短編ミステリー「おふたりさま探偵」 第5話 (創作大賞2024・ミステリー小説部門応募作品)
第1話
https://note.com/why_narab/n/n857f124a0931
前話(第4話)
https://note.com/why_narab/n/n55eb19e28e1a
5
須和部がようやく落ち着けたのは夕方になってからだった。
嵐のような一日だったといっていい。
爆弾低気圧に伴う突風の影響で、あらゆる飛来物が彼の頭上を舞った。全京都市民の七割程度が家庭菜園に手を出しているのではないかと思えるほど。
とはいえ、そのような事態は彼にとってはもはや些事。
真に彼の心を乱したのは、深夜〇時過ぎに起こった事件とそれにまつわる一連の出来事であった。
金のはかるんどん像の前で春希と合流した須和部は、警察に連絡を入れた後、地面に倒れた屋上看板を彼と共にどかそうとした。しかし思うようにいかず、悪戦苦闘しているうちに救急車のサイレンが響く。
「この後警察も来るでしょうし、僕たち二人の関係について聞かれるとややこしいことになるかもしれません」
と、自宅マンションの鍵を春希に渡し、一旦そこで待機しておくよう伝えた。
須和部のほうこそ逃げ出したい気分ではあったが、目撃者にして通報者である以上、その場に残るべきは自分だと判断したためである。
間もなく救急隊が到着し、搬送準備と並行して須和部への聞き取りを行った。
奈津季との関係性について尋ねられた須和部は、つい通りすがりの他人だと答えてしまう。この非常時にドッペルゲンガー現象の説明などできるはずがなかったし、春希に代わって彼女の恋人を自称するのには抵抗があった。
続いて警察も到着し、やはり須和部への聞き取りを始めた。
その間に救急車は奈津季を乗せてその場を走り去る。赤の他人の須和部が同乗を打診されることはなかった。
時刻が時刻だからか、ほんの数分程度のやりとりのみで解放され、須和部は徒歩で丸太町の自宅へ戻った。
居間に足を踏み入れるなり、電気もつけずラグの上に寝そべっている春希の姿が目に入る。
布団を使って構わないと伝えても動く気配がないので、結局自分が布団に潜り込むことにした。いたたまれない空気に耐えきれず、現実逃避のごとく眠りにつく。
目覚めたのは昼頃。食事も取らず布団の中で無為に過ごすうち、警察からの呼び出しの電話を受けた。
そして一六時過ぎ。本日二度目の帰宅を果たした須和部は、朝と全く同じ体勢を崩さない春希に重々しく告げた。
「奈津季さん、亡くなったそうです」
春希は芋虫のごとくもぞもぞ動き、ゆっくり体を起こした後で「なっちゃん……」と呟いた。「どうしてこんなことに。ぼくが代わってあげられたらいいのに」
色白の鼻頭がみるみるうちに赤くなり、溢れた涙が眼鏡のレンズを汚す。
彼はきっと本気でそう言っているのだなあ、と須和部は呑気に思った。あのとき須和部を――恐らくは春希だと思い込んで――助けるために飛び出してきた、奈津季もまた同じだったのかもしれない。
須和部にはそんな考え方はできない。愛する人の不幸を自身が肩代わりしても構わないなどとは。きっと、あの看板の直撃を食らったのが自分じゃなくて良かったとすら思っている。
……あの初夏の日のように。
果たして、生き延びるべき人間は本当に自分だったのだろうか。
「須和部さん」
突然呼ばれ、須和部は肩を震わせた。
「警察で聞いた話はそれだけですか。他には?」
「特に。僕は話を聞かれる側でしたからね」
「例えば事故の原因とか」
「教えてくれませんでした。まだ調査中なんじゃないでしょうか? ただ……」
そこで言葉を切り、しばし黙り込む。
「ただ?」
「いえ。無責任なことは言えませんので」
「何でも構いません。ぼくは何故なっちゃんが死ななければならなかったのかを知りたいんです」
須和部が先ほど言いかけたのは警察からの質問内容だった。ぶちまければ自身は多少すっきりするものの、春希にとっては間違いなく苦悩の種となるような。
しかし春希自身が望むのであればと、結局伝えることにした。
「教えてもらえたことは何もないのですが、気になることがひとつ。……河野旺輔さんと僕の関係性をしつこく聞かれました」
「はい? 誰?」
「コウダ計器に僕より三年早く入社した先輩です。今は社長秘書をやっています」
「知らない人の名前が突然出てきたので動揺しました。……親しい先輩だったんですか?」
「いいえ。新人の頃一年だけ同じ部署にいましたが、河野さんが異動になってからは接点もなく。僕ですら聞かれたときは一瞬『誰だっけ?』と思った程度の関係性ですよ」
「何でまたそんな」
春希は無造作に眼鏡を外し、毛羽立ったチェックシャツの袖でレンズを拭こうとして、ぴたりと動きを止めた。
「……そんな人との関係性をしつこく聞かれたですって? あの看板の落下は事故じゃなく、河野秘書とやらが須和部さんを殺そうとして故意に起こしたもの。警察はそう考えているってことじゃないんですか」
「明言されたわけじゃありませんが、そうかもしれませんね。だとしたら気の毒です」
「気の毒?」
「僕が不自然な事故に見舞われるのは日常茶飯事。そのせいで――例えば仕事が立て込んでいてたまたまその時間に会社にいたとかの理由で――河野さんが本当に疑われているとしたら、とても気の毒だし申し訳なく思います」
巻き込んでしまった奈津季に対しても似た感情を抱いていたが、その名を軽々しく口に出すことはできなかった。
「そうなんでしょうか。いくら立て込んでいたからって、昨日は日曜ですよ? 河野秘書が本当に殺人犯だという可能性はないんですか」
「まさか。一体どんな事情があれば、五階建てビルの屋上から通行人めがけて看板を落とそうなんてことを思いつくんです?」
「狙われたのは通行人なんかじゃない。元同僚の須和部さんですよ」
「僕が狙われる理由なんかないんですって」
「それは間違いないんですか? 知らないうちに恨みを買っていたのかも」
「全く心当たりがありません。そりゃ急に退職したことは悪かったと思っていますけど……引き継ぎ期間はちゃんと取りましたし、まず僕の退職で社長秘書に悪影響が及ぶことはないですからね」
「本当に? 会社に連絡して確かめてみてくださいよ」
内心辟易しつつ、須和部は素直に従うことにした。
奈津季の死がドッペルゲンガー現象によってもたらされたものであることを、春希はどうしても認めたくないのだ。少なくとも、須和部の言葉だけでは納得させる材料が足りない。そう解釈したのだった。
ひとまず、退職時まで籍を置いていた総務部にスピーカーモードで電話をかける。
「コウダ計器総務部でございます」
二度のコール音の後、聞き慣れた声がした。
出たのは嘱託社員の前田さん(仮名)こと前川智治だった。
「お疲れ様です。先日退職しました須和部です」
「須和部?」
スピーカーモードでもぎょっとするほどの大声。須和部の名は彼を相当驚かせたらしい。
「何だお前、生きてたのか。噂なんてあてにならないもんだなあ。でも……このタイミングで電話なんか掛けてくるってことはやっぱり、なあ?」
興奮ぎみに言う前川だが、須和部には何が「なあ?」なのかさっぱり分からない。
「はあ。噂というのは?」
「お前が河野に殺されたって噂」
「とんでもない。僕はこの通り生きていますよ」
流石に動揺して、須和部は思わず自分を指差した。当然話し相手には何も見えていない。
「でも、どうしてそんな話になったんですか」
「いや、夜中に会社の屋上看板が落下してさ。それに通行人が巻き込まれて亡くなったとかで」
そこまでの報道がなされていることは、須和部もつい先ほどネットニュースで確認していた。
「今朝から警察が会社に来ていて、何故か河野とお前の関係についてやたら聞き回っているんだ。当の河野はというと今日は欠勤。こりゃ事故じゃなくて殺人事件だぞ、犯人は河野で被害者は須和部――という噂が立ったってわけだ」
「最新のネットニュースでは、亡くなったのは二〇代の女性だということになっていたと思いますけど」
「仕事中に最新情報なんぞ追えるか」
「それもそうですね」
「しかしまあ、その亡くなった女性には気の毒だが……お前が無事で良かった。俺はちょっと責任を感じていたところだったんだよ」
「僕に対してですか? 前川さんがどうして?」
「河野が突然、お前の現在の勤め先やら電話番号やらを聞きに来た時点でおかしいと思うべきだった。『退職者のことは分からん』の一点張りで通してしまったが、あの対応が良くなかったのかも。せめてその後お前にも連絡しておけば……なんて考えちまってさ」
「え。河野さんが僕のことを聞きに来たんですか? 昨晩よりも前に?」
「ああ。先週の木曜日だったかな」
須和部と春希は顔を見合わせる。
「おかげで今日は仕事が手につかなかったよ。こっそり調べてみたら、日曜の二三時過ぎと一時前に河野の社員証でビルを開け閉めした記録が出てきたしさ」
その記録を知っていたとしたら――あるいは須和部が帰された後、ビル内に残っていた河野が発見されていたとしたら――警察が河野を疑うのも道理ではないか。
無関係の奈津季ではなく、コウダ計器の元社員である須和部が狙われたのだと判断するのも。
「被害者がお前じゃないってんなら、あの件は単なる事故だったのかもな。思えば社長が屋上看板の老朽化を気にされていた。それで秘書の河野が思い立って、爆弾低気圧が来る前に補強なり取り外しなりをしに行ったとしても、そこまでおかしな話ではない。……仕事中なんだ、無駄話はここまでかな。電話の用件はなんだったんだ?」
「あ、いえ。会社で事故があったと聞いたので、その詳細を知りたかったんです。亡くなったのは会社の後輩だったりするんじゃないかと思って」
「会社の人間ではなさそうだぞ。けど誰のことを気にしてたんだ? 亡くなったのは二〇代の女性なんだろ」
咄嗟に吐いた嘘が思いがけず前川の興味を引いてしまったらしく、須和部は慌てて、
「皆さん無事なら大丈夫です。色々聞けたのでもう十分。お忙しいところすみませんでした」
と、話を切り上げた。
……思い返せば前川は噂話が好きで、「コウダのゴシップ王」などというやや不名誉なあだ名をつけられても、それを誇りに思っていそうな男だった。
電話を切るなり、春希が須和部の肩を叩く。
「今の話、どう思いました? ぼくはますます河野秘書への疑いが強まったと思いましたが」
「それは僕も……ですが、動機には本当に全く心当たりがないんです。河野さんが僕の連絡先を突き止めようとした理由にしたって」
「気になりませんか?」
「そりゃまあ」
「ではこうしましょう。……決闘の種目は『先に河野の動機を暴いたほうが勝ち』です。それを調べた結果ただの事故だと判明しても、それはそれで。さっきも言いましたが、ぼくは何故なっちゃんが死ななければならなかったのかを知りたいんです。それを暴いたのがあなただったとしたら、ぼくは納得して死ねると思います」
奈津季さんがどうして死んだか? それは僕を助けようとしたせいですよ。調べるまでもない。
そんな言葉を口には出さず、須和部はそっと頷いた。
