短編ミステリー「おふたりさま探偵」 第9話(完結)(創作大賞2024・ミステリー小説部門応募作品)
第1話
https://note.com/why_narab/n/n857f124a0931
前話(第8話)
https://note.com/why_narab/n/n15ecd44ec741
9
「話は終わりましたか」
世志貴のマンションを出ると、喪服姿の春希が物陰から姿を現した。
「ええ。恐らくですが、これ以上の面倒事は降りかかってこない気がします」
濡れ衣を着せられないよう今のうちに釘を刺しておこう――というのが世志貴との対面の趣旨だった。
別れ際の彼の様子を見る限り、その必要はなかったのかもしれない。
何となく駅に向かって歩を進める。春希もそれに従った。
「それは良かった。……これでぼくも安心して死ねます」
「は? どうしたんですか急に」
「だって、決闘は須和部さんの勝ちでしょう」
「勝ち負けなんかないですよ。確かに河野さんの正体に思い至ったのは僕だった気もしますが、あんなのはきっかけに過ぎません。真相が見えてきたのはその後、二人で色々話していたときのことじゃないですか」
「ううん、安心してください。ぼくは元々それでいいと思っていたんです。……なっちゃんを失ったぼくが抜け殻のように生きるより、ひとりでも幸せな須和部さんが楽しく生きるほうがいいに決まっていますからね」
横断歩道に差し掛かったタイミングで、ちょうど歩行者信号が点滅し始めた。
やや乱暴にコンクリートを踏みしめ、須和部は足を止める。
「もう、やめてくださいよ。どうしてそんなこと言うんですか」
「何で不服そうなんですか。須和部さんは元々そのためにぼくを探していたんでしょ?」
「そのためって?」
「何とかしてぼくを消し、自分が生き延びるため」
「そんな馬鹿な」
思わずのけぞった。
「『何とか』には平和的手段も含まれますよ。例えば、ぼくが自発的に生を譲るよう説得するとか」
「いいえ、本当に違うんです。色々なことが起こりすぎて言い出すタイミングがなかったけど、僕はただ……」
須和部はただでさえ通りにくい声をくぐもらせて言った。
さらには目の前を車が通過する。
「あなたにあの日のことを謝りたかっただけなんです」
「すみません。聞こえませんでした」
「ずっと後悔していたんですよ。あの初夏の日、あなたを見捨てて逃げたこと。あの日から僕の人生は変わりました。やけになって何もかも捨てて、そうして手にした自由な生活がこの上なく楽しかった。そんな中でただひとつ、あなたのことだけがずっと気にかかっていたんです」
「心配してくれていたんですか」
「どちらかといえば、恨まれているんじゃないかと思って怯えていました。……勿論心配もしましたけど、日々僕の身にパクチーの鉢が降り注ぐ以上、無事ではあるんだろうなと察していましたので」
歩行者信号が青に変わった直後、当然のように直進してきた黒のミニバンをやり過ごしてから、二人はまた歩き始める。
「罪悪感とか誰かの恨みとか、そういうのって凄く心の負担になるじゃないですか。分かりますか? 僕にとっての幸せはね、『大切な誰かと支え合って暮らすこと』とかの、それさえあればオールオッケーってタイプのものじゃないんです。いわば減点方式。僕が欲しいのはただただストレスフリーな毎日なんですよ」
「ぼくが欲しかったのは前者のタイプの幸せですね。もう手に入らないみたいですけど」
悲しげに笑う春希を見て、須和部はどっと疲れた心地がした。
横断歩道を渡った先のマンションの外壁に手をつき、わざとらしくうなだれる。
「えっ。何事?」
「ああもう、揃いも揃って何なんですか。社会だとか愛だとかそういう大義じみたものを掲げて、僕みたいなおひとりさまの人生を軽視するか蔑視するかしちゃって。……おひとりさまで何が悪いんです? まあ良くはないのかな。でも仮に人口減少が問題なのだとしたら、人はみんな生きているだけで花マル百点満点。幸せの総量が争点なのだとしても、ひとりで最大限ハッピーになれる僕は結構優等生のはずですよ」
「よく分かりませんが、ぼくは軽視も蔑視もしていませんよ。自分より須和部さんに生きていてほしいと真剣に思っています」
「そのためにあなたが死ぬのは駄目なんですって。それで生き延びたんじゃ僕は幸せになりきれませんから。……ずっと言ってやりたかったんですよ、あなたドッペルゲンガーのくせして僕に全然似ていませんよねって。僕、誰かのために自分が死のうとも生きようとも思いませんもん。人生観っていうんですか? この肝心な部分が似ていないんじゃ、僕たちまるっきり別人でしょう」
「かもしれません。記憶喪失となっちゃんとの出会いがぼくを変えたんでしょうね」
「なら、今更成り代わりなんかできっこない。僕が何だかんだしぶとく生きているのはこの状況のおかげなんじゃないですか。今や僕たちは二人同時に存在していてもいいんです。ただ見た目と声がそっくりなだけの別人同士なんだから」
春希は感心したように息を吐いたが、すぐに「いや、それでは質量の問題が解決しません。無から生物が生じるなんて非常識な事態が許されているのは、それが一時的なものだからです」とかぶりを振った。
「知った風に言わないでください。僕たちはもう半年間こうやって生きているんですよ? 思うに、宇宙の歴史から見れば半年なんて『観測すらできないわずかな時間』です。それが例えば五〇年に延びたところで、大した違いはないんじゃないでしょうか」
「ちょっと納得しかけましたけど、ここでぼくが納得したところで何にもなりませんからね」
「少しでも納得したなら、僕のストレスフリーな人生に協力してくださいな。……進んで死を選ぶなんてのはもってのほかですが、経済的理由などで不慮の死を遂げられても寝覚めが悪いので、よろしければうちに住みませんか。僕のふりして食い扶持さえ稼いでくれれば、お互い気持ちよく暮らせるでしょう。身分証くらいは貸せます」
「ぼくにはメリットしかない話に思えますけど、それって犯罪にならないんですかね」
「別に他人に貸すわけじゃなく、同一人物――身分証の正当な持ち主が二人いるだけなんだから問題ないのでは?」
「さっきと言ってることが違うじゃないですか。あと、問題は身分証の件だけじゃありません。単身者用マンションに二人で住むのは流石にまずいと思いますよ」
春希がその場で頷くことはなかった。彼はただ、おもむろに歩き出した須和部の後ろを無言でついてきた。
ようやく清々しい気分になれた瞬間、須和部の鼻先にぽつりと雨粒が落ちた。
そういえば明け方にかけて雨が降るのだったか。
厚ぼったい雲に覆われた夜空を見上げると、妙に明るいベランダが目に入った。レースカーテン越しの室内照明に照らされて、家庭菜園の植木鉢がはっきり見える。それが何だかうごめいている気がする。
……強風のせい?
落ちてくる。直感的にそう思った。
「須和部さん」
そんな声が聞こえた気がする。やがて茶色い鉢が眼前に迫り、
須和部はそれを、
バックステップじみた動きで回避した。
(了)……?
