケースもあるのだ。
見た目も味も問題がなく、むしろ良い香りを持つほどで、発症にもタイムラグがある。こういったキノコは採取の熟練者でも間違えることがあり、過去には道の駅で誤って販売されたという事件もあった。
『それがさぁ……本人はキノコなんて食べてないって言ってるんだよね』
だが受話器から聞こえてきたのは、心底弱った声だった。
『末端紅痛症はまだよくメカニズムが分かっていないけど、他の疾患の前駆症状として発症する場合もあるからね。でも他の心当たりを検査しても異常はないし、僕も実際の患者は一度診たっきりだけどさ、どうにもドクササコだって気がしてならないんだよねぇ……』
「それは……弱りましたね」
ドクササコを始めとした食中毒には、患者本人の検査では特定することが不可能なものも多い。本人の証言を軸に、残った食品や製造設備の拭き取り調査などで採取した検体を分析、その結果を根拠としているのだ。そのため本人が「食べてない」と言えば、他の証拠がなければ「食中毒だ」と断定することはできない。
とはいえ見た目が分かりにくい汁物などに調理済みだったり、そもそも食べたこと自体を忘れていたりすることもある。七日分の喫食状況を飲料や間食を含めて完璧に答えられる人は、それほど多くはないだろう。だが、もしこれが本当にドクササコの中毒だったなら、被害が拡大する前に保健所として対策を行わなければならない。
凛太朗は用件を課長に伝えてタイル張りの庁舎を出ると、白い公用車に乗り込んだ。
