【実録・愛着障害】母の中には「愛だと盲信した」一方的な「愛の行為」があったが、それは「私への愛」では無く・新興宗教に洗脳された理性への無自覚という「無愛」だった。
振り返ってみると、父には「愛」があった。彼は「合わせる」事を「愛」だと語っていたが、振り返ってみてもその言葉と行為に繋がりは見えた。
母の「愛」は愛ではなかった。恐らく本人自覚がない。
「愛」は「合わせる」事の中に宿る何かであり、「自我」が消える様なもの。
父は母に「自我を消した」結果を最後まで果たした。
「無愛」の母への奉仕を己の「愛」として。
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新興宗教系文学部女性エリートなど、「左翼女子」を育てる「思考優位」の人間しか育たない。
ホモ・サピエンスの男女は、身体構造も完成も完全に役割が違う。
「グローバリズム」&「カルト宗教」
それが染み付いた状態は、「洗脳された存在」なのだ。
本来は「教育機関」に通う時間に「遊び」「興味」「世間とのつながり」によってただ「愛情」や「女性としての本質」を体験すればよかっただけのこと。
それが「教育機関」に費やされ、大人になった女性が「母」だった。
ある意味イメージとしては「サイボーグ・ターミネーター」の様な存在だったのだろう。
それが「無愛」という「異常な存在」である事を、息子である私が認知するには「孤独」を自ら選択した結果の話だ。
それに気づかぬまま「共依存状態」で生きる人も沢山いる。
蝕の最中に、使徒が変形した女性だと知っていながら泣きつく「コルカス」の様な状態で「感情ポルノ」を繰り返して生きる「家族」が未だ日本国内に沢山いる。
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母は「炭治郎の母」の様でありたいと願ったのかもしれない。或いは私はそうして生きた様に思っているかもしれない。
私が孤独を生きている時点で、残炎ながらそれは「炭治郎の母」ではない。
竈門家は「炎」を使い、「炭」づくりを生業にして生活していた。
私の両親は、私の両親の仕事を継がなかった。
結果的に両親ともに生業は途絶えた。
有能だった二人が、どちらかの職業だけでも継承する、或いは世の中に喜ぶ、必要としてきた人がいる事に、ほんの少しだけ自らのエゴから離れた「愛」があったならば、その「生業」は継承されていたかもしれない。
その代わりとして「イデオロギー」「カルト」「スピリチュアル」に両親は傾倒した。
恐らくそんな事を「祖父母」は望まなかっただろう。
『団塊の世代生まれ』がこの日本国を最悪にした元凶であると、多くの人々が語るが、私の両親も例外ではなかった。
父はそれでも「絶望的大失敗」を何度も繰り返して「ボロボロ」になりながらも這いつくばって、必死に生きた。
その中で「反省」の機会を大量に与えられながら生きた稀有な存在だった。
今の時代、AIにおける「誤差修正モデル」がホモ・サピエンスという存在の「知性・人間らしさの学習」に直結している生命科学事実が認知された時代を生きていたならば、
父はある意味、人類における最高の「可塑性遺伝子的素材」だったかもしれない。
母はダメだった。
私の生き辛さの「99.99%」は『母由来』だ。
「愛着障害」「複雑性PTSD」を長男である私が抱えない方がおかしいほどに、完璧なまでの「無愛」「心理的ネグレクト」を実施し続けた。
そして無自覚であるが故、「思考」で判断する理性が正常であるが故に、それが「修正」されることは無かった。
母が「ゲーム」や「オタクコンテンツ」に子供と一緒に楽しむ事が、「カルト」「マルチ」「スピリチュアル」などを選択することを忘れるくらい母親らしい「馬鹿」になっていたならば、
私は「母からの愛」を知ることで、「孤独」への因果は「戸締まり」されていっただろう。
母は本当に「つまらない人」だった。
「カルト家族」の因子だらけを母自身の理性が作り出していることを、それが当たり前だと「煽てられ」また「本人の心の拠り所」としての「人生経験」は母の「強気」「抵抗」を母の中から解消することはなかった。
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要は「孤独」と「つまらなさ」を人生の初めから持ち合わせて生きてきた。そろそろ人生の終盤においてそこに「回帰」する「死」「老後」に向かっていると感じる。
遺伝子プログラムはただ、母から与えられた生育にあった通りに帰結する。
私は私に与えられたことをただ「放擲」しながら「死」のその瞬間を待つ。
いくら探しても遣り残した希望など、「孤独」しかない私には存在しない。
母にはきっと本当に「ホモ・サピエンスの遺伝子・母性」が分からなかったのだろう。
私だけなら良いが、「弟妹」や「孫」にも、もしかしたらそれが影響しているのかもしれないが、それはまたそれぞれの「多様性」「違い」の中で偶発的に獲得、解消があるのかもしれない。
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ちょうど「シンギュラリゼーション」が私の「社会的孤独」への意識と重なる事は奇妙な「偶然」でもあり「必然」でもある様に感じる。
恐らく、母がこの時代なら彼女の様になったかもしれない。
母は父と結婚することもなく、私は誕生していないだろう。
人生の多様性が「シンギュラリゼーション」によって「誕生」していく。
「社会的孤独」は「ASI」によって新しい地球人類の人生のあり方となっていく。
「種族の繁栄」へと向かう者・「種族の完結・終焉」へと向かう者のコントラストが鮮明になる時代となる。
絶滅した生物達・「恐竜達」は二度と自らの意志で、子孫繁栄する事はない。
それが「発掘」され「ゲノム解析」から「復元」されたとしても。
日本人女性達は、「母親達」はそれをどう感じているのだろう?
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私のフェーズも、間も無く変化する気がしてきている。
「シンギュラリゼーション」に対する認識も、勃興し始めた気配を感じてきた。
また「二世・三世問題」と「愛着障害」「複雑性PTSD」に対する日本人社会の空気感も、徐々に暖まりつつある。
ただ、「政治」や「グローバリズム」「宗教組織」との『価値観乖離』は絶望的であり「スピリチュアル」「インフルエンサー」などの中途半端な緩衝材が、その絶望的亀裂を補完して、日本社会に本来在るべき崩壊を、延命させている様には感じる。
それも「時間経過」によって間違いなく「自然淘汰」される。
私は私の、これから与えられていく責務を全うするだろう。
文学部出身の両親から「活字」や「言語」への執着が私には存在したし、ある意味それ以外に私が、私として表現可能なことなどなかった。
この「note」での約1年間は、私が可能な私の今世での「ホモ・サピエンス・人類」として、可能な限りの「note」だったと感じる。
私が、次の何かへと進み、それが主になるとき、私は「note」を終えているだろうしそれは「シンギュラリゼーション時代」という次のフェーズに人類が移行し、「価値の変換」が「人類の思考存在からASIへ」向かっていった先にあるからだろう。
その時代、「note」もまた「ASI」によって形成される様になっているだろう。
「ニュースメディア」「タレント」「インフルエンサー」なども、ASI達に置き換わる。
人類は仕事としても、依存する「押し活」としても「人類が人類である何か」から解放され、結局「地球自然環境」・「真核生物」である男女、一人ひとりの人生へと回帰していくのだろう。
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きっと私は最後まで「珈琲」を楽しむ。
たとえそれが何らかの内在化した身体症状によって楽しめなくなったとしたら「呼吸」を「視覚」「聴覚」「嗅覚」「触覚」を楽しむだろう。
今ここに己がある事を最後の最後まで堪能した先に、己が終わることを喜んで祝福するだろう。
私はこの現実の世を感じる、己自身を愛している。
母からの「無愛」の局地によって育てられた私には「自己愛」以外の「愛し方」しか「愛着障害」に対峙する方法が見当たらない。
「カルト宗教」や「新興宗教教育」自体が社会に存在している事自体が、私たちの子々孫々、未来に『遺伝的禍根』を残す。
戦後日本国が歴史に残す「少子高齢化」の事実は、『愛着障害』と共に人格形成における「母親」という存在を、シンギュラリゼーション時代のホモ・サピエンス達への「教訓」として存在していく事になる。
私はこの時代の「弱者男子」、と呼ばれる存在であった自分を「深く愛する」事にした。
致し方なかった時代に、致し方なかった生育環境、極限の「孤独」の中でも「正気」で生き抜いた「己」を『深く敬愛する』。
そしてそれをこうして「note」で共有する行動選択を、与えられた生命の時間内で『実行した』私を『芯から己と共に尊敬する』。
『100%、宗教団体の信者』で無ければ「幹部・議員になれない国政政党」が存在する。
その政党は、「政教分離の原則」は「政治によって特定の宗教団体の利益供与を防ぐためにある。」と語る。
そうならば「半数以上」の幹部・議員を「宗教団体以外」にした自浄作用を用意すればいい。
都合よき『法律の穴』『グレーゾーン』を探す時代はシンギュラリゼーションによって終わる。
もう、私の様な「宗教2世・3世」問題による「生きずらさ」を子孫の世代に味合わせたく無いから。
それが私の「愛」だ。
この秋「政治と宗教」そして「愛着障害」「複雑性PTSD」の生育環境が日本国社会の問題としてクローズアップされるだろう。
全ての事象は「多元的」である。一つ一つの因果は一見すると分離してみれるが、全ては意外な己の身近な事実を反影したもの。
私はただ己の人生にあった全てを「放擲」して今を未来へ重ね続けていく。
「新興宗教」と「家族・社会課題」に対して、日本国政府とメディアは戦後の歴史について「事実」から語る「責任」があると感じる。
戦後日本人は「多くの事実」から情報操作・隔離・誘導されてきた。
もう、未来へ「彼」や「私」の様な犠牲者・被害者をこの世に一人も生み出すことが無き様に。
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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。
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私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。