短編ミステリー「おふたりさま探偵」 第7話 (創作大賞2024・ミステリー小説部門応募作品)
解決編その1。
残りも今日(創作大賞締切日)中に投稿します。間に合え!
第1話
https://note.com/why_narab/n/n857f124a0931
前話(第6話)
https://note.com/why_narab/n/n1b360ed1c0c8
7
「お支払いの後にはお手洗いに寄るのが常なもので」
「でしょうね、僕も同じですし。……もしかして春希さん、さっきの前川さんとの会話を聞いていました? 僕を尾行でもしたんですか」
春希はばつが悪そうに頷いた。
「じゃああれですか。裸眼なのは変装か何かですかね」
「眼鏡を外せば別人に見えるとよく言われるもので」
「でしょうね、僕も同じですし。……危ないので早く眼鏡をかけてください」
同じ顔の人間が二人いるところを見られないよう、須和部は春希ともども俯き加減に店を出た。
「どうしてこんなことをしたんです? 奈津季さんのお兄さんに頼るんじゃありませんでしたっけ」
「そのつもりだったんですが、きっぱり断られてしまいました。まずもって世志貴さんはあの事件の捜査には一切参加していないらしく」
「そりゃ身内が絡む事件ですもんね。それで他に行くあてもなく、僕がマンションから出てくるのを見張っていたってわけですか」
「いや、須和部さんのふりをしてコウダ計器を訪れてみようかな……くらいのことは考えたんですけどね。別人だとばれた後のことが怖いのでやめました」
「まあ、正直僕たちにできることなんてそのくらいですよね。現場に行くか会社の人に話を聞くか。その程度で分かる真相ならとっくに警察が見つけているはずで」
何となく自宅方面へと歩みを進める。春希は大人しく斜め後ろをついてきた。
「つまり、ぼくたちの行為は時間の無駄だとでもおっしゃるんですか」
「無駄だとまでは。でも、探偵ごっこを種目に採用したことは無茶だったと思いますね」
もしも決着をつけないためにそうしたのであれば、悪くない選択だと須和部は思っているが。
「もしどうしても自分の手で事件の真相を暴きたいというなら、せめて協力するべきじゃないでしょうか。それにしたって無力が微力になるか、埃が塵になるくらいですけど」
「後者のふたつの違いが分かりませんが、まあいいや。……ぼくだってそのくらい分かっていますとも。ですが、ぼくは須和部さんのことを信用していませんでしたので」
青の歩行者信号を前にして、春希の足音がぴたりと止まる。
須和部もすぐに立ち止まり、その場で振り返った。
「何なら疑ってすらいました。事件の調査を持ちかけた上で、少し泳がせれば尻尾を出すかもしれないと思った。そんな目論見もあって、自分が不利になりそうな種目をあえて選んだんです。なのに、真面目に聞き取り調査を始めてしまうんだもんなあ」
「僕を疑っていた? 一体どんな風に?」
「あなたが河野秘書を唆して、ぼくを殺させようとしたんじゃないか。そのはずが、手違いでああなってしまったんじゃないか。……という風にですよ」
「とんでもない。僕にそんな恐ろしいことができると思います? それはあなたがいちばんよく分かっているんじゃないですか」
「どうでしょうね、何といっても自分の命がかかった場面ですし。だってあなた、ドッペルゲンガーに遭遇しておきながらこうして半年も生き延びているわけでしょう。四六時中気を張り、生命の危機に目を光らせていなければそんなことはできません。何という生への執着でしょうか」
「ただ生きているだけの人間にそんな悪口を言うのはどうかと思います」
言い返しながらも、須和部は行き交う車の動きをきっちり気にかけていた。
「ちょっとくらいは言っても許されると思っていますけど。だって、須和部さんは半年前にぼくを見捨てましたもんね」
「……あなたがひき逃げに遭った日のことですか」
「ええ。車にはねられて地面に倒れたぼくを、あなたは放置して逃げ去った。その瞬間の記憶だけは何故だか残っていたんです。前後のことはさっぱりですけど」
「あのときのことは……僕は本当は……」
「そのくせ、どっさば会の人たちには微妙な嘘をついた。一応ぼくを助けようとしたとか何とかね」
言葉に詰まる。
春希の言う通り、須和部はあの日彼を見捨てて逃げ出していた。しかしすぐに自分の行為が恐ろしくなり、事故現場に舞い戻ったのだ。
ところがそのとき春希の姿は既になく、須和部は彼を助ける機会も彼に謝る機会も失った。
そのことはずっと須和部の心に引っかかっていたが、春希以外の相手に懺悔するのも筋違いだと思い、小さな嘘を重ねてきてしまった。
「すみません、昔の話なんかどうでもいいですね。……須和部さんがどんな人であれ、なっちゃんの事件の黒幕などではないってことは何となく分かりましたし。聞き取り調査をやってくれたってだけでそう判断するのは早計でしょうが、何というのかな。元が同じ人間だからこその勘ですかね」
「ああそうか。春希さんは僕と前川さんの会話を聞いていたんですよね」
「ええ。須和部さんの声はあまり通らないので、聞き耳を立てるのが大変でした」
「だったら、決闘はもう終わりでいいんじゃないですか。決して僕の勝ちだと言いたいわけじゃありませんが、河野さんの動機はだいたい予想がつきましたよね。前川さんはそのうち警察にも同じ話をするはず。あとは答え合わせを待つだけです」
「けど怪文書の中身も、河野秘書があっさり警察にマークされた理由もさっぱりですよ」
「当時会社にいたのは河野さんひとりだったんじゃないですか? 日曜の夜でしたし、ビルの開け閉めは彼の社員証で行われたみたいですし」
「それはおかしい。普通、自分ひとりが疑われる状況で殺人なんか犯さないでしょう」
「確かに。何とかして罪を逃れようとするはずですよね」
「ぼくたちの待ち合わせのタイミングで、河野秘書がちょうどビルにいたのも不思議ですし」
「何もかもただの偶然という可能性もなくはないですけどね。何といっても僕はドッペルゲンガー現象の当事者。あらゆる危険を引き寄せてしまう身ですから」
ふと正面を見る。何度目かの青信号、周囲に車の気配はない。渡るなら今だ。
春希と話すことで、停止していた思考が思いがけない方向に巡り始めるのを感じていた。
高校までは真面目に勉強に取り組み、名門といわれる国立大学に入って、一度怠惰に染まった後、規模はそこそこながらも安定経営の企業に就職する――須和部はそんな「そこそこ優等生」の典型じみた人生を送ってきた人間である。考えることは決して嫌いではなかった。「……ん? ドッペルゲンガー?」
「はい」
「呼んでません。先ほど自分で言った言葉に自分で引っかかっただけです」
「『ドッペルゲンガー』の言葉にですか」
「ええ。ちょっと確認したいのですが」
信号を渡るのも忘れ、春希に向き直る。
「もしも奈津季さんじゃなく、僕かあなたが死んでいたとしたら……その死体はどうなっていましたか」
「跡形もなく消えたはずです。光の霧が空気中へ拡散していくように」
春希は言い終えると同時にはっと目を見開いた。「その場合、現場に残るのは落下した看板だけ。人的被害はなかったことになる?」
「そうなる見込みだったとしたら、河野さんの杜撰すぎる行動も理解できます。看板を落としたのは自分だと露見したところで、総務部か経営陣にお咎めを受けるだけで済むかもしれませんから」
「道路を傷つけた罪なんかもあるかもしれませんが、それにしたって殺人ほど重くはないか。あの日なら爆弾低気圧への備えという言い訳もできましたし」
春希は自ら否定するようにかぶりを振った。
「……いやいや。その見込みで看板を落としたのだとすれば、河野秘書は予めドッペルゲンガーのルールを知っていたことになりますよ」
「知っていたかもしれませんよ。ネットで検索すればそれらしい噂がいくらでも出てきますし」
「目にしたところで信じられやしません」
「僕は信じましたよ。自分でも意外なほどあっさりと」
「それはぼくの姿を目の当たりにしたからでしょう。その上、直後に死にかけた。人が荒唐無稽な話を信じるには実体験が必要です」
確かに須和部自身、伝聞だけではドッペルゲンガーの存在など笑い飛ばしていたはずだ。
春希は続ける。
「もしも須和部さんの説が当たっているとしたら、河野秘書は次の条件を満たしていることになります。ひとつはドッペルゲンガーについての知識があり、ドッペルゲンガーあるいはオリジナルが死ねば、その死体は消えると理解していること。もうひとつは、須和部さんがドッペルゲンガー現象の当事者だと認識していること」
「どちらにしても、知っただけでは信じきれないでしょうね」
ただ知っただけの状態で、殺人の実行にまで踏み切れるとはとても思えない。
「ぼくもそう思います。あ。でも例えば、怪文書の内容がドッペルゲンガーのルールに関するものだとすれば……」
「それじゃあますます信じられない気がします」
「ですよねえ。封筒の中身は脅迫状で、河野秘書は自分が須和部さんに脅迫されていると勘違いした。とまあ、こちらのほうがまだ納得できる」
そう言われても、須和部には勘違いされる覚えなど全くなかった。
脅迫のネタとしてよくあるのは女性関係の弱みや犯罪行為などだろうか。
しかし須和部はゴシップに詳しいほうではないし、プライベートのネタを握れるような接点など河野との間には存在しなかった。
犯罪行為にしても、目撃したものといえば生涯でせいぜい……
思わず、あっ、と声を上げる。
「あの車の運転手!」
須和部は叫び、春希は目を瞬かせた。
「半年前に春希さんを撥ねた車の運転手。あれが河野さんだったんですよ! その人にとって、ひき逃げの被害者は自分に対する脅迫のネタを持つ存在です。しかもその人は僕と同じく、ドッペルゲンガーのルールを信じるに足る体験をしたことになる」
「ああ! ……いやでも、同じ顔の人物が二人一緒にいるのを見たからといって、それだけでドッペルゲンガーの実在を信じられますかね。普通、真っ先に考えるのは双子その他の血縁者の可能性では?」
「その可能性は排除できたのかもしれません。まあまあ有名な弟がいるせいで、僕の家族構成はこの辺りに知れ渡っていますので。そうそういる苗字じゃありませんし」
「なるほど。しかし、運転手は須和部さんに脅迫のネタを握られたと思った……という話についても疑問はありますよ。運転手の側はひき逃げの被害者の顔をばっちり見たのかもしれませんが、自分のほうも相手に見られたとまではあまり思わないのでは? 倒れたぼくと目を合わせでもしたんですかね。記憶にありませんが」
「それなんですけど……ちょっと別の話をしてもいいですか? 僕、以前から少し不思議に思っていたことがあって」
「はあ。今すべき話ですか?」
「春希さん。あなた奈津季さんと一緒に住み始める前、生活費はどうしていたんですか」
「本当に何の話です? ……元々の所持金で何とか生活していましたけど」
「それが不思議なんです。あなたの所持金は一万円だったはずなのに」
「いや、一〇〇万円持っていましたよ」
「現金で? 一体何のお金だと思っていたんですか」
「何のと言われても。そういえば、記憶を失ったぼくはあれを後ろ暗いお金だと思い込んで、病院や警察に行くのを避けていたのでした。今にして思えばあれもドッペルゲンガーの初期装備だったのでしょうね」
「いいえ、本当に後ろ暗いお金だったのではないかと僕は思っています。あの日、ひき逃げを起こした河野さんはすぐに恐ろしくなり、現場に戻ってきたのではないでしょうか。僕も同じようなことをしたので気持ちは分かります。ひょっとすると、そこでようやく被害者が元同僚の須和部――実際には春希さんですけど――であることに気づいたのかも。知人に顔を見られた以上もう逃げようがありませんから、相手にお金を握らせることで口を封じようとしたんです」
「ええと。つまり、ぼくが生活できていたのはそのとき手に入れた示談金のおかげだった……?」
「そして半年が経ち、ひき逃げ事件のことを知る何者かから怪文書が届いたと。……そりゃ須和部の仕業に違いないと思いますよね」
春希は嘆息し、須和部は信号機と停止する車に目をやった。
次話(第8話)
https://note.com/why_narab/n/n15ecd44ec741
