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完全踏破! 祇園祭 前祭 宵々山ウォーク 全山鉾の詳説つき

2023年の前祭さきまつりの際、宵々山よいよいやまの山鉾全23基を巡拝したときのコースと様子を、詳しすぎる解説とともに紹介します。



(1) 大政所御旅所

地下鉄烏丸からすま線四条駅、出口5からスタート!
烏丸通を南下、すぐに「大政所おおまんどころ御旅所」

祇園祭は山鉾で有名ですが、日中の山鉾巡行じゅんこうの後、夕刻から3基の御神輿(中御座、東御座、西御座)が渡御して四条寺町の御旅所に収まります。1591年より前は、中御座と西御座の2基が、こちらを御旅所にしていたという場所です。


(2) 保昌山

烏丸通を南下して高辻通を東に入り、東洞院ひがしのとういん通を下がると「保昌山ほうしょうやま
それぞれの山鉾町の入口には提灯が掲げられています。

2023年の「保昌山」の巡行順は14番目

駒形提灯が灯ると、より一層綺麗なことでしょう。

ぐるりと回って、こちらは見送り側

「保昌山」の主題は、丹後守である平井(藤原)保昌やすまさが和泉式部に請われて、紫宸殿(御所で最も格式の高い正殿)に忍び込んで紅梅を手折たおってくるというキケンな恋物語。

会所の二階では、くだんの平井保昌(御神体)が見守っています。


山鉾巡行では御神体の平井保昌が搭乗します

高辻通に戻り、「ホテル日航プリンセス」
このホテルが建つ高橋町は、山鉾巡行の先頭「長刀鉾」が切る注連縄を張る役割を担っています。


(3) 岩戸山

高辻通を西へ、新町通で、

北へ少し上がると「岩戸山」

豪華な胴懸どうがけと水引

山鉾町では多くの胴懸を保有していて、会所にはその年の曳山を飾らなかったものがお披露目されていたりします。

岩戸山はくじ取らずで、巡行順は最後から2番目(22基目)

「岩戸山」の主題は天照大神が天の岩戸を開けて出現するという記紀神話です。


(4) 船鉾

「岩戸山」から新町通を上がるとすぐに「船鉾ふねぼこ

船尾側のとも高欄懸けと後懸け

舵は漆塗りに螺鈿らでんでしょうか。

見上げられることを意識して、屋根の内側も金箔でピカピカ

船首の前懸と、

げき
想像上の水鳥で、天子の船の船首に刻まれることが多いのだそうです。

会所二階から乗船することができます。
山鉾は大工方が組み立てるので、このような足場を架けることはお手のもの。

前懸は「雲龍波濤文様綴織つづれおり」、波間を翔ぶ龍が描かれています。

「船鉾」は、くじ取らずで巡行順は一番最後(23基目)。
主題は神功皇后の新羅征討(日本書紀)で、前祭の「船鉾」は出陣、後祭の「大船鉾」が凱旋を表すのだそう。
屋台内は、京間の六畳ほどで、構造上の事情から仕切り材が多いため、4体の御神体(神功皇后、住吉明神、鹿島明神、安曇磯良あづみのいそら(龍神))を載せると、結構手狭なのだそうです。


(5) 白楽天山

「船鉾」から新町通を少し下がって、仏光寺通を東へ、室町通で上ると「白楽天山」

白楽天(白居易)は「長恨歌ちょうごんか」を書いたことで有名な唐代の詩人。
「源氏物語」など平安時代の日本文学にも大きな影響を与えたと言われています。

白楽天が、松の上に座す道林禅師に仏法の大意を問うている場面が主題

前懸、胴懸、見送りがベルギー製やフランス製のゴブラン織です。
2023年の巡行順は3番目(山第二番)


山鉾巡行では白楽天(唐冠)と道林禅師(僧形)が搭乗します


(6) 鶏鉾

「白楽天山」から室町通を上がり、綾小路あやのこうじ通を横断すると「鶏鉾にわとりぼこ

中国古代、君子に不満を抱いたら朝廷の前に設置された太鼓を打ち鳴らし諫言かんげんできる制度を敷いていたところ、ぎょうという時代に平和な世の中になったため、その太鼓が苔むして鶏が宿ったという故事「諌鼓かんこ苔深く鳥驚かぬ」を主題にしたもの。

鉾なので、会所二階から屋台に上がることができます。

真木しんぎのなかほどの天王座に住吉明神が祀られています。

2023年の巡行順は9番目(鉾第一番)
河原町商店街(高島屋のあたり)で祇園囃子のBGMが流れていますが、あれは鶏鉾のお囃子だという話を耳にしたことがあります。


(7) 綾傘鉾

「鶏鉾」から綾小路通に戻り、西進して「綾傘鉾」

傘鉾は、こちらの「綾傘鉾」と「四条傘鉾」の2基のみです。
傘鉾の巡行順は7番目か15番目と決まっていて、2023年は綾傘鉾が傘鉾第二番(15番目)

傘鉾は、応仁の乱より前、室町時代までの祇園御霊会ごりょうえにおける鉾の形態を再現したものです。
傘鉾の形態は、5月の葵祭における王朝行列の「風流傘ふりゅうがさ」にもみられます。

傘鉾さがりは綴錦つづれにしき「飛天の図」

傘鉾垂りとしては、もう一つ、友禅「四季の花」も保有しているようです。


ところで、この駒形提灯って、巡行中はどうしてるのでしょうね?

傘鉾は、その形態のみならず、「棒振り囃子」が先導するという点でも特異な存在です。
棒振り囃子は、笛、太鼓、鉦を奏じる中、赤熊しゃぐまをかぶり長い棒をバトントワリングのように振りながら疫神を祓うものです。
六斎念仏ろくさいねんぶつ」のうち芸能色を強めることで親しみやくした「壬生六斎みぶろくさい」の講中が奉仕しています。
ちなみに、彼らが着ている衣装のミツウロコは邪を祓う柄です。

会所が大原神社内にあり、こちらの境内で棒振り囃子の予行演習が行われます。


(8) 伯牙山

「綾傘鉾」から綾小路通を西進、新町通を越えると「伯牙はくが山」

伯牙は中国春秋時代の琴の名手。伯牙が奏でる音楽をよく理解してくれていたしょう子期しきという親友がいたのですが、ある日、子期が他界してしまい、自分の音楽を理解してくれる人がいないのなら琴を弾く意味がない、と琴を斧で割った「伯牙断琴だんきん」、あるいは弦を切った「伯牙絶弦ぜつげん」という故事が主題になっています。
伯牙絶弦は、社殿彫刻でポピュラーなモチーフです。

宵々山なので、まだ御神体の伯牙は乗車していませんが、会所で御尊顔を拝すことができました。
こちらの伯牙は斧を手にしているので「伯牙断琴」を表現していることになります。
明治4年(1872年)までは「琴割山」「琴破山」と呼ばれていたようです。

2023年の巡行順は18番目


(9) 木賊山

「伯牙山」から綾小路通を西進、西洞院にしのとういん通を南下、仏光寺通を東に入ると、

木賊とくさ山」です。

木賊とくさとはシダ性の植物で、太い茎に珪酸が蓄積していることから物を研ぐのに適していて研草とも表記されます。
木賊山は能の演目「木賊」を題材としたもの。
息子を拐われた父親が木賊を刈って暮らしていたところ、旅人から一宿を請われ泊めることにすると、その連れが息子で、再会を果たすというストーリーが主題です。

前懸は「唐人交易図」

胴懸は綴織「中国故事人物図」

見送りは「牡丹双鳳文様綴錦」

2023年の木賊山の巡行順は8番目


山鉾巡行では御神体(腰に蓑、左手に木賊、右手に鎌)が搭乗します


(10) 太子山

「木賊山」から仏光寺通を西進、油小路通を下がると「太子山」

「太子山」の主題は、聖徳太子が「四天王寺」を建立する際に、自ら山に入り杉材を探し求めたという話。
山鉾のうち「山」は真松を立てることになっていまが、「太子山」だけは例外的に杉の木を用いている点が特徴です。

前懸は緋色の羅紗地に阿房宮(秦の始皇帝が暮らしたという宮殿)の様子を描いた刺繍です。
阿房宮は長安(西安)の北西に造営された大宮殿で、右側の馬車に乗っているのが始皇帝。

胴懸は、インド刺繍「金地孔雀唐草図」(後にベトナム製)が垂げられるはずです。

太子山の御神木の残材を用いて数列の縁台(木製ベンチ)が用意されています。
座ると知恵を授けてもらえるのだとか。

見送りは「波濤に飛龍文様錦織」

2023年の「太子山」の巡行順は16番目


(11) 油天神山

「太子山」から油小路通を上がり、仏光寺通を渡ると「油天神山」

「天神」の名を冠した山は「あられ天神山」と、こちらの「油天神山」の2基のみです。

油天神山は、お町内に祀られていた天神様を勧請した山です。

見送は毛綴けつづれの宮廷宴遊図であったところ、1990年に「朝陽図」綴織に新調したとのことですが、遠目にはよくわかりませんでした。

2023年の油天神山の巡行順は10番目


(12) 芦刈山

「油天神山」から油小路通を上がり、綾小路通で東へ入ると「芦刈あしかり山」

いつもはここに標識はありませんので、この「車両通行止め」標識は特設です。

「芦刈山」の2023年の巡行順は4番目

芦刈山は、謡曲「芦刈」による主題
故あって妻と離れて大坂難波の浦で芦を刈って暮らしていた老翁が、やがて妻との再会を果たすという夫婦和合の話。
熊野詣では、京都から船で難波に移動し、そこから九十九王子を辿って本宮を目指しますので、難波は京都と大坂との接点ともいえる場所です。

胴懸として、尾形光琳原画の燕子花かきつばたの綴織を有しているようですが、このときは別の胴懸のようでした。

前懸は、段通だんつう「凝視」(牡ライオン)


ここで四条通の北側ブロックへ横断します。
前祭山鉾巡拝も、このあたりでちょうど半分くらい。
祇園祭の時期は、とりわけ蒸し暑いので、水分補給し、休憩を取りながら歩くようにしましょう。

20年前、真夏に鳥取砂丘と投入堂を同日に訪れたとき、その晩に熱中症になりました。
あとから思えば、そのきざしがあったにも関わらず強行したのが運の尽き。
宵々山ウォークの際、「兆し」の一歩手前まで至ったことに気づき、慌てて休憩。体をクールダウンし、難を逃れました。


(13) 四条傘鉾

「芦刈山」から油小路通に戻って、四条通まで上がり、東へ入ると「四条傘鉾」
いよいよ、祇園祭のメインロードに到達しました。

傘鉾は、こちらの「四条傘鉾」と「綾傘鉾」の2基のみです。
綾傘鉾と同じように棒振り囃子が先導しますが、こちらは少年たちによって構成されています。

「四条傘鉾」の2023年の巡行順は7番目(傘鉾第一番)

リハーサルのスケジュールが掲出されていました。
宵山の21時からのリハーサルの後、日和ひより神楽かぐらに出掛けるのだと思います。
日和神楽とは、「明日のお祭が好天に恵まれますように」と、御旅所まで祇園囃子を奏じながら挨拶にいくものです。

日和神楽では、この屋台車に鉦を下げて、御旅所と山鉾町を往復します。

四条通には、四条傘鉾、月鉾、函谷鉾、長刀鉾が出揃っていて、見通すことができるので圧巻です。


(14) 蟷螂山

「四条傘鉾」から四条通を東進、西洞院にしのとういん通で北へ上がると「蟷螂とうろう山」

蟷螂山は、台車の上に御所車が載っていて、その屋根の上にカマキリが乗っているという点で、他の山鉾とは異なる大きな特徴を有しています。

しかも、このカマキリは、鎌、頭、羽根を動かすことができるという点でも特別です。
御所車の中に4人の方々が乗り込んで、カマキリの動きや御所車の車輪を操作するのだそうです。
くじ改め(四条通堺町)など、あらかじめ決められた場所でカマキリを動かすので、限られた空間の中で蟷螂山の現在地を確認しながらの難しい操作になるのだそう。

蟷螂山は、稚児人形を乗せた山鉾を除き、唯一、からくりを備えた山です。
「蟷螂山」の主題は、中国の故事「蟷螂の斧を以て隆車りゅうしゃわだちふせがんと欲す」によるもの。
車に轢かれそうになったカマキリが鎌をあげて立ち向かったという、到底、勝てそうにない相手に立ち向かう姿を表す故事です。
2023年の巡行順は19番目。


(15) 郭巨山

「蟷螂山」から四条通を東進して「郭巨かっきょ山」

郭巨山保存会の会所は四条通の南側にありますが、山は北側で披露されていました。

このような日覆いの屋根が掛けられている山は、郭巨山のみです。
御神体を拝みにくいような気もしますが、日焼けから守るためなのでしょう。

郭巨山の主題は、社殿彫刻でもよく出会う二十四孝の「郭巨」によるもの。

赤貧の家に息子が生まれて、養っていた母親に食べさせるごはんがなくなったから、息子を土に埋めようと穴を掘ったら黄金の釜が出てきたおかげで、母親も息子も無事に過ごしたという、親孝行だか子殺しだか判然としないお話なのです。

2023年の巡行順は6番目。


山鉾巡行では、郭巨に命を奪われそうになった息子が仲良く搭乗します


(16) 放下鉾

「郭巨山」から四条通を東進し、新町通で北へ上がると「放下鉾ほ(う)かぼこ

やはり、鉾は迫力があります。
特に、新町通のような道幅に建てられた鉾は、視界を埋め尽くす感じがあって格別です。

放下鉾は、くじ取らずで、巡行順は最後から3番目(21番目)と決まっています。

放下鉾の名前は、鉾の中程にある天王座に祀られている放下僧ほうげそうに由来します。
放下僧とは、僧形で辻説法をしながら大道芸の一種である放下(手毬、曲芸や手品など)を演ずる遊芸人のことなのだそうです。

胴懸は、花文様のインドやペルシャの絨毯。
屋根の内側は、下から見上げられることを意識して金箔が張られています。

水引は雲中龍

鉾頭ほこがしらには三光が下界を照らす意匠になっています(3つの円形と斜め下へ向いた2本の棒)。
以前は、長刀鉾と同様に生稚児いきちごを乗せていましたが、昭和4年以降、稚児人形に替えられており、この稚児人形は三光丸と名付けられています。
生稚児と同じく、決められた場所で稚児舞を披露します(二人羽織のような感じ)。

下の写真にあるように、山鉾は釘を使わず、「縄がらみ」によって組み立てられています。
縄がらみによる柔構造のおかげで、衝撃が加わってもゆらゆらと力をかわせる仕組みです。
その代わり、屋台の上は、結構、揺れるようです。


(17) 月鉾

「放下鉾」から四条通を東進して「月鉾」

四条通に立ち並ぶ山鉾のうち、月鉾だけは通りの南側に建てられています。

月鉾の2023年の巡行順は17番目。

「月鉾」の名は、鉾の先端(鉾頭)に新月型(三日月で表現)が掲げられていることから。
鉾の中間にある天王座に月読つくよみ命(月夜見尊)が祀られています。

胴懸はインドやトルコの絨毯で、北面は「中東蓮花葉文様」。


(18) 菊水鉾

「月鉾」から四条通を東進して、室町通を上がると「菊水鉾」

鉾頭には菊の透かし彫り。
天王座に彭祖ほうそ像を祀っています。
彭祖は800歳まで生きた長寿の仙人で、りゅうこつ座のカノープスを神格化した道教の神様「南極老人」の化身でもあります。
さらに、南極老人は七福神の寿老人と習合しています。

鉾の名前は、お町内にあった井戸「菊水井戸」にちなんでいます。
重用の節句(9月9日)には、菊の花びらを浮かべた酒を飲み不老長寿を祈る風習があるので、「菊」=「長寿」の象徴なのでしょう。
菊水鉾の主題と話が繋がります。

現在は井戸跡のみが残っていますが、この井戸は千利休の先生であった武野たけの紹鴎じょうおうが大黒庵を結び、この名水を愛用していたとのことです。

そういえば、新潟には「菊水」という銘酒がありますね。

前懸は飛鶴図

唐破風屋根を有しているのは菊水鉾のみです。

見送りは昇鯉図、鯉の瀧のぼりです。巡行時には、上から大判の見送りで覆われてしまいます。

スポークに菊水鉾と箔入れされており、車軸には十六葉八重表菊紋


(19) 函谷鉾

「菊水鉾」から四条通に戻り、東進して「函谷かんこ鉾」

日和ひより神楽で活躍する屋台車

函谷鉾の名前は中国戦国時代の「函谷関かんこくかんの鶏鳴」に因んでいます。
函谷関は古くから交通の要衝で関所が設置されている場所です。
斉の国のもう嘗君しょうくんが捕えられていた秦の国から脱出し函谷関に辿り着いたものの、関所は朝まで開きません。
戦国時代の君主は食客しょっかくという技能者を数多く養っていて、その中に、鶏の鳴き真似に長けた者がいたので、その食客に鶏の鳴き真似をさせたところ、本物の鶏まで鳴き始め、函谷関の門が開いたという故事。

鉾頭の月と山型は山中の闇を表現しています。
また「天王座」には孟嘗君、その下に雌雄の鶏が侍っています。

函谷鉾は、くじ取らずで巡行順は5番目。

四条通に建てられる鉾は圧巻なのですが、(自分も含めて)人通りが多いので、なかなかゆっくり鑑賞というわけにはいきません。


(20) 孟宗山

「函谷鉾」から四条通を東進、烏丸通で上がれば「孟宗山」

「孟宗山」の主題は二十四孝の「孟宗」から。
孟宗は中国の三国時代における呉の国の政治家。
幼くして父親を亡くし、母親を養っていたところ、ある冬、病身の母親が筍を食べたいと話した。
孟宗は竹林に入るけれど、冬なので筍があるはずもない。
天を仰ぎながら雪をかき分けていると、一面の雪が融けてたくさんの筍が出てきて、これを母に食べさせたところ、病気が癒え、天寿を全うしたというお話。

真夏の祇園祭にもかかわらず真松に雪が積もっているのは、孟宗の話を表現したもの。
真夏に雪という鮮烈なコントラストです。

「孟宗山」の2023年の巡行順は11番目。


山鉾巡行では筍を掘るための鍬を手にした孟宗が搭乗します


(21) 占出山

「孟宗山」から烏丸通を上がり、錦小路通で西に入ると「占出うらで山」

「占出山」の主題は、

神功皇后が肥前国(≒岡山県)の松浦で鮎を釣り上げ、新羅との戦に勝てる吉兆だとした伝承によるもの。

この戦勝占いの際、すでに身ごもっていたため、腹帯に月延石つきのべいしを入れてお腹を冷やすことで、お産を遅らせたのだとか。
この月延石は3つあり、それぞれ、月讀神社(長崎県壱岐市)、月読神社(京都市西京区)、鎮懐石八幡宮(福岡県糸島市)に奉納されているとされています。
このとき産まれた子が、のちの応神天皇とされています。

現代となっては、戦の義も、占いも、お産を遅らせる行為も時代錯誤感満載ですが、これも単なる伝承に留まらせることなく歴史上の記憶として保存すべき事柄なのでしょう。
2023年の巡行順は20番目で、くじ取らずを除くと一番最後でした。
巡行順が早いと、その年のお産は軽いとされています。

授与品の中に「鮎つり山ゆかりの 吉兆あゆ 大極殿本舗」
「鮎つり山」は「占出山」の別名。
「吉兆あゆ」とは、鮎の形をしたカステラ生地の中に白い求肥を包んだもの。
鮎の形をした和菓子は他にもありますが、こちらは別物なのだそう。

ちなみに、大極殿の実店舗で味わえる「琥珀流し」は暑い夏の日におすすめです。


(22) 霰天神山

「占出山」から錦小路通を西進して「あられ天神山」

室町時代後期の永正年間(1504~1521)に京都が大火に見舞われたとき、にわかに霰が降り猛火がたちまち治まった。
その際、一寸二分(約3.6センチ)の天神像が降ってきたので、これを祀ったのが「霰天神山」とされています。

京都で火伏ひぶせというと愛宕神社が有名ですが、こちらの霰天神も火除ひよけの神様。
木造家屋が密集している都では火は常に大敵であったのでしょう。

2023年の巡行順は12番目。

巡行時の胴懸は「白梅金鶏図」なのですが、こちらの宵懸も十分 立派です。

霰天神山の授与品というわけではありませんが、中華料理店「膳處漢ぜぜかんぽっちり」の「しみだれ豚饅」がお町内の定番のようです。
祇園祭期間中限定のため、行列が絶えません。
手がベトベトになりそうですが。


(23) 山伏山

「霰天神山」から「山伏山」へ向かうには、錦小路通を東へ戻り、室町通を上がれば早いのですが、ちょっと寄り道。

錦小路通を西進、新町通を上がり、蛸薬師通で東に入ったところに、休み山「布袋山」の会所があり御神体が安置されているようなのです。
そのことを確認したかったのですが、残念ながらよくわかりませんでした。
マンション入口横のショーウインドウ内に布袋尊が祀られているそうです。後祭の期間には開陳されるのでしょうね(=「居祭」)。

ちなみに、「休み山」とは火災などにより焼失してしまった山鉾のことです。
同じく休み山であった「大船鉾」は150年ぶりに2014年に巡行復帰、「鷹山」が196年ぶりに2022年に巡行復帰を果たしたため、現時点における休み山は「布袋山」のみとなっています。

さて、蛸薬師通を東進し、室町通を下がって「山伏山」

京都のシンボルのひとつ、八坂の塔(法観寺)が傾いたとき、天台僧「浄蔵貴所じょうぞうきしょ」が法力ほうりきによって直したのだそうです。
この浄蔵貴所とは、葛城山や大峯山で修行していた山伏です。

会所の2階に御神体が祀られています。

御神体は、左手に刺高いらたか数珠(そらばん玉のような形状の珠を連ねた念珠)、右手に斧を持ち、腰には法螺貝を下げていて、峯入りの姿をあらわしています。

前祭の宵々山の日、聖護院から本山修験宗の修験者が巡拝、護摩供が修法されます。
ちなみに、後祭でも「役行者えんのぎょうじゃ山」で聖護院修験者による護摩修法があり、神仏習合の名残りを色濃く留めています。

2023年の巡行順は2番目(山第一番)


(24) 長刀鉾

「山伏山」から烏丸通に戻って、四条通で東進すると、いよいよ「長刀鉾」

函谷鉾と同様に、ゆっくり鑑賞することは叶いません。

「長刀鉾」はくじ取らず、巡行1番目。
唯一、生稚児いきちごを乗せていて、四条通麩屋町ふやちょうで八坂神社の結界を解いて進んでゆく役割を担っています。

鉾の名前の由来は鉾頭の長刀。
この長刀は、巡行中に刃先が八坂神社や御所に向かないようにされているのだそうです。
といいつつ、回転できるようになっているわけでもないようです。

屋根の内側には二十八宿が描かれています。
「二十八宿」とは、星空を月の運行にあわせて28分割して、それぞれの星座を充てたものです。
1年間を12分割する星座占いと似ていますね。
「二十八宿」には、現代のおとめ座、てんびん座、さそり座、いて座、やぎ座、みずがめ座、ペガサス座、アンドロメダ座、おひつじ座、おうし座、オリオン座、ふたご座、かに座、うみへび座、コップ座、からす座などに含まれる恒星が登場します。

前懸、胴懸には、インド絨毯やペルシャ絨毯などが用いられていて、絢爛豪華です(現在は復元品)。

お会所の2階に上がらせてもらえば、ゆっくり拝めそうですね(要志納)。

これで、前祭で巡行する山鉾全23基を巡りました。
ここで宵々山ウォークをお開きにする場合は、地下街コトチカに降りられるので、涼しい地下道経由でスタート地点の烏丸線四条駅に戻ることができます。

まだ歩けそうでしたら、八坂神社までご案内します。


(25) 祇園祭斎竹

「長刀鉾」から四条通を東進、麩屋町通に「祇園祭斎竹いみだけ」(祇園祭注連縄)を見つけることができます。

斎竹は、アーケードの屋根を支える柱の横に建てられています。

斎竹建ては、「保昌山」近くの高橋町の役割とされていて、宵々山の早朝に執り行われます。

ちょうど、この日に建てられたばかり、ということになります。

斎竹は、四条通を挟んで南北に1本ずつ建てられ、

巡行当日、2本の斎竹の間に注連縄が張り渡されます。
長刀鉾が、この注連縄を切って巡行が始まるという場所です。

注連縄が切られたあとも、斎竹は後祭の早朝に撤収されるまで残されます。


(26) 八坂神社御旅所

「祇園祭斎竹」から、さらに四条通を東進して「八坂神社御旅所」

宵山期間中は、厄除けちまきの授与所なのですが、前祭の山鉾巡行の後、3基の御神輿が八坂神社を出立し、御神域を渡御し、こちらの御旅所に後祭まで一週間の間、遷座します。

1591年より前は、3基の御神輿のうち中御座と西御座の2基が「大政所御旅所」(烏丸仏光寺下ル)を、東御座は「少将井御旅所」(烏丸竹屋町下ル)を御旅所にしていました。


(27) 八坂神社

「八坂神社御旅所」から四条通を東進して、宵々山ウォークのゴール「八坂神社」です。

いつもは空っぽの舞殿ぶでんですが、

宵山期間中だけは3基の御神輿(中御座、東御座、西御座)が鎮座しています。
御神輿は、八坂神社の「正面」である南を向いていて、渡御の際も南楼門から出入りします。

本殿

宵々山の日の晩、本殿から舞殿の御神輿に神霊が遷座します。この儀式は、すべての境内の照明が落とされ、真っ暗闇の中で執り行われます。

南楼門を出ると、幸鉾さいのほこが出番待ち。
中御座渡御の際に、八坂神社のお膝元の「宮本組」が7種の宝(勅板、矛、楯、弓、矢、剣、琴)を奉持します(=神宝奉持列)。
この奉持列の先頭に立つのが「勅板」(円融天皇(969〜989)が大政所御旅所に毎年神幸すべしと記した勅令)で、その直後をゆくのが幸鉾です。

祇園祭の原型とされている神泉苑の祇園御霊会では、当時の国の数と同じ66本の鉾が建てられた(現在でも、5月初の神泉苑祭で何本かの剣鉾が建てられるようです)ということで、この鉾が祇園祭では「山」の真松や「鉾」の真木に進化したようです。

鉾のように突出した構造には雷が落ちやすく、落雷は御霊の怨とみなされていたわけですから、鉾は邪を吸い取る役割を担っていて、御霊会の目的と合致しています。
このように山鉾を巡行させて都を清めたあとに、神輿渡御が執り行われるというわけです。

祇園祭「前祭 宵々山ウォーク」は、全行程約4km程度ですが、約2時間ほど歩きます。
酷暑の中のストロールになりますので、くれぐれも熱中症にならぬよう給水、休憩など気をつけてくださいね。


前祭宵々山ウォークのコースをGoogleマイマップで作成しました。
経路はGoogleマップが自動で描画したものですので、実状とは相違がある場合があります。
実際に歩く際には、現地の通行規制にしたがい、十分ご注意ください。

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