短編ミステリー「おふたりさま探偵」 第1話
ドッペルゲンガーに出会ってしまった「おひとりさま」と、記憶喪失のドッペルゲンガーをめぐるシュール風味のミステリー。
三万字程度の短編小説……にするつもりでしたが予定より一万字ぐらい増えました。
あらすじ
須和部逸人、三〇歳。おひとりさま生活をそれなりに満喫していた彼は、突如現れた自分のドッペルゲンガーに余命を告げられる。以来不可思議な事故に見舞われまくる須和部だが、思いの外高い危機回避能力により半年間生き延びていた。
そんなある日、彼は自身の恋人を自称する女性・門倉奈津季に出会う。……半年前、ドッペルゲンガーは須和部のとばっちりで事故に遭った。それで記憶喪失になり、普通の人間らしい生活を送る中で恋人を作っていたのである。
須和部と奈津季は手を組み、失踪中のドッペルゲンガーの行方を追う。その末に、須和部とドッペルゲンガーの間の「どちらか片方しか生き残れない」ルールが事件を引き起こすこととなる。
本文 1
何度も言いますが……あなたがベランダに干していた水玉模様のボクサーパンツは、断じて僕のものではないんです。僕はあなたの恋人でもないし、そもそも全くの初対面で。
ただ、あなたが誰の話をしているのかは分かった気がします。
その人はたぶん僕のドッペルゲンガー。さらに言えば記憶喪失のね。
あれは半年前。ぐずついた天気が続く、ある初夏の月曜日のことでした。
当時の僕はまだ、安定経営の中小メーカーに勤めるサラリーマンだったのです。コウダ計器といって、烏丸御池に自社ビルを構える……ご存じない? いえいえ大丈夫ですよ。
新卒から勤めて八年目、総務部に異動して二年弱。インクの薄れたシャチハタと安物の電卓をリズミカルに持ち替え、判型もフォントも多種多様な書類を右から左へ流すのが、日々の業務のほとんどすべて。
その日も僕は、嘱託社員の前田さん(仮名)の「もう六時かあ」という呟きを合図に席を立ちました。
誰より早く帰路につき、人気のない裏道を我が物顔で歩きます。ふと生ぬるい雨が鼻先をかすめました。慌ててショルダーバッグを漁ります。しわくちゃな折りたたみ傘を取り出し、再び顔を上げたそのときでした。
視界の端に人影が映ったのです。
遠くから歩いてくる姿を捉えた覚えはないのに、その人はいつの間にか三メートルほどの距離に接近しています。どこにでも――それこそ僕の家にも――あるようなネイビーの傘を差していて、顔はよく見えません。身長一七五センチ程度の痩せ型で、なで肩ぎみ。首元がよれた白いTシャツの上に、野暮ったい黄色のチェックシャツを羽織っています。胴回りはぶかぶかなのに袖の長さは足りていません。やたら鮮やかなブルーのデニムも、これまたぶかぶか。
早い話がその前日、古書店に出かけた際の僕と同じ服装です。
気づかぬふりでやり過ごそうとした僕を、その人は「待ってください」と、聞き覚えのありすぎる声で呼び止めました。僕が振り向いた途端、差していた傘を畳み始めます。
どうしてそんなことを? 雨は降り出したばかりなのに。その湿気に弱そうな癖毛が濡れてしまうよ。……と密かに心配した矢先、「ひっ」という情けない声が漏れました。
ろくに整えていない垂れ眉。実はぱっちり二重なのに、眼鏡の分厚いレンズのせいで印象に残らない目。色白が災いして目立つ髭の剃り跡。
要するに、その人は僕と全く同じ顔をしていたのです。ちなみに眼鏡はフチなしタイプ。鼻パッド一面の緑青に至るまで、僕が昨年まで使用していたものにそっくりです。
僕は思わず「あのう。あなた、一体どこのどなたですか」と、震える声で尋ねました。
「見ての通りあなたのドッペルゲンガーです。どこの、と言われると困りますが」
「ドッペルゲンガーって、あれですか。出会ってしまった人間はそのうち死ぬとかいう」
彼は「ええまあ、はい」と言って作り笑いを浮かべました。口角がうまく上げられないのか、上下の歯を同じくらいの面積で見せて。とても見覚えのある笑い方です。
「じゃあ死ぬんですか、僕。いつ? どうやって?」
「詳しくは分かりませんが、数日のうちにといったところでしょう」
血の気が引きました。
ついでに頭が冷えてきて、急にばかばかしく思えてきました。
……僕は決してオカルトファンじゃありません。どちらかといえば超常現象の存在なんか信じないタイプ。それがどうしてこうもあっさり、ドッペルゲンガーの言い伝えなんか真に受けてしまったのでしょう。
「たちの悪い冗談はやめてくださいよ。ドッペルゲンガー? いやいやただのそっくりさんでしょう。つい話を合わせてしまいましたが」
「冗談なんかじゃありません」
「気持ちは分かります。こうも自分そっくりな人間に出会ったんだから、そりゃ一度話しかけてみたくもなりますよね。けどごめんなさい。僕、少し急いでまして」
強引に会話を打ち切り、僕は彼が現れた方角に向かって歩き出しました。「ちょっと」と呼び止められましたが、構わず速度を早めます。
まだ何か言っていましたが、しとしと響く雨音のせいでうまく聞き取れません。声まで僕そっくりですからね。全然通らないんですよ。
ああそうだ。雨が降っているのでした。
恥ずかしながら相当動揺していたようで、未だ傘は畳んだまま、ショルダーバッグのファスナーは全開です。閉めなくちゃ。慌てて視線を下に向けました。
その先で深淵あるいは漆黒の闇が、僕を飲み込まんと口を開けていました。
……本当にそう見えたのです。よく見ればそれは何ということもない、ただの蓋の開いたマンホールだったのですが。
いや、何ということもないなんてことはないですね。そのまま歩き続けていれば足を踏み外していたはずですから。
放心状態で振り返ると、自称ドッペルゲンガーが感心したようにこちらを見ていたので、思いきり睨みつけてやりました。僕は気の小さい人間ですが、自分そっくりな人間が相手なら強気に出られるようでした。器も小さいということです。
すると彼は突然目線を空に向け、「あ」と呆けた声を上げました。つられて同じ方向を見ます。
途端に世界がぐらりと傾きました。
ううん、それは錯覚。傾いているのは風景のほんの一部、具体的には視界の右寄りにある電柱でした。電柱はぐんぐん大きくなっていきます。実はそれも錯覚で、僕に迫ってきたというのが正しい状況でしたね。
根元からぽっきり折れて頭上に迫りくる電柱を、サイドステップじみた動きで間一髪回避しました。運動全般が苦手なわりに、逃げたり避けたりするのだけは得意な僕の面目躍如です。そのまま不格好にすっ転びましたけども。
立ち上がり、スラックスの汚れ具合を確かめるうちに実感しました。
……僕は死にかけたのです。この短時間で二度も。
もはや彼の言葉を信じるほかありません。
恐ろしくなって、対処法も何も聞くことなく逃げ出しました。振り向きもせず一目散に、ただし周囲の危険には細心の注意を払って。
そうして当座の帰宅には成功しましたが、僕の話はまだ続きます。すみません。
次の日のことです。
休みたい気持ちでいっぱいでしたが、残念ながら会社の休日は土日でその日は火曜日。
通勤中、当然のように植木鉢が頭上に落ちてきました。これも回避したとはいえ、そんなファインプレーをずっと続けられるはずがありません。このままでは自分は早晩死ぬだろうと思いました。
幼き日の僕はドッジボールで最後のひとりになりがちでしたが、思い返せばそういうときは大抵、時間ぎりぎりに力尽きて仕留められていましたし。
帰りはいつもと違う道を選びました。にもかかわらず、前日と同じ服装をした彼――ドッペルゲンガーがまた現れたのです。
「せめて着替えて出直してきてくださいよ。汗をかく季節なんですから」
「あなたの部屋からなくなったのって、今ぼくが着ているものと眼鏡だけでしょう。それとタンス預金の一万円。つまり現在のぼくの持ち物はそれだけなんです」
「僕の部屋から盗んだものばかり身につけているんですか」
あまり驚かずに済んだのは、既に確かめていたからでした。彼が身につけている白シャツにチェックシャツにデニムに眼鏡、それから恐らく下着一着と靴下一足。それらは確かに部屋から消えていたのです。
……お金が減ったことには気づいていませんでしたが。
「泥棒なんかしませんよ。これは何というか、ドッペルゲンガーの初期装備のようなもので」
詳しく尋ねようとした僕を遮り、彼は「ところで今日は一日どうでした?」とのたまいました。
「どうと言われても別に。いつも通りの一日でした。変わったことといえば、パクチーの植木鉢が落ちてきたことくらいですか」
「災難でしたね。パクチーは苦手なのに」
「食べるわけじゃないので中身は何でもいいんですよ。しかし、僕の好き嫌いなんかよくご存知ですね」
「ぼくはあなたと同じ記憶を持っていますから。今後の生活をスムーズに送るためにね」
首を傾げます。ドッペルゲンガーに出会った人の体験談などは前日に多少調べていましたが、思えば、ドッペルゲンガーの側にも生活があるなどとは考えもしませんでした。
「あなたが死んだら、ぼくがあなたに代わって今まで通りの生活を続けなければなりません。ドッペルゲンガーであるぼくはそれを使命として生じました」
「僕に成り代わるってことですか。何故? 生じたっていつどこから、何から?」
「いつと問われれば昨日です。他はぼくも知りません。ただ使命と記憶だけがあります」
「無から生物が生じるわけないでしょう。質量保存の法則ってのがあるじゃないですか」
化学の知識は中学止まりな文系の僕には、その程度の反論しかできません。
「はあ、化学変化の前後で物質の質量は変化しないっていう。でも『前後で』ですよね。その最中、観測すらできないわずかな時間における変化を否定できますか? 今がその瞬間だと考えてください。そのうちどちらかが消えれば最終的なつり合いはとれます」
「消えればも何も、人間の構成物が本当に消滅するわけもないのに」
「いえ、本当に消滅します。あなたが死んだら死体は跡形もなく消えるはずです」
「そんな馬鹿な。……待って。さっき『どちらか』と言いましたよね? もしかして、死ぬのがあなたでも同じことになるんですか」
ドッペルゲンガーは目を見開きました。
失言だったようです。そもそも話すべきではなさそうなことばかり話していた気もしますが。
彼はきっと、負い目を感じると何でも正直にぶちまけたくなるタイプなのでしょう。僕と同じです。そうすれば許されるわけでもないのに。
……何はともあれ図星のようです。
つまり、僕が生き延びるためには彼が代わりに死ねばいい。
そんな考えが頭に浮かんで、何だか自分が恐ろしくなりました。
「ごめんなさい、ひどいことを言いましたね。今の質問は忘れてください」
僕は自分と同じ顔から目を逸らし、また逃げ出そうとしました。大事な話の最中なのに。
直視したくなかったのです。死の恐ろしさも、優しさだけが取り柄だと思っていた自分の思わぬ醜さも。
一刻も早く安全な場所――外界の危険にも他者からのストレスにも脅かされないひとりきりのワンルーム――に帰って平穏を取り戻したい。
その一心でコンクリートの地面を蹴った直後、クラクションの音が耳をつんざきました。
駆け出した先の三叉路に車が突っ込んできた
のです。
昨日から続くアクシデントに鍛えられていたおかげか、僕はまたしても難を逃れました。
しかし胸をなで下ろす間もなく、甲高いブレーキ音と「どんっ」という衝突音が立て続けに響き、僕が尻もちをつく音は完全にかき消されます。
衝突音の正体はすぐに分かりました。
ドッペルゲンガーです。後を追ってきていたらしい彼は勢い余って僕を追い越し、不幸にも車にはねられたのです。
呆然と前を向けば、微動だにせず扉が開く気配もない銀のプリウス――車種に詳しくない僕でも、社用車として導入されている車くらいはわかります――と、右肩を下にして倒れたドッペルゲンガーの姿が見えます。
僕が救急車を呼ぶべきだと思いました。それに警察も。しかしそんな常識的行動を、実行に移すことはとうとうできませんでした。
次の瞬間、僕の頭は目の前で起こる非常識な現象のことしか考えられなくなったためです。
それは幻想的な光景でした。
赤い光の粒がドッペルゲンガーにまとわりつき、やがて空中に霧散していきます。よく見れば粒は彼自身――もっと言えば彼の負った大小様々な傷から――湧き出ているようでした。
彼が言ったことは正しかったのだなあ、と呑気に思いました。この現象こそが「どちらかが死んだらその死体は跡形もなく消える」ことの証明なのでしょう。流れた血液はもはや生体の一部ではないとみなされ、初めから存在しなかったかのごとく消え失せたのです。
しばし見惚れていた僕ですが、車の走り去る音で正気に戻りました。
寝転がったままのドッペルゲンガーに駆け寄り、恐る恐る声掛けをします。
彼の意識ははっきりしていました。けれど記憶はぼんやりしていて、自分がどうしてそこにいたのかも、僕が誰なのかもわかっていない様子でした。ついには僕の「ともかく救急車を呼びますよ」という申し出を断り、その場をふらふら立ち去ってしまいます。
何せ僕自身大混乱のさなかでしたから、それ以上彼を引き留めることはできませんでした。
すっかり話が長くなってしまいましたね。
つまり、それ以来姿を消したドッペルゲンガーこそあなたの探し人――現在失踪中だというあなたの恋人さんに違いありません。
断じて作り話じゃないんですよ。我ながら突拍子もない話だとは思いますが。
それにね、よくできた話でもあるんです。物心ついた頃からひとりが好きで、「いつもひとりの逸人くん」などと揶揄されてきた自他共に認める「おひとりさま」の僕が、こうして突然おふたりさまになってしまうだなんて。
……すみません、面白くありませんでしたか?
あ、はい。僕は須和部逸人といいます。あなたのお名前は?
第2話
https://note.com/why_narab/n/n579150014a9d
第3話
https://note.com/why_narab/n/n15c227082fdf
第4話
https://note.com/why_narab/n/n55eb19e28e1a
第5話
https://note.com/why_narab/n/n8d306b624ca0
第6話
https://note.com/why_narab/n/n1b360ed1c0c8
第7話
https://note.com/why_narab/n/nc1c09a754f67
