書くことを、やめないでほしい。
まんますぎるタイトルで、恐縮です。
noteを始めてやっと半年。そんな私が言います。
もし、
「もう書くことやめよう」
「こんなことしてても意味ない」
「誰も読んでくれない」
最近一瞬でもそう思った方に届いてほしいと願って。
書くこと、発信することを、やめないでほしい。
私も昨年末から2025年始め、エッセイをやめようと思っていました。
めんどくさいというより、書くこと自体が怖い時期がありました。
思うように言葉が出てこない。
自分と向き合うのがつらい。
”出がらし”みたいな発信で、いったい誰の心に響くのか。
そんなことで、自分を責めてました。
自己否定という言葉があるとしたら、たぶんそれだと思います。
でも、心の声が聴こえました。
書くのをやめたらあかんと。
その時「目の前の意味」ばかりを考えていたんだと思います。
意味あることを書かないと、「自分の発信=意味のないこと」になる。
そんな方程式を作っていました。
「意味」「価値」「存在」「承認欲求」
それらの瓦礫が入り混じり、混沌と汚濁したものが私の心を覆っていました。
でも、ある時気がついたのです。
「意味のある、なし」を何より自分自身が評価していたということを。
自分が書いていること自体に、評価を与えない。
書くことは、「毎日自分が何を考えているのか」ちゃんと自分と向き合っていることであり、それだけでも価値がある。
幸いにして、毎日読んで頂ける読者の方にも支えて頂きました。
”一人でも読んで頂けるのなら、その一人に届けよう。”
noteでたくさんの読者やフォロワーさんがいる方がよく使われる言葉。
実力は全然追いついていないけど、心情としてやっとその境地に辿り着けたのです。
一行でも、一枚の画像でも、絵でも、発信しているという事実は変わりようがない。
何も「毎日書く」ルールなんて、決められていません。
気が向いた時、なんか思いの丈を吐き出したい時。
そんなタイミングだけでもいいと思います。
最近、一冊の本を読みました。
応用神経科学者のパイオニアである青砥瑞人さんの書籍、
「BRAIN DRIVEN(パフォーマンスが高まる脳の状態とは)」
神経科学の見地からみて、「創造プロセス」と「評価プロセス」は異なる脳を使っているそうです。
発信すること自体クリエイティブな行為である、しかし発信者側がどんなにクリエイティブな脳を使い方を育んでも、評価者(読み手)にとって「新しく価値のあることや、共感できるものではない」と判断すると、発信者側のやる気=書くモチベーションを削いでしまう。
この状況に陥ることは、皆さんもご理解頂けると思います。
しかし逆に言い換えると、
発信すること自体が、非常にクリエイティブな脳を使っているということです。
脳科学的に見ても「アウトプットする」というのは、発信者本人にとって非常に有益な脳の使い方をしており、それだけでも価値あることなのです。
私はますます、追い風を感じました。
スキの数や、フォロワーさんというのは後天的についてくる。
それよりも、noteという公の場で己の感情や思考、哲学を展開することは何よりもまず自分の為になっているということを、お伝えしたかったのです。
だから「完全に書くのをやめる」ということだけは、思いとどまってほしい。
拙筆ながら、半年間続けることができた私からの思いを、ここに届けます。
<おまけ>
仲間がいるから、書こうって意欲が沸く。
アウトプットだけじゃなく、他のnoterさんと繋がりをもつことで、思考が拡がり、応援し合うことができる。
そんなコミニティに参加するというのも、一つの手段です。
完全に一人というのは楽だけど、良くも悪くも、思考が偏ります。
宜しければ、まだ気づいていない「才能」「魅力」を、一緒に耕してみませんか?
最後までご精読頂き、有難うございました。
今日も書けるという喜びに、感謝。
