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【怨毒】~保健所職員 百武凛太朗の調査事例~ 第3話(全10話)

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 まどろみから引き戻されると、ベッドの側に少女が立っていた。小さな枕元灯に浮かび上がっているのは、濡羽色の長髪に、白ブラウスの華奢な胸元を飾る臙脂のリボンタイ。そして紺地にチェック柄のスカートは、あの日の姿のままだった。

「せっかく忘れてたってのに、なんで今さら出てくんだよ! オレが殺したんじゃない。勝手に死んだヤツが悪いのに、なんでオレがせめられなきゃなんねぇんだ……!」

 清潔に丸められた桜色の爪は、恐怖を煽るようなものではない。だが伸ばされた手に粕谷が怯えたように腕をかざすと、細い指がぎりりと食い込み、腫れた肌に灼けつくような激痛が走った。粕谷は鋭い悲鳴を上げたが、それはいつものこと。もう誰も、助けに来ることはない。

 ひどく落ち窪んだ眼窩から見下ろす瞳は赤々と輝き、深い憎悪に燃えている。

 さらに、もう一本の手が伸びて――粕谷の意識は、そこで途切れた。


      ◇ ◇ ◇


 ――翌朝。凛太朗は出勤と同時に、粕谷の勤務先に直行した。アルミ製のドアの窓ガラスごしに小さな事務所を覗き込むと、四つ並んだデスクの中に女性が一人座っている。

 積み上がったファイルを見れば恐らく事務員なのだろうが、驚くのはその服装だ。秋風の吹く季節にもかかわらず薄手のニットの襟ぐりは深く、両肩が丸出しになっている。派手に巻かれた金髪にはラメ入りの整髪料が塗られているのか、蛍光灯の下でやたらとキラめいていた。

 ゴテゴテと重たいストーンが盛られた長爪で、だが彼女は器用にキーボードを打っている。軽やかな指先に感心しながらドアをノックすると、女性がこちらを向いた。

「あっ、お客さまー? ドーモ少々お待ちくださーい」

 まばたきで風が起こりそうな睫毛をニッコリ細めて立ち上がると、彼女は事務所のドアを開けた。

「先ほどお電話した保健所の者です」
「はやっ、もう来たの!?」

 口もとに手を当て目を丸くした女性に、凛太朗は「すみません」と言って頭を掻いた。警察の家宅捜索とは違い、よほどの緊急時でなければ保健所が抜き打ちで調査に行くことはない。だが大掃除などされてしまっては困るから、立入の連絡は直前になりがちなのだ。

 女性は凛太朗を事務所の中に招き入れると、奥に向かって呼びかけた。

尾羽おばねちゃーん、例の保健所のヒトきたよぉ。ホラ今かすたす入院してるじゃん、あれ食中毒かもーって言ってたやつ!」

 するとファイルが詰まったアルミラックの向こうから、ふくよかな中年女性が顔を出す。

「あらあらまあまあ、ご苦労さまです」
「東多摩保健所の百武です。お忙しいところに恐縮ですが、少しお話聞かせてください」

 改めて名乗った凛太朗と尾羽と呼ばれた女性が深々とおじぎし合っていると、デコ盛りの方の女性が笑った。

「おにーさんの名前、モブってゆうの? 真面目で気弱そうだし、すっげモブ公務員ってかんじ。ウケる」

 確かに職場には真面目そうなタイプが多いが、気弱そうとはどこからきたのだろうか。凛太朗は中肉中背でごく平凡な自分の容姿を思い出し、「確かに」と苦笑した。

「こらこら軽井ちゃん、失礼でしょ!」
「あ、さーせーん」

 軽井と呼ばれた女性は言葉では謝りつつも、どうにも悪びれた様子がない。それどころか、なぜか叱られて嬉しそうに笑っている。不躾なのになぜか憎めない子だなと思いつつ、凛太朗は尾羽に顔を向けた。

「責任者の方はいらっしゃいますか?」
「ああ、社長は収集に出ているんですよ。ホラ、粕谷さんお休みで人手が足らなくて」
「それでしたら構いません。従業員の方が自由に飲める麦茶というものは、どういった形で提供されているのか見せていただけますか?」
「ああ、はいはい、こちらへどうぞ」

 尾羽の後に続いて事務所を出ると、外はまだひやりとした朝の空気を残していた。一面にコンクリが打たれた敷地は広いが、今は作業車らしき姿はない。辺りを見回しながら歩いていると、後をついてきた軽井が物珍しそうな目線を凛太朗の荷物へと向けた。

「てゆーか、モブさんなんでクーラーボックスなんかかついでんの?」
「ああ、これは採取した検体を保存するためのものです」
「へぇ~」

 クーラーボックスの中には、拭き取り検査を行うための綿棒や液体を採取するチューブに、採取した検体をしまうチャック袋、検体番号を書く油性ペンなどが入っている。本件ではあまり出番がなさそうだが、念のためいつものセットを持ってきたのだ。

 事務所から少し離れた大きな倉庫の一角にあるドアを開けると、そこは休憩スペースのようだった。椅子とテーブルがいくつか置かれた部屋の奥には小さなシンクがあり、その横には冷蔵庫が置いてある。尾羽は冷蔵庫を開けると、大きな冷茶ボトルを指さした。

「これのことだと思うんですが」
「なるほど、これを作った方と、この一週間に飲んだ方の名は分かりますか?」
「この麦茶を毎朝用意してるのはあたしですけど、従業員なら誰でも飲めるから、誰が飲んだかまでは……。今のところ、他にあたったって話は聞かないですけどねぇ」

 困ったように首を振る尾羽に、凛太朗は質問を続けた。

「お茶を煎じる際に、何か他のものを入れてはいませんか? サルノコシカケとか」
「いえいえ、経費で買った麦茶パックに水道水を注いでいるだけですよ」
「水出しですか?」
「だってホラ、最近の水道水は充分おいしいでしょう? お土産で売ってるぐらいだし」

 不安そうな目を向ける尾羽に、凛太朗は微笑んだ。

「はい、水道水であれば水出しでも問題ありません。一日の終わりにボトルを洗浄、乾燥してから帰っていただけたら大丈夫です」

 生水は煮沸しなければ危ないと思われるかもしれないが、水道水ならば残留している塩素濃度が充分であれば問題はない。浄水器などを使って塩素を除去した方が一般細菌の繁殖を起こしやすいのは、なんとも皮肉なことだ。

「コップはどのように使っているんですか?」
「そこのトレイに積んでるのを適当に取って、後は流しに置いといてもらう感じですねぇ」

 人を介して拡散・増殖する細菌の類とは違い、キノコの毒成分が勝手に増えることはない。ならばコップなどの拭き取り検査は、やはり今回は対象外だろう。凛太朗は念のため麦茶を採取させてもらうと、クーラーボックスにしまいながら顔を上げた。

「この一週間、お二人は何か他に飲食物を渡した覚えなどありませんか?」
「あたしの方は特にないですねぇ」

 そう答えて、尾羽は首を横に振る。次いで軽井の方に目をやると、彼女は人差し指を自らの唇にあて、何かを思い出すように宙を見ながら言った。


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