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「白秋万華鏡」展(日本近代文学館):画家白秋を発見、装幀画、挿絵、カット、人物スケッチに驚く

はじめに

 <北原白秋生誕140年>の副題がついた表題の展覧会を訪問しました。

図1 展覧会チラシ
図2 北原白秋
出典:wikimedia commons, public domain

 美術展ではなく何故詩人展覧会なのかと疑問に思われたかもしれません。
 実は、スケッチ教室の生徒のSさんのお祖父さまが児童文芸誌『赤い鳥』編集者で児童文学者の小野浩氏で、所有されていた資料を日本近代文学館に寄贈され、それが今回展示されていることをSさんから教えていただいたのです。

 『赤い鳥』という雑誌については、文学に疎い私でも知っている雑誌でしたが、小野浩氏についてはまったく知りませんでした。そこで、少し小野浩氏についてfelo AI で検索してみました。
 結果をもとに要点をまとめるとつぎのようになります。

 小野浩は、戦前の日本において重要な編集者であり、特に児童文学の分野での貢献が知られている。早稲田大学の英文科を卒業後、1906年に「新小説」の編集を始め、その後「赤い鳥社」に移り、10年以上にわたって編集に従事した。彼は「赤い鳥」の創刊メンバーの一人であり、この雑誌は日本の児童文学において重要な役割を果たした。
 小野浩は、白秋の作品を「赤い鳥」に掲載することで、彼の詩を広める手助けをした。白秋は「赤い鳥」の創刊に関与した鈴木三重吉と親しい関係にあり、彼の影響を受けて童謡の創作に力を入れていた。小野浩は、白秋の作品を通じて、彼の詩がより多くの子供たちに届くように努めた。以上小野浩は戦前の日本における児童文学の発展に寄与した重要な人物である。

fwlo AI 結果要旨
検索語:「小野浩という戦前の編集者について、どのような仕事をしたのか知りたい。
特に、北原白秋との関係について知りたい。」
図3 「青い鳥」vol 13 No.1  清水良夫画
出典:wikimedia commons, public domain

 編集者は、作家に対して「黒子」的立場なので、どうしても後世に名前は残りにくいですが、それでも宮澤賢治との関係でタイトルもそのものずばり「小野浩という編集者/作家」という、興味深い内容のブログ記事がありましたので、下記に紹介します。ご興味のある方はお読みください。

 それでは、以下展覧会訪問記です。

詩文よりも本の装幀、挿絵、カットそしてスケッチに驚く

 ご承知のように北原白秋詩人です。また童謡作詞家としても著名です。
 文学の素人としては、内容詩形変遷など白秋文芸について、たとえば詩文そのものが大きく抜粋掲示されて、詩の素人にも分かりやすい説明があることを期待していたのですが、残念ながらそのような展示はありませんでした。
 実際には、ガラスケースの中に多数の手紙葉書などの書簡草稿など直接資料が置かれる形で展示され、資料についての説明があるものの、白秋文学に直接かかわる解説はなかったのが少し期待外れでした。

 しかし、一方絵画という観点では予想外の収穫がありました。それは:

 北原白秋は、画家、イラストレータ、挿絵画家としての才能を持っていた

 ことです。

 文学に親しんでいる方には常識なのかもしれませんが、北原白秋が、本の装幀装幀画挿絵カットなどを自ら描いていることを私はまったく知りませんでした。
 ところが、以下に述べる展示資料により、白秋がもともとに親しんでいただけでなく、当時の著名な画家たちとも交流があることを今回初めて分かったのです。(なお、展示場では写真撮影禁止でしたので、資料名と感想のみ記述します)

1)詩集「邪宗門」、「思ひで」、家集「桐の花」

 まず「邪宗門」です。フリー画像は見つかりませんでしたが、下記のサイトで、すべての挿絵カットをみることができます。

 装幀は石井拍亭、挿絵は太田正雄山本鼎で、白秋石井拍亭「パンの会」で交流があったとのことが説明にありました。
 「パンの会」木村荘八の油絵が有名です(図4)。

図4 木村荘八《パンの会》
出典:wikipedia, 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BC%9A

 永井荷風「濹東綺譚」や、木村荘八 「東京繁昌記」木村荘八による挿絵が大好きな私にとっては思いがけないつながりを感じ、明治末から大正、昭和にかけての文芸絵画界の熱気を感じる気がしました。
 すなわち、文学絵画の境界をまたがった人的交流の激しさです。

 次に詩集「思ひで」です。この詩集では、挿絵白秋自ら描いています。
今回の展覧会では、入場料を払うとチケットではなく、下記の挿絵ポストカードを渡されました。

図5 北原白秋《幼年の日》 詩集「思ひで」(東京堂書店)明治44年6月
出典:日本近代文学館 ポストカードより

 なお、全ての挿絵カットは、青空文庫の下記サイトから見ることが出来ます。

  一枚の石版画(だと思われる)を除いて、すべてペン画です。図5に見られるように、線描よどみなく、若い時から数多くペン画を描いていることを窺わせます。

 一方、全体印象ですが、独特の雰囲気を醸し出しています。少なくとも職業画家から受ける上手さというよりも、素人味わい深さというのでしょうか、「へたうま」に近い印象です。
 調べるとどうやら白秋は正規に絵画を習った形跡がなく、逆にそれゆえ詩人感性が自然に出ているのかもしれません。

 最後に歌集「桐の花」です。

図6および図7北原白秋自作の挿絵を示します(白黒写真)。

図6 北原白秋「桐の花」の挿絵(1)
出典:Japan Search、public domain
https://jpsearch.go.jp/item/dignl-907273 
図7 北原白秋「桐の花」の挿絵(2)
出典:Japan Search、public domain
https://jpsearch.go.jp/item/dignl-907273 

 いずれも、「思ひで」のペン画同様、独特の感性を感じます。
なお、上に示した白黒写真は、国立国会図書館デジタルコレクション 桐の花 : 抒情歌集から採ったものです。

 本来はカラー作品なのですが、フリー写真を得ることはできませんでした。青空文庫には、カラー写真が載っていますので、原画の雰囲気を知りたい方は下記をご覧ください(会場では、復刻版図書が置いてありました。私は休息がてら、この復刻版の図版をじっくりと味わいました)。

人物スケッチ:「佐々木信綱」、「浩四十態」

 さて、私が今回特に注目したのは、次の人物スケッチ2作です。

1)北原白秋画、斎藤茂吉讃、画讃《佐々木信綱》
2)スケッチ、北原白秋《浩四十態》

 それぞれ、サイズが予想外に大きく、会場で見つけた時には喜んで3回ほど見直しました。 

 残念ながら、画像を示すことが出来ないのですが、1)の歌人、佐々木信綱の人物像は、半身線描で描かれており、顔の表情描写から人物像が浮かぶ確かな描写力を感じました。

 一方、スケッチ《浩四十態》は、題名からお分かりのように、四十枚からなる大きな顔だけのスケッチで、様々な表情が描かれています。

 の表情はのびのびとして速度感があり、白秋はおそらく大変リラックスした中で浩氏をモデルに描いたと思われます。同一人物を一気に四十枚も描くことも特別ですが、様々な顔の表情から、北原白秋小野浩氏の間の大変親しい間柄が直接伝わってきました。

最後に

 当初は直接絵画とは関係しないと思った北原白秋の展覧会ですが、思いかけず本人のスケッチをみることができ、大変参考になりました。
 実は、北原白秋の最初の詩集「邪宗門」が出たのが、1909年「思ひ出」1911年「桐の花」1913年と代表作が1900年初頭に集中しています。

 私は、先月の大半を、ヒルマ・アフ・クリント展最終記事のために費やしたのですが、彼女が突然「抽象絵画」を描き出したのが1900年初頭なのです。

 上の記事の中でも紹介したのですが、当時の世紀末から第二次世界大戦前、戦後にかけての西欧絵画変革時代とその背後にある時代精神が、実は我が国の同じ時代の文芸絵画に携わる人々にも共有されていることを感じ、欧米日本芸術史を同時に見比べる癖がつきました。
 そうすることでなぜか、当時の人々の気持ちを共有できる気がしてきたのです。

 一昨年以来、美術展訪問記では日本美術を中心に江戸期までの絵画を主に投稿してきましたが、今後明治以降、近現代までの日本絵画について、新たな視点で取り上げていきたいと思います。

(おしまい)

前回の記事は、下記をご覧ください。


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