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【怨毒】~保健所職員 百武凛太朗の調査事例~ 第2話(全10話)

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 人気の総合病院であっても入院患者が比較的少ない皮膚科の病棟は、ベッドに余裕があるらしい。今回の患者も一度は内科病棟に移されたものの、夜中も痛みに泣き叫ぶ声に苦情が絶えないと皮膚科に返され、贅沢にも四人部屋を一人で使っているようだ。
 とはいえ強い痛み止めすら効かない地獄のような苦痛に苛まれ続けているのだと考えると、彼を責めることはできないだろう。

 指定された病室に近づくと、そこにはぴっちり七三に撫で付けた黒髪の、神経質そうな白衣の男が立っていた。銀縁眼鏡の奥の瞳は切れ長で、半分以上マスクに覆われた表情を読むのは難しい。だがこちらに気付いた途端、彼はがらりと雰囲気を変えた。

「おう、忙しいところすまんね!」

 彼――川原医師は小さく手を上げると、困ったように目尻を下げた。人は見かけによらないと言うが、口を開くだけでこうも印象が変わる人も珍しい。

 川原と合流して病室に入ると、青いシーツの上に痩せ型の男が横たわり、四肢を冷水槽に浸す処置を受けていた。

 粕谷かすやという名の男は凛太朗と同じ二十六歳で、いつもは稲田市の委託業者で一般廃棄物の収集運搬業務に従事しているらしい。根元が半分以上黒くなった金髪は、入院より前からその状態だったのだろうか。

 凛太朗が保健所の名と発症前七日間分の詳細な喫食調査を行いたい旨を伝えると、彼は憔悴しきった顔をこちらに向けた。

「だから、キノコなんて食べてないって言っただろ……」

 その鼻は真っ赤に腫れ上がり、プツプツと白い水疱が浮いている。あまりの痛々しい姿に凛太朗はマスクの裏で迷いを覚えたが、彼の苦痛を軽減するためにも、原因は一刻も早く特定できた方がいいだろう。

「もしキノコに心あたりがなくても、七日前までの全ての飲食物、及び食事をした場所や購入場所を教えてください。お辛いところに恐縮ですが、治療のためにも原因特定にご協力いただけないでしょうか」

 粕谷は顔を歪めたが、気の毒なことに、もう反論する気力すらないのだろう。小さくため息をつくと、ぽつぽつと質問に答え始めた。

 一通り聞き取りを終えた彼の一週間の食生活は、荒みきったものだった。朝食は前夜にコンビニで買ったパンやおにぎりで、昼はコンビニ弁当。夜もコンビニかファミレス・牛丼・ファストフードなど、チェーン店のローテーションである。間食や飲料すらコンビニか自販機のペットボトルで済ませ、手料理などもう何年も口にしていないらしい。

 栄養士でもある凛太朗は頭を抱えたくなったが、それ以上に困ったのは、彼の食生活に野生のキノコなど混入する隙がないという点だった。

「そういえば、お酒は飲んでいませんか?」

 ふと思い出したように川原が問うと、粕谷はしばし宙に目を泳がせる。やがて「そういや、金曜は飲み屋でビールを……」と、やはりチェーン系居酒屋の名をあげた。

「そうか、じゃあ違うかな」

 ふうっと息を吐いて腕組みする川原へ、凛太朗は追加情報を調査票へ書き込みながら聞いた。

「飲酒状況が末端紅痛症と関係するんですか?」
「いや、そっちじゃなくてな。さっきドクササコの同定に関するジャーナルを読んでたらさ、メタノールで成分を抽出して分析するって手法が載ってたんだよね。ならシイタケ酒みたいな焼酎漬けの線もありえるかなと思ったんだが、チェーン店で一人だけ中るとは考えにく――」

「すみませぇん、そろそろ時間なので、冷水浴を片付けますね~」

 突然どこかのんびりとした声が割り込んだかと思うと、カーテンがシャーっと音を立てて開いた。そこに立つ数名の看護師たちを見て、粕谷は怯えたように首を振る。

「まってくれ、やめないで、これやめたらすげぇイタイんだよ!」
「そうしてあげたいのは山々なんですけどぉ、これ以上はふやけたお肌が剥離して感染症になっちゃいますよ~」

 穏やかに間延びさせた声とは裏腹に、彼女たちは至極てきぱきと手を動かしてゆく。あっという間に白シーツの通常ベッドに戻ったかと思うと、粕谷は痛みにすすり泣き始めた。この状況で、これ以上話を聞くのは酷というものだろう。

「あの、今日はこれで失礼します。どうぞお大事になさってください……」
「分かったから、いたいから、風を立てないでくれ……!」

 それを聞いて、凛太朗は会釈するのをやめた。象牙色のカーテンをそっと閉めると、川原と共に部屋を出る。

「聞き取った中で唯一市販品じゃない『麦茶』というのが気になるので、明日早めに粕谷さんの職場を訪ねてみます。あとは念のため名前の挙がったチェーンやコンビニを中心に、他に食中毒の届出がないか確認してみます」

 病棟の廊下を歩きながら今日の所感を伝えると、川原は困ったように頭を掻いた。

「忙しいところ申し訳ないが、念のため頼むよ。届出書の作成は受付に頼んでおいたから」
「いえ、問題が拡大する前の予防も職務のうちですから。こちらこそ、お忙しいところに情報提供を本当にありがとうございました」

「ドクササコっぽいと思うんだけどなぁ……」

 会釈して自動ドアをくぐった凛太朗の背中に、川原のぼやきが小さく届いた。


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