決断を外注し続ける組織|決めない知性③
▶“決めない人”ほど偉くなる理由|決めない知性 ①
▶AIに任せたいのは分析ではない|決めない知性 ②
今まで私は、
いろんな会議に参加してきた。
営業提案の会議。
定例会議。
部門会議。
進捗会議。
打ち合わせ。
企画会議。
改善会議。
DX会議。
AI活用会議。
名前はいろいろ違った。
でも不思議なことに、
途中から全部同じものに見えるようになった。
「なんで決めないの?」
会議室に座りながら、
何度そう思ったか分からない。
もちろん、
誰もサボっているわけじゃない。
みんな真面目だった。
数字も見ている。
リスクも考えている。
質問もしている。
資料も作っている。
誰も空気を乱さない。
誰も怒らない。
誰も反対しない。
誰も責任を押し付けてもいない。
でも、
何も決まらない。
ある会社では、
会議がバレーボールに見えた。
「ここどうしますか」
担当者がトスを上げる。
「一度確認して」
管理職がレシーブする。
「確認しました」
担当者が返す。
「リスクあるよね」
また返ってくる。
また確認。
また会議。
また検討。
誰もボールを落とさない。
でも、
誰もスパイクを打たない。
点が入らない。
ラリーの時間だけが続いている。
最初は、
慎重なんだと思っていた。
でも途中から違和感が出てきた。
これ、
本当に慎重なんだろうか。
それとも、
決めないことを慎重と呼んでいるだけなんだろうか。
さらに怖かったのは、
この状態が会社の中だけで終わらないことだった。
営業は見ている。
取引先も見ている。
市場も見ている。
「あの会社は決まるまで時間がかかる」
そう学習される。
もちろん誰も表では言わない。
でも、
情報は決まりやすい会社へ先に流れる。
提案もそうだ。
新しい案件もそうだ。
市場は誰かを責めない。
ただ、
流れやすい場所へ流れる。
孤立は突然起きない。
気づかないほど緩やかに、
優先順位の外側へ押し出されていく。
そして会社は、
もう一つ大きなものを失う。
社員の時間だ。
会議。
確認。
議事録。
追加資料。
再確認。
再調整。
給与が発生している時間。
人生の時間。
本来5分で終わる話が、
数週間かかることもある。
しかも不思議なことに、
多くの会社はこのコストを見ない。
請求書が来ないからだ。
だから気づきにくい。
私が一番怖いと思っているのは、
そこではない。
挑戦が消えることだ。
営業は本来、
その場で判断できた方が強い。
過去の事例もある。
金額も範囲内。
リスクも想定内。
本当なら、
その場で言える。
「この条件なら進めましょう」
でも言えない。
なぜなら、
線が存在しないからだ。
どこまでが自分の裁量なのか。
どこから確認が必要なのか。
何がOKで、
何がNGなのか。
言語化されていない。
だから言葉は変わる。
「一度、社内に持ち帰ります」
確認する。
相談する。
「ケースバイケースだね」
「状況を見て判断しよう」
「都度確認で」
一見、柔軟で賢明に見える。
でも続くと変わる。
営業は学習する。
自分で判断しなくなる。
自分で提案しなくなる。
自分で責任を持たなくなる。
なぜなら、
挑戦して怒られるリスクの方が、
挑戦して評価される可能性より大きいからだ。
すると営業は、
「確認します」
が上手になる。
でも、
「この条件ならやりましょう」
が言えなくなる。
これが一番怖い。
会社に循環を促す、
営業という心臓が弱くなる。
営業は、
外から仕事を運んでくる。
新しい顧客。
新しい案件。
新しい可能性。
会社にとっての血液だ。
でも、
血液は流れなければ意味がない。
どれだけ案件があっても、
どれだけ提案があっても、
決められなければ循環しない。
営業は市場との接続部分だ。
だから最初に営業が学習する。
挑戦しなくなる。
提案しなくなる。
判断しなくなる。
心臓が弱くなる。
決まらない会社は、
営業が育たないのではない。
営業が、
育たないように学習していく。
そして最終的に、
全部が上へ戻る。
課長確認。
部長確認。
役員確認。
社長確認。
判断は集中する。
だから上は疲れる。
現場は遅くなる。
会議は増える。
確認も増える。
でも、
決断だけが増えない。
会社を止めているのは、
能力不足なんだろうか。
知識不足なんだろうか。
本当にそうなんだろうか。
なぜなら私は、
優秀な人が集まっている会社ほど、
同じ光景を見てきたからだ。
私は最初、
それでも知識の問題だと思っていた。
判断材料が足りないのだと思っていた。
だから会社は学ぶ。
MBAを取る。
コンサルを入れる。
AIを導入する。
実際、
どれも間違っていない。
最近は、
AIを思考の道具として使う方法も増えている。
問題を抽象化する。
個人の問題ではなく、
組織の問題として見る。
例えば、
若手社員の仕事が遅い。
これを、
本人の能力不足ではなく、
組織設計の問題として考える。
とても重要な視点だと思う。
でも私は、
それを見た瞬間に思った。
これ、
子どもが宿題をやらない時と、
同じじゃん。
親は考える。
どうやったら宿題をやるか。
タイマーを置く。
進捗を確認する。
ゲームを禁止する。
宿題管理アプリを入れる。
毎日通知も飛ばす。
確かにやる。
でも、
親が管理をやめたらどうなるだろう。
たぶん、
すぐやらなくなる。
これは当たり前だ。
なぜなら、
宿題をやる構造が変わったわけではないからだ。
管理が増えただけ。
ずっと管理しなきゃいけないのか?
これが理想的な親なのだろうか?
私は会社を見ていて、
同じことを思う。
進捗会議を増やす。
確認フローを増やす。
レビューを増やす。
管理資料を増やす。
AIで整理する。
確かに回る。
でも、
管理を外したらどうなるだろう。
結局、
また戻る。
だから私は、
それを見るたびに思う。
これ、
宿題アプリを導入しただけじゃない?
AIも同じだ。
AIは整理してくれる。
比較してくれる。
候補も出してくれる。
冷蔵庫を買う時を思い出してほしい。
今はありとあらゆる冷蔵庫がそろっている。
価格も違う。
機能も違う。
レビューも違う。
比較サイトもある。
ランキングもある。
AIに聞けば候補まで出てくる。
でも最後、
こうなる。
「で、どれ買うの?」
家電なら買い替えられる。
でも、
仕事だと自分だけの問題じゃなくなる。
会議室も同じ。
比較資料は揃っている。
競合分析も終わっている。
リスクも整理されている。
選択肢も見えている。
でも最後、
同じことが起きる。
「もう少し検討しましょう」
冷蔵庫を悩む場所が、
会議室になっただけだ。
情報は増えている。
比較も終わっている。
整理もされている。
でも、
誰も決めない。
そして私は、
MBAにも同じ匂いを感じてしまう。
知識が増える。
フレームワークが増える。
分析も増える。
比較も増える。
選択肢も増える。
でも、
決断だけ増えない。
会議室を見ていると、
時々こう思う。
AIを入れるのと何が違うんだろう。
MBAを取る。
AIを導入する。
コンサルを入れる。
決めない組織ほど、
情報だけが増えていく。
なぜなら、
決めなくて済むからだ。
検討は続けられる。
分析も続けられる。
比較も続けられる。
でも決断だけは、
先送りできる。
だから時々、
会議室を見ながら思う。
みんなで決断を探しているように見えて、
実は、
決断しなくて済む理由を探しているだけじゃないのか。
会議室の風景を見ていて、
ふと思った。
私が見ていたのは、
「決まらない会社」じゃない。
「決断を外注し続ける組織」
だった。
営業へ。
上司へ。
会議へ。
コンサルへ。
MBAへ。
AIへ。
みんな少しずつ、
決断を預けていく。
でも不思議なことに、
最後だけは戻ってくる。
「で、どうする?」
その問いだけは、
誰も代わりに引き受けてくれない。
私は長い間、
この違和感をうまく説明できなかった。
会議が悪いわけじゃない。
真面目な人ばかりだ。
優秀な人もいる。
知識もある。
情報もある。
なのに、
なぜ同じ場所で止まり続けるのか。
不思議だった。
でも、
いろんな会社を見ているうちに、
少しずつ見えてきた。
会社には、
見えないルールがある。
就業規則じゃない。
業務マニュアルでもない。
でも、
確実に存在する。
誰が決めるのか。
どこまで挑戦していいのか。
失敗したら何が起きるのか。
反対意見を言っていいのか。
途中で相談していいのか。
どこまで自分で判断していいのか。
そういうものだ。
面白いことに、
これは会社によって全然違う。
同じ会社内でも、
部署によっても違う。
上司の機嫌によっても違う。
同じ業界でも違う。
同じ業種でも違う。
同じような商材を扱っていても違う。
ある会社では、
若手がその場で判断する。
ある会社では、
部長まで確認する。
ある会社では、
社長まで上がる。
どれが正しいという話ではない。
ただ、
その会社が何を恐れていて、
何を許していて、
何を評価しているかは、
驚くほど会議に出る。
私は会議室で、
資料より先に、
そこを見ていたのかもしれない。
MBAの話も、
AIの話も、
コンサルの話も、
途中から少し違って見えるようになった。
それらは、
意思決定を助けてはくれる。
でも、
その会社が無意識に持っているルールまでは、
変えない。
決断すると怒られる会社。
失敗すると責められる会社。
全員が納得するまで止まる会社。
前例がないと進まない会社。
そういうルールが残ったままなら、
新しい道具を入れても、
結局は同じ場所に戻る。
「で、どうすんの?」
「やるの?やらないの?」
「どれを選ぶの?」
私はそれを、
何度も、何度も、見てきた。
マニュアルを作ったのに戻る。
改善したはずなのに戻る。
制度を変えたのに戻る。
仕組みを入れたのに戻る。
AIを入れたのに戻る。
なぜか。
変わっていないものがあるからだ。
会議室で本当に止まっていたのは、
情報ではなかった。
知識でもなかった。
もっと手前にある、
「決断を誰かに預け続ける構造」
だった。
そして厄介なのは、
その構造にいる本人たちは、
ほとんど気づいていないことだ。
自分が決めていないことに。
もちろん、
これは誰かを責めたい話ではない。
私は長い間、
「なんで決めないんだろう」
と思っていた。
でも見ているうちに、
少しずつ考えが変わった。
決めない人が多いのではない。
決めない方が合理的になる構造がある。
そう見えるようになった。
考えてみれば当たり前だ。
決めれば責任が発生する。
決めれば失敗するかもしれない。
決めれば批判されるかもしれない。
でも、
決めなければどうだろう。
検討中です。
確認中です。
調整中です。
そう言っている限り、
責任は発生しない。
少なくとも、
今この瞬間は。
だから組織は、
知らないうちに学習する。
決めるより、
検討した方が安全。
挑戦するより、
確認した方が安全。
判断するより、
相談した方が安全。
そうやって、
少しずつ空気が出来上がる。
面白いことに、
この空気は誰も作っていない。
社長が命令したわけでもない。
役員がルール化したわけでもない。
でも、
気づけば存在している。
誰も怒っていないのに、
みんな慎重になる。
誰も禁止していないのに、
みんな確認する。
誰も命令していないのに、
みんな決めなくなる。
だから私は、
会社を見ていて思う。
組織を動かしているのは、
制度だけじゃない。
マニュアルだけでもない。
人事評価だけでもない。
もっと手前にある。
「この会社で生き残るには、どう振る舞うべきか」
その無意識の学習だ。
営業は学習する。
管理職も学習する。
経営者も学習する。
そして気づけば、
全員が合理的に動いている。
みんな忙しい。
みんな努力している。
みんな疲れている。
でも、
なぜか景色だけが変わらない。
私は長い間、
その光景を不思議に思っていた。
でも今は少し違う。
会社が止まっているのではない。
会社はちゃんと動いている。
ただ、
「決めない方が得をする方向」に向かって、
ものすごく効率的に動いているだけなのかもしれない。
そして私は、
あることに気づいた。
会社は、
思っている以上に、
その会社らしく動いている。
営業が弱い会社なのではない。
営業が弱くなる構造を持っている。
管理職が決められないのではない。
決められなくなる構造を持っている。
会議が長いのではない。
長くなるように設計されている。
最初は偶然だと思っていた。
でも、
何社も見ていると、
偶然では説明できなくなった。
会議室で起きることは、
だいたい再現される。
確認文化がある会社は、
また確認する。
前例主義の会社は、
また前例を探す。
決裁が重い会社は、
また上へ上がる。
驚くほど同じことが起きる。
だから私は途中から、
会議の内容よりも、
会議の動き方を見るようになった。
誰が何を話すのか。
誰がいつ黙るのか。
誰が空気を読むのか。
誰が線を引くのか。
そこに、
その会社の正体が出るからだ。
そして面白いことに、
多くの会社は、
自分たちのルールに気づいていない。
魚が水に気づかないように。
それが普通だからだ。
確認するのが普通。
持ち帰るのが普通。
全員一致を待つのが普通。
部長承認が普通。
社長確認が普通。
だから疑わない。
でも外から見ると、
結構見える。
「あ、この会社は決めない方が安全なんだな」
「あ、この会社は挑戦より確認が評価されるんだな」
「あ、この会社は責任より合意を優先するんだな」
そんなことが、
会議の最初の10分くらいで見えてくる。
そして私は、
その見えないルールを、
勝手にこう呼んでいる。
経営OS。
会社が無意識に採用している、
意思決定の基本ソフトみたいなものだ。
戦略より前。
制度より前。
MBAより前。
AI導入より前。
もっと手前にある。
だから、
ここが変わらない限り、
会社は何度でも同じ場所へ戻る。
マニュアルを変えても。
制度を変えても。
組織図を変えても。
AIを入れても。
また同じ会議が始まる。
私は、
それを何度も見てきた。
でも、
ここで一つ問題がある。
経営OSは、
ほとんどの場合、
本人たちには見えない。
なぜなら、
それが普通だからだ。
転職してすぐ、
その会社独自ルールに軽い衝撃を覚えたことはないだろうか。
最初は違和感を覚える。
けど、すぐ慣れる。
それと少し似ている。
確認する。
持ち帰る。
稟議を回す。
承認を取る。
相談する。
会議を開く。
本人たちは、
それを当たり前だと思っている。
だから気づかない。
むしろ、
それが正しいと思っている。
私もそうだった。
会社員を長くやっていると、
それが仕事だと思うようになる。
確認すること。
間違えないこと。
失敗しないこと。
怒られないこと。
気づけば、
挑戦することより、
安全に生き残ることの方が上手になる。
なぜか前に進まない。
なぜか同じ会議をしている。
なぜか同じ議論を繰り返している。
私は最初、
能力の問題だと思っていた。
でも違った。
能力がある人ほど、
その会社のルールを学習していた。
優秀だからこそ、
空気を読む。
優秀だからこそ、
怒られない方法を覚える。
優秀だからこそ、
確認を怠らない。
そして気づけば、
優秀な人ほど決めなくなる。
これは皮肉だと思う。
会社は優秀な人を集める。
でも、
優秀な人ほど、
その会社のOSに適応していく。
だから途中から私は、
人を見るのをやめた。
営業が悪いのか。
管理職が悪いのか。
社長が悪いのか。
そういう話ではない気がした。
もっと手前だ。
人を変えても戻る。
制度を変えても戻る。
AIを入れても戻る。
なぜなら、
その会社の「普通」が変わっていないからだ。
そして一番厄介なのは、
その普通が見えないことだ。
見えないから直せない。
見えないから議論にもならない。
見えないから、
みんな現象だけを追いかける。
営業が弱い。
会議が長い。
決裁が遅い。
人が育たない。
離職率が高い。
もちろん、
どれも事実かもしれない。
でも私は、
その度に思う。
それ、
煙じゃない?
火事なのに、
煙だけ追いかけてない?
会議室で何年も見てきた。
煙だけ追い払い、
火元を見ないまま。
私は今でも、
会議に参加すると、
つい見てしまう。
誰が何を話しているか。
ではなく、
誰が決めるのか。
資料の出来。
ではなく、
どこで止まるのか。
優秀な人はたくさんいた。
知識もあった。
情報もあった。
MBAもあった。
AIもあった。
それでも、
決まらない会社は決まらない。
逆に、
決まる会社は驚くほど決まる。
この差は、
能力の差なんだろうか。
知識の差なんだろうか。
私はそうは思わない。
会議室で止まっていたのは、
情報ではなかった。
知識でもなかった。
もっと手前にある、
決断のルールだった。
もしこの記事を読んでいて、
思い当たる会議が浮かんだなら。
思い当たる会社が浮かんだなら。
思い当たる上司や部下が浮かんだなら。
一度だけ、
別の問いを置いてみてほしい。
「なぜ決まらないのか」
ではなく、
「この組織は、
何をすると決めない方が得になるのか」
もしかしたら、
見えてくる景色は少し違うかもしれない。
少なくとも私は、
会議室で何年も同じ光景を見続けた結果、
そう考えるようになった。
