<フジタからはじまる猫の絵画史>(府中市美術館):藤田の「黒ベタ」と「マネの黒・輪郭線」との関係は? そして戦後の藤田作品
長文になります。次の内容を含みます。ご興味あればお読みください。
●藤田嗣治の油彩には生涯にわたって「黒ベタ」が現れる。
●まず西洋の人々に自分を売り込むために、マネ《オランピア》を連想させる横たわる裸婦像を選び、日本絵画を意識した輪郭線と、平面的な彩色、独特な白い肌を特徴として打ち出したことはよく知られるが、背景にベタ塗りの漆黒を採用したことも作戦の一つだったと筆者は考える。それは日本の漆器、浮世絵の黒ベタ塗りを意識したものである。
●その後も輪郭線と共に黒ベタを採用し続けたが、画風の模索の中で廃止した。戦後、輪郭線と黒ベタを再開、以前よりも線描を強調することによりカール・ラーソン、あるいはグラフィック表現に近づく。
はじめに
現在<植物画とは何か>と題する連載記事に時間を取られて、美術展訪問記事をしばらくお休みしていました。
このままいくと、どんどん時間が過ぎてしまうので、10月初めに訪問した表題の美術展の感想記事を書くことにします。
実は、この美術展が開催されることは予告で知っていたのですが、副題に「藤田嗣治と洋画家たちの猫」とあり、「洋画」という字を見て、当初訪問するつもりはありませんでした。
というのは、私は基本的に「線スケッチ」に関連する美術展、すなわち輪郭線のある東洋(日本)の絵画の美術展を優先することにしているからです。
けれども、藤田嗣治の裸婦は面相筆で輪郭線を描いていることを思い出し、考え直して訪問することにしました。
以下、この展覧会を企画した美術館の方には悪いのですが、「猫」とは直接関係のない感想になります。

すべては版画、《オランピア》から始まった
会場を入ると右へ藤田嗣治作品展示の部屋から始まりました。
いつの頃か忘れたのですが、藤田の作品を見たことがあります。当時の印象が蘇りました。期待通り面相筆による輪郭線による描写を見ることが出来たのです。さらに、墨だけの作品やこれまであまり取り上げられない、戦後の作品まで展示されていました(図2)。

出典:府中市美術館展覧会特設サイトより引用
http://fam-exhibition.com/foujita2025/highlight.html#p1
これらの作品を、私は線スケッチに役立つ観点はないかと考えながら見ていったのですが、ある作品のところで足が止まりました。
それは、次の作品です(図3)。

出典:府中市美術館展覧会特設サイトより引用
http://fam-exhibition.com/foujita2025/highlight.html#p1
マネの「黒」と藤田の「漆黒の黒ベタ」:フランス画壇登壇のための戦略の一つか?
本noteの記事は「線スケッチ」に関連するものに絞っていますが、その中でも、日本絵画・工芸における「黒ベタ」「漆黒」、それに影響を受けた西洋絵画、そして現代日本の風景・風俗の中の「黒ベタ」について何度も記事にしてきました。
その私のこだわりの理由については、以下の記事の中で詳しく説明しています。
そのようなこだわりの発端のきっかけの一つになったのは、三菱一号館美術館で開催された「マネとモダンパリ」展(2010)でした。
それ以前の私のマネの作品の印象は、人肌を除き全体的に黒っぽく暗い感じで、明るい画面を目指した印象派の画家達がなぜ、マネの作品を称賛するのか理解できなかったのです。
しかし一連の実作品を見て、彼の描く「黒」が印刷物ではその良さが分からなかったことがわかりました。逆に実物の黒に大いに魅了されたのです。
さて、マネと言えば教科書に必ずといってよいほど例として載っている次の二つの作品があります。

出典:wikimedia commons, public domain

出典: wikimedia commons, public domain
マネが日本の浮世絵版画に影響を受けていることを示す例として載っているのですが、《エミール・ゾラの肖像》はともかく、《笛を吹く少年》は、一体これがどこが日本の浮世絵の影響による作品なのか、かつての私にはピンと来ませんでした。
しかし、「マネとモダンパリ」展に出展されていた《エドガー・アラン・ポーの詩「大鴉」の挿絵》や筆と墨による習作で納得しました。

出典: wikimedia commons, public domain

出典:「マネとモダン・パリ」展図録(2010)106頁 筆者撮影
特に、図7の《カラスの頭部と犬の習作》の中の落款の模写をご覧ください。マネは単なる筆と墨による習作制作だけでなく、日本の絵画の落款まで写して学んでいるのです。
私は、黒々とした漆黒の鴉(図7)に感銘を受けましたが、以下の「鈴木春信「黒ベタと漆黒闇夜」の美」と題するnoteの記事の中で述べたように、わが国の絵画には、漆黒の鴉を描いてきた伝統があります。
具体的には、長谷川等伯の《烏鷺図屏風》、桃山時代の筆者不詳《群鴉図屏風》、醍醐寺所蔵の《松檜群鴉図》、与謝蕪村の《晩秋飛烏図》や有名な《鳶烏図》(重要文化財)、さらに海外に渡った幕末の河鍋暁斎の《Crow》、柴田是真の《Flying crow》などで、その他有名、無名の画家をあわせれば数えきれないほどです。
さらに上記記事の中で、私は日本絵画における「黒の美」については、わが国の専門家よりも海外の専門家の方が指摘していることを紹介し、マネも海外に流出した日本絵画を見て、その「黒の美」を意識していたのではないかと想像しました。
マネ《オランピア》の黒背景と藤田嗣治の「黒ベタ」について
だいぶ前置きが長くなりました。いよいよ本題にはいります。
図3のマネの版画《オランピア》は、黒猫が描かれているために今回出展されたのでしょうが、私はその版画を見て、ただちに図7の《エミール・ゾラの肖像》の中に描かれた版画の《オランピア》を思い出しました。
なぜなら、下記のマネの問題作《オランピア》をゾラが称賛しマネを擁護したことを肖像画の中に版画の《オランピア》を描くことで示しているからです。

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さて、ここで藤田嗣治です。この《オランピア》の版画を見て、反射的に藤田の出世作の横たわる裸婦の絵を思い出しました(図9)。

出典:清水敏男著「藤田嗣治作品集」㈱東京美術(2018)31頁 筆者撮影
藤田は、まず日本絵画の特徴を持つ水彩画で、パリで一定の評価を得た後、ヨーロッパ絵画芸術の本丸である油彩に乗り込みます。
そこで彼がとった戦略は、成功した水彩画で使用した輪郭線と平面的な塗りに加えて、主題にやはり欧州絵画に伝統的な裸婦をモチーフに選んだことです。その結果描いたのが図9の《横たわる裸婦と猫》です。
その裸婦は、横たわるポーズと足元に猫を配置することで、人々がマネの《オランピア》を連想するように狙ったことは明らかです。
その結果、藤田嗣治は面相筆による細い輪郭線と乳白色の肌色、平面的な塗り方、すなわち日本絵画の特徴を全面に出して狙い通りその絵は好評を博したわけですが、私は、漆黒の背景もマネの黒い背景を意識しているのではないかとふと思い付いたのです。
すなわち、藤田はマネの「黒」も意識したのではないか、しかもマネと差別化を図るために、ただの暗い黒ではなく日本伝統の「漆黒」を取り入れたのではないかと。
マネの黒と西洋絵画における黒
ここで、西欧油彩史における「黒」の使い方を話すと長くなるので、マネに焦点を絞ります。一般にマネの絵画は「マネの黒」と言い慣わされて、その特徴を指し示すのによく使われます。ただし、マネ以前にも「黒」を使う画家は多くいましたので、少し誤解を生む言い方だと思います。
「マネの黒」についての議論は、美術史家に任せて、ここでは私が問題にしている「黒」の中でも「漆黒」(真っ黒)しかもベタ塗りに見える部分について述べます。
マネが漆黒を使っている箇所は、ビクトリア朝時代に流行した男女の漆黒の服装と、以前の西洋絵画には無かった漆黒の輪郭線です。そして、印刷画像では一見漆黒に見えますが、隣室の暗闇や背後の壁の黒も絵画全体を「黒」の印象を与えます。
実際の例を示します。例えばジャポニスムの影響を受けている例として挙げた図4の《エミール・ゾラの肖像》ではゾラの黒い服装、そして背後の黒い壁、図5の《笛を吹く少年》では少年の黒の帽子と上着、ズボンの黒い縦帯、そして黒のスリッパがそれにあたります。
一方、黒に近い室内の例としては、私が好きな絵の一つの《バルコニー》を挙げることができます(図10)。

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ここでは、真ん中の男性の黒い服装が溶け合うほどに黒く室内を描いています。
最後に黒い輪郭線の例ですが、それは輪郭線ではなく、陰の部分を黒く強調したのだという意見もあります。
確かに、図8の《オランピア》の裸婦や白いクッション、ベッドカバーや敷物に描かれた黒い線は大半それにあたるように見えます。しかし、下の絵を見てください。

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マネ夫人のグレイの服装の描写に注目すると、もちろん陰と言ってもよい部分もありますが、右肩から右腕の線、胸の真ん中で結んだリボン状の飾りの黒い線は、明らかに陰ではなく輪郭線として描かれています。
実は、15年前の「マネとモダンパリ」展で見た中で、この《温室のマネ夫人》は私が一番感動した作品です。そして「あ、マネって実は凄い画家なんだ」と認識したのもこの絵を見たからなのです。
もっとも、当時この絵の「黒」に魅力を感じたことは確かでしたが、なぜそれほどまでに感動したのか、今に至るまで分からないままでした。
ところが今回輪郭線に注目して図録を見直してようやくわかりました。
油彩ですから、ペンによる素描や鉛筆デッサン、あるいは東洋の水墨画と異なり、最初に線描することはできません。油絵具で塗った後、その上から輪郭線を描いているはずです。
その場合、上からなぞると普通はおどおどとした線になると思うのですが、まるで練達の水墨画家の筆運びを見るような惚れ惚れする線なのです。すなわち、ある時はゆっくりかつしっかりと、あるときは素早く太くも細くもある線で、スピードや線の肥痩を自由に操っています。
さらに、あらためて気が付いたのですが、それは輪郭線にとどまりません。マネ夫人の背景の植物の筆のタッチをご覧ください。まるで印象派のモネや後期印象派のゴッホばりのタッチ、ストロークではありませんか。
いや逆です。今述べたことは全くマネに対して失礼な言い方でした。マネのこのタッチこそが印象派以降の画家達に影響を与えたからです。
1860年代のマネの絵には、まだこのタッチは出現していませんから、図6、7に示した《大鴉》の挿絵のために、日本美術の筆と墨の使い方を研究してから使い出したのだと私は思います。
まさに、マネ夫人の服装の輪郭線といい、背景の植物の大胆かつ自由闊達な筆のタッチ、ストロークは、油絵にも関わらず、まるで雪舟や曽我蕭白らの水墨画そのもののように見えてきます。
そう見ると、図11《温室のマネ夫人》の右隅にある意味不明の黒い塊が、同じく意味不明で有名な雪舟の国宝《冬景山水図》の下部の黒々とした二つの墨溜りと同じように見えてくるから不思議です(図12)。

出典:wikimedia commons, public domain
ここ数年、中国や我が国の水墨画の実作品を見続けてきたことから思うのは、印象派以降の西洋絵画、芸術においては、コンセプトや哲学が先にあることです。
そのような観点で見ると、多くの日本人に人気なのと同様に私があれほど魅力を感じた印象派の画家達の筆のタッチはリズミカルで心地よく、画家の自由な心の動きが感じられることは確かですが、どこか理屈が付きまとうように思うのです。ですからマネの筆づかいに比べると、かつて感じた魅力が少しそがれる感じがします。
例えば後期印象派の画家ではありますが、ゴッホの筆遣いは、熱情にまかせてキャンバスに筆をぶつけて描いていたと長らく私は思っていたのですが、あにはからんや、緻密な計算の上に成り立っていたことを知り、驚いて記事にしたことがあります(下記)。
以上紹介したように、マネの水墨さながらの筆づかいも印象派の画家達に影響を与えたのではないかと思います。
もっとも、マネの筆のタッチは、スペインのベラスケスから学んだというのが美術史家の定説のようです。
それは事実としてあるかもしれませんが、図11《温室のマネ夫人》のタッチを見る限り、もはやそれを超え、東洋の筆のストロークに近いと私は思うのです。
その証拠に別の絵を取り上げます。それは《バルコニー》の左の人物、印象派画家の一人ベルト・モリゾの肖像画です。
マネは彼女をモデルに多くの作品を描いていますが、その内の三作品を「マネとモダンパリ」展で見て、これらも訳もなく私は好きになってしまったのです。

出典:上段、下段左共にwikimedia commons, public domain.
下段右、「マネとモダン・パリ」展図録(2010)115頁 筆者撮影
今回、あらためて図録を見てその理由が分かりました。
通常、肖像画を描く場合、同一人物ならば顔は似せて描き、また同一人物らしく同じ雰囲気の絵になります。しかし、マネがベルト・モリゾを描く場合、一つとして同じ印象を受ける絵がありません。しかも図10《バルコニー》の白装束のベルト・モリゾを除いて、いずれも同じ黒づくめの服装で描いているにも関わらず。
通常、肖像画の場合、自然と顔に眼が行きます。確かに、どの絵を見てもベルト・モリゾだと分かるのですが、その存在感がそれぞれ全く違うのです。特に彼女の目の表情がそうさせています。
もちろんモデルのモリゾ自身の、何かを突き詰めるような、すなわち当時の上流階級の女性としては無謀な画家として立つという強い意志を持つ人間性から来るものだと思いますが、それにしても、それを受け止め、毎回異なる筆致で表現しようとするマネの画家としての強い気持ちが出ているために違いありません。
私は、今回「黒」という観点でモリゾの黒い服装を大きな画集で観察してみました。すると、今まで漆黒のベタ塗りに思えていたものが、実はまったく違う様相を現したのです。
すなわち、それは、勢いのある筆遣いの長いストロークの集積だったのです。
画像ではまるで黒の塊のようで、わかりにくいのですが、服装の縁や胸周りのショールの縁、帽子の端の部分をよく観察すると、勢いでかすれた線の黒く長い筆の塗りあとを見ることができます。それは水墨画の筆の線そのものです。
以上の記述では、私はあまりにも日本絵画の影響を強調し過ぎたかもしれません。
マネが「近代絵画の父」と呼ばれる偉大さは日本の影響部分ではなく、既存の西洋絵画の伝統的な枠組みを壊したことにあることは云うまでもありません。
それを確認するために、「マネの黒」の作品を頭に置きながら、ルネサンス以降の西洋絵画の「闇」や「黒」を描いた例を比較のためにまとめると次のようになると思います。
●いうまでもなく、西洋絵画の基本の一つに光と陰の描写、すなわち明暗法がある。例えば光と陰の明暗を劇的に表現したカラヴァッジョの絵でみると、人物の背後の室内空間は深い黒(漆黒ではなく赤みなど色がある)であり、また漆黒に近い服装や帽子を描いている。ただ、筆遣いはなめらかで、黒の服は、立体がわかるように陰影および反射も用いて描かれている。
●17世紀のオランダの画家達も光と闇を描いたが、その代表格レンブラントはカラヴァッジョと同様、タッチは短く滑らかで、服装も立体がわかる塗り方である。風俗画で室内を描いたデ・ホーホを見ると、黒い服は立体的に、ドア越しの隣室はマネと異なり明るく内部が描かれている。フェルメールも室内の陰や黒い服や帽子を描いたが、いずれも立体が分かる描き方である。ただ、隣室の部屋は明るく描く一方、戸外から見た窓の内側は暗く描かれているがマネほどではない。
●マネが傾倒したスペイン絵画、中でもベラスケスも黒の服装と室内については上に述べた画家達と同じだが、子細に見ると筆のタッチがハッキリと分かる点が以前の画家と異なる。
以上の画家の中で、デ・ホーホ、フェルメール、ベラスケスの陰、黒の描写に対応する部分図と注目点を示します(図14、15、16、キャプションの説明文を参照)。

左:黒い服、隣室の描写 右上:戸外から室内の描写 右下:黒い服と隣室の描写

左:黒い帽子、服、靴の描写 右上、右下ともに戸外から室内の描写

左上:黒い服、隣室の描写、左下:ベッドの黒のシーツの描写、
中:黒い帽子、服の描写、筆のタッチ、右:黒い服、筆のタッチ
以上は、大型の画集で確認しながら書いたのですが、ベラスケスの筆のタッチについては確信が持てず、グーグルで検索したところ、私が愛読しているnoterさんの記事が最初に引っかかってきました(下記)。
この中で、ベラスケスの筆づかいが見事だとしてその特徴を以下のように述べています。
タッチが非常に荒く、近くで見ると何が描いてあるのか分かりません。
しかし絵全体を見ると、全てがきちんと形を成しています。
https://note.com/artsienne/n/n7c99afbaaf4f
そして著者は《ブルーのマルガリータ王女》の絵を取り上げ、王女の衣服のレース、背景の置物、髪の毛、リボン、手に持つマフなど具体的な個所の筆づかいについて、「近接した時(拡大した時)には大まか(雑)に見えるにも関わらず、一歩下がってみると完璧な姿を示す」と述べて「不思議」と最後につぶやくように書かれています。
以上を読んで、私がベラスケスの絵で感じた筆のタッチは間違いなさそうだと思い安堵しました。
こうなると、マネの筆のタッチについては次のように言えるのではないでしょうか?
マネは、作品《草上の食事》や《オランピア》(図8)に象徴されるように主題選びとその表現形態は、それまでの西洋絵画の伝統を破り革新的だった。
一方、技術面では平面的な彩色や輪郭線の導入、あるいは影のない光で満たされた背景空間(例えば《笛を吹く少年》(図5))など浮世絵版画の影響を受けた実験を行っているが、基本的には、遠近法、明暗法に関する限り西洋絵画の伝統に従っている。
しかし筆のタッチに関する限り、ベラスケスのタッチをさらに推し進め、ほぼ同時代のクールベと共に遠くから見てもそのタッチが明らかに分かるほどの、従来では考えられなかった描法にまで到達した。
さらに筆と墨による日本絵画(水墨画)の習作制作の経験を基に、勢いやスピードなど表情豊かな筆のストロークを、輪郭線や筆触、特に黒い色面の彩色に応用した。
なお、マネの作品は、印象派似の明るい作品を除き、全体が黒く感じる作品が多いが、室内の陰、黒い服、黒の帽子や靴、戸外から見た室内など、基本的には17世紀以来の西洋絵画に伝統的な明暗法の枠内の描写である。
しかし、いずれも黒の程度が深く、服や帽子などは黒ベタ塗りの漆黒に近い。あくまで推測だが、《エミールゾラの肖像》(図4)に歌川国明(2代)《大鳴門灘右エ門》の和服姿が描かれているように、浮世絵に描かれた黒ベタの和服に影響を受けた可能性がある。
藤田嗣治の「黒ベタ」をどう考えるのか、そしてどう評価するか
さて、ここで藤田嗣治の《横たわる裸婦と猫》を改めて見てみましょう。
前項で、私は「マネの黒」を取り上げ、基本的には西洋絵画の伝統手法の枠内だが、最後に漆黒に近い服の黒を、浮世絵版画の和服の黒の影響ではないかと推測を付け加えました。今のところ西洋絵画の専門家でこのような意見を述べた例は見ていませんが、以下この私の推測をもとに考えてみます。
改めてマネ《オランピア》と藤田嗣治《横たわる裸婦と猫》を並べて大きな違いが気が付くのは、背後の空間の表現です。

出典:左2枚、wikimedia commons, public domain.
右、清水敏男著「藤田嗣治作品集」㈱東京美術(2018)31頁 筆者撮影
図17の左に示した2枚の《オランピア》の黒人女性の背後の空間は、一見黒い闇に見えますが、実は下の《オランピア》(図8を参照)の画像では、隣室の向こうの壁に下がっている二枚の緑のカーテンであるのが判別できます。暗い隣室を表すために、黒に近い緑で彩色しているのです。
いずれにせよ、背後の空間は一見黒い空間に見えても、マネは西洋の写実主義に従って描いていることが分かります。
ところが、右側の藤田嗣治《横たわる裸婦と猫》では、裸婦の背後が黒ベタ塗りの色面になっており、それが闇(夜)の空間なのか、単なる壁が広がっているだけなのか分かりません。しかもベタ塗りなので、空間あるいは立体物の手がかりはまったく得られません。まさに蒔絵など漆器に施された装飾絵画に見られる漆黒の色面と同じです。
私は次のように想像します。西洋の人々の注意を惹くために《オランピア》のモチーフを用いる際、裸婦のポーズを《オランピア》のように横たえるだけでなく、背後の闇を日本の伝統である漆黒に塗ってみたらどうかと藤田は思いついたのではないかと。
実際、その思惑は当たり、藤田の絵はフランスで人気を博すことになります。
そこで気をよくしたのか、今回の出品作品である《五人の裸婦》(図2、上段左)だけでなく、その後描いた裸婦像には調べた限りでは必ず「黒ベタ」の黒が入っています(図18、19,20,21)。

出典:wikiart

出典:wikiart

出典:清水敏男著「藤田嗣治作品集」㈱東京美術(2018)31頁 筆者撮影

出典:「藤田嗣治展」(東京都美術館)2018 チラシより
https://www.tobikan.jp/media/pdf/2018/foujita_flier3.pdf
興味深いのは、戦前描いた絵は、背後の空間を表す漆黒だけですが、戦後描いた《私の夢》(図21)では、背後の空間だけでなく、動物たちが座っている床までも漆黒に塗られていることです。
この裸婦の黒ベタ塗りに気が付いて、今回の藤田の油彩展示作品をみると、《五人の裸婦》以外にもあるではありませんか(図22、23)!

出典:「藤田嗣治展」京都国立近代美術館(2018)
https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2018/428.html

出典:「藤田嗣治 猫と少女の部屋」展 軽井沢安東美術館(2023) HP
https://www.musee-ando.com/blogs/exhibition/2023-3-3-%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%97%A3%E6%B2%BB-%E7%8C%AB%E3%81%A8%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B
そこで、藤田の他の油彩を調べたところ、次のような黒ベタの作品があることが分かりました。

出典:wikiart

出典:「藤田嗣治展」京都国立近代美術館(2018)
https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2018/428.html

出典:清水敏男著「藤田嗣治作品集」㈱東京美術(2018)73頁 筆者撮影

出典:清水敏男著「藤田嗣治作品集」㈱東京美術(2018)133頁 筆者撮影
以上の黒ベタ作品から、その黒を分類すると以下のようになります。
1)背後の空間 図9,18,19,20,21,22,26,27
2)床 図21,23,24
3)隣室 図23
4)画材の部分 図25
ここで、興味深いのは、当初は一連の裸婦像で背後の空間を漆黒のベタ塗りするだけだったのが、《自画像》(図24)では、座っている床全体を黒ベタで表現していることです。
そして、その床の黒ベタ表現は、戦後の動物シリーズに受け継がれます。(図21、23)
さて、本記事の前半で、マネの鴉の黒について述べた時に、鈴木春信の私の記事を引き合いに出しました。
その記事の中で、漆芸品の絵を除けば、日本絵画においては黒ベタの闇夜表現は永らく描かれたことは無く、それが現れるには18世紀の江戸まで待たなければならないことを指摘しました。
すなわち、与謝蕪村、伊藤若冲、鈴木春信です。中でも鈴木春信の闇夜の版画は優品が多いのですが、残念ながらほとんどが海外流出しています。
私は、藤田が描いた床の黒ベタは闇夜と違って、日本絵画では例がなく、藤田の独創ではないか思ったのですが、さすがは鈴木春信、ちゃんと地面を漆黒に表現した絵を描いていました。
当時(いやもしかすると今日でも?)としてはとんでもない表現だと私は思います。

出典:浮世絵検索
https://ja.ukiyo-e.org/
加えて、以前は単純に闇夜の表現だと思っていた絵を見直してみると、それは地面と闇夜を一体化して全体を漆黒に描いていたことが分かりました(図29)。

出典:いずれも浮世絵検索
https://ja.ukiyo-e.org/
藤田は、これらの鈴木春信の絵を見ていたとは限らない(鈴木春信の黒ベタ作品はほとんどが米国と大英博物館所蔵)ので、自ら思いついた可能性も否定できません。
「おわり」に変えて:藤田嗣治の戦後の作品
さて、裸婦から始まり、黒ベタ作品を中心に戦前から戦後にかけての藤田の作品を見てきましたが、私は戦後の作品で気が付いたことがあります。
それは、輪郭線、線描の作風の変化です。
今回の展覧会で見た戦後の作品が、私がこれまで抱いていた藤田の絵画の印象とかなり異なることを感じました(図30)。

出典:府中市美術館展覧会特設サイトより引用http://fam-exhibition.com/foujita2025/highlight.html#p1
私は戦後の藤田の作品をこれまで注目していなかったので、それは新鮮な驚きでした。まったく「線スケッチ」と同じではないかと。
藤田の全生涯の画風の変化について詳しく述べることは、ここではしませんが、裸婦像以来、同じ画風にとどまらず、いろいろな描き方を試していることが知られています。
特に、日本に帰国した1930年代では、完全に輪郭線を廃止した作風に変化しました。代表例としては、戦時中のあの名高い戦争画を思い出していただければと思います。
ところが、戦後にまた輪郭線が復活します。しかも戦前の面相筆による控えめな輪郭線とは異なり、線幅は細いもののかなり目立つ描写に変化しており、さらに描く輪郭線の数も多いのです。
ですから、私は図23《猫の教室》を見て、スウェーデンの画家、カール・ラーソン(ラーション)の水彩画をすぐに思い出しました。ジャポニスムの影響による輪郭線を多用しており色面も平坦です。

出典:wikipedia,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
水彩画と油彩との違いがありますが、藤田の絵の質感は油絵というよりは水彩画的と言えます。全体にグラフィックな印象です。
藤田嗣治はおそらく明治以降の油彩を描く日本人画家で、唯一戦前の西洋画壇の中で対等に評価された日本人でしょう。
そのような彼が、西洋の市場で戦っていくために、西洋絵画はもちろん、日本の絵画についても深く学び、作画に応用することで、絵の深化を絶えず試みていたに違いありません。
その彼が亡くなるまで輪郭線を捨てなかったのは、西洋市場における評価の上で、彼なりの勝算があったからだと思います。
その日本的な輪郭線の再導入が、果たして藤田の期待どおりまた西欧で受入れられたのか、おそらく美術史家は把握しているでしょうが、私はまだ確認していません。
現在、現代美術家の村上隆や奈良美智の欧米での評価、あるいは漫画が芸術としても受入れられつつある、その大元の日本絵画の影響の美術史的流れの中で、戦後の藤田作品の評価についても今後確認したいと思います。
(おしまい)
前回の記事は、下記をご覧ください。
