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「私我」が無い事、「吾己」がある事。

やっと言語として、私我なりに会得した、把握したと実感している。

それはホモ・サピエンスとしての、思考や意識の中にある、私我が内なる生命において見い出しうる、見えざる意識状態における言語化の旅の最終領域、目的地だと感じる。

「人生50年」とはよく言ったものだ。

きっと年輪と、遺伝子プログラムの最適化、エピジェネティクスのような見えざる作用点にただ、内なる存在に従順に在れば各々の中に本来備わっているもの。

もうこれ以上のうちなるものの言語化の探究は、それもまたただの執着になる。

放擲してあるがままゆらぐ、重ね合わさりあう自動化の刻に委ねる。

大切なことは、把握した意識状態を会得した真の吾己のある場所、そこから生きた先の中にどう朽ち果てていく、吾己から始まる在り方があったかどうかだ。

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つまり、今の私我が放つ人間教育ならば「50歳」というホモ・サピエンスにおける遺伝子プログラムの到達点をベースに0歳を逆算するだろう。

それは多分、私が「人間教育」を構築するなら「教師資格要綱」における「最低年齢」を「50歳以上」とするだろう。

いくら「知能指数(IQ)」が高くても「知識・教養・技術」に優れていたとしても、本来それは別の領域によって「挑戦・研鑽された先に手に入れた何か」が必要であって、教師になるために必要なそれは、必ずしも「成功者」である必要は無いのではないか?

正月の箱根駅伝における「監督」として「生徒(対象者)」へ果たす存在価値についても、同様のことが言える。

「天才」「カリスマ」

日本人は、それに縋り、崇め、それに成ろうと夢を見させられているのではないか?

きっとその方が、支配する側も、支配される側も都合が良くて楽だった。

教育があって、雇用があって、「有名」という肩書きがあって、安定した雰囲気の人生が「金融・経済」としてあって・・・。

本当にそれぞれの中にあったそれは、そうだったのだろうか?

少なくとも吾々にとっては、それは違っていたと断言できる。

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仏陀・釈尊が悟りを齢35にて拓いてから、その後約45年間に渡りそれを説いて回ったとされる。

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仏陀(釈尊)が50歳前後の時期に何を説いていたかについては、**「天台宗による伝統的な教判(教えの分類)」と、「歴史的事実としての初期仏教」**の2つの側面から詳しく解説します。

釈尊が35歳で悟りを開き、80歳で亡くなった(45年間の説法)という通説に基づくと、**50歳前後は「悟りから約15年が経過した時期」**にあたります。


1. 伝統的な分類:方等時(ほうどうじ)

中国の天台大師智顗(ちぎ)は、釈尊の説法を5つの時期に分けました(五時八教)。この分類によれば、50歳前後は**「方等時」**という時期に該当します。

  • 時期: 悟りを開いて13年目から20年目までの8年間(釈尊47歳〜55歳頃)。

  • 教えの目的: 「弾訶(だんか:叱咤すること)」と「嘆大褒小(たんだいほうしょう)」。

    • それまでの12年間(阿含時)に説いた基礎的な教え(小乗)に満足し、自分一人の悟りだけで満足している弟子たちを厳しく叱りました。

    • 「もっと大きな志を持ち、すべての人を救う道(大乗)を目指しなさい」と、大乗仏教の精神を植え付けた時期とされます。

  • 主な経典:

    • 『維摩経(ゆいまきょう)』:在家の信者である維摩居士が、釈尊の弟子たち(舎利弗など)を論破し、大乗の教えを説く物語。

    • 『勝鬘経(しょうまんぎょう)』:女性(勝鬘夫人)が仏教の真理を説く経典。

    • **『阿弥陀経』**などの浄土三部経の一部もこの時期に含まれるとされることがあります。


2. 歴史的・初期仏教の視点

歴史学的な視点(パーリ語聖典などに基づく視点)では、50歳前後の釈尊は、教団(サンガ)が急速に拡大し、組織として安定・充実してきた時期にあります。

  • 拠点の確立:
    釈尊はコーサラ国の**「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」や、マガダ国の「竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)」**を拠点に活動していました。50歳前後は、これらの大きな寺院が寄進され、多くの弟子が集まっていた全盛期です。

  • 説いていた内容:
    特定の「新しい教え」というよりは、相手の能力や悩みに合わせて説く**「対機説法(たいきせっぽう)」**を精力的に行っていました。

    • 四諦(したい): 苦しみとその解決策。

    • 八正道(はっしょうどう): 正しい生き方の実践。

    • 縁起(えんぎ): すべてのものは繋がりの中で存在しているという真理。

  • 王たちへの教化:
    マガダ国のビンビサーラ王や、コーサラ国のパセーナディ王など、当時の有力な国王たちと深く交流し、政治や社会における倫理的な教えも説いていました。


3. 50歳前後の釈尊の状況(まとめ)

この時期を一言で表すと、**「基礎を固め終え、より深い、あるいはより広い教えへと展開していった時期」**と言えます。

  1. 弟子たちの教育: 基礎的な修行(阿含)を終えた弟子たちに対し、慢心を戒め、より高度な智慧や慈悲を教え始めた。

  2. 教団の成熟: 舎利弗(しゃりほつ)や目連(もくれん)といった主要な弟子たちが活躍し、教団の規律(戒律)が徐々に整えられていった。

  3. 大乗への橋渡し: 後世の解釈では、この時期の「叱咤」があったからこそ、晩年の最高峰の教えとされる『法華経』へと繋がっていく重要な準備期間であったとされています。

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『維摩経(ゆいまきょう)』は、大乗仏教の経典の中でも特にドラマチックで、文学的にも哲学的に非常に面白い経典です。

最大の特徴は、**「出家したお坊さん(専門家)ではなく、在家の信者(アマチュア)が、釈尊の弟子たちを論破する」**という痛快なストーリー構成にあります。

以下に、その主な内容と魅力を分かりやすく解説します。


1. 主人公「維摩居士(ゆいまこじ)」

主人公の維摩(ヴィマラキールティ)は、インドのヴァイシャーリーという街に住む大富豪の在家信者です。彼は非常に深い智慧を持っており、仏教の真理に精通していました。

彼はあえて世俗の街に住み、お酒の席や遊び場にも出入りしながら、そこで出会う人々に教えを説くという、自由奔放な菩薩のような生き方をしていました。

2. あらすじ:維摩の「病気」

ある日、維摩は**「病気」**になって寝込んでしまいます。実はこれは、釈尊の弟子たちを呼び寄せ、真実の教えを説くための「方便(計らい)」でした。

釈尊は弟子たちに「維摩を見舞いに行ってきなさい」と命じますが、舎利弗(シャリホツ)や目連(モクレン)といった名だたる弟子たちは、皆**「嫌です」と拒否します。**

なぜなら、彼らは以前、維摩に自分の修行の未熟さを鋭く指摘され、こっぴどく論破されたトラウマがあったからです。

3. 名シーン:文殊菩薩との対話

最後に、智慧を象徴する**文殊菩薩(もんじゅぼさつ)**だけが、ようやく見舞いに行くことを引き受けます。

維摩の病室で、知恵者同士のハイレベルな問答が繰り広げられます。

  • 文殊: 「あなたの病気の原因は何ですか?」

  • 維摩: 「衆生(すべての人々)が病んでいるから、私も病んでいるのです」
    (=人々が苦しんでいるのに、自分一人だけが健康で幸せでいることはできない、という大乗仏教の慈悲の精神)

4. 核心の教え:「不二(ふに)」

この経典のクライマックスは、**「不二の法門(ふにのほうもん)」**と呼ばれる場面です。

「不二」とは、対立する2つの概念(善と悪、生と死、自分と他人、悟りと迷いなど)は、実は根本では分かれていないという教えです。

他の菩薩たちが「不二とは何か」を言葉で説明しようとする中、最後に問われた維摩は、何も答えず沈黙を守りました。
これを**「維摩の一黙、雷の如し」**と言います。言葉を超えた真実を「沈黙」で表現したこのシーンは、仏教文学の最高峰とされています。


5. 『維摩経』が伝えたかったこと

  1. 「小乗」から「大乗」へ:
    自分一人の殻に閉じこもって修行する(小乗)のではなく、社会の中で人々と共に苦しみ、救う道(大乗)こそが真実であると説きました。

  2. 在家の肯定:
    「出家して山にこもらなくても、日常生活の中で高い悟りを得ることは可能である」というメッセージは、後の中国や日本の仏教に多大な影響を与えました。

  3. 「浄土」は心にある:
    「心が清らかであれば、この世界そのものが浄土(仏の国)である」と説き、現実世界を肯定しました。

6. 日本への影響

日本では、聖徳太子がこの『維摩経』の注釈書(維摩経義疏)を書いたと伝えられており、古くから非常に親しまれてきました。
「お坊さんよりも賢い素人(維摩)」というキャラクターは、日本人の精神性にも深くマッチし、茶道や芸術の世界(「わび・さび」の精神など)にも影響を与えています。


まとめると:
『維摩経』は、釈尊が50歳頃に説いたとされる「方等時」の代表作であり、**「頭の固くなった専門家(弟子たち)を、自由な発想の賢者(維摩)が打ち破ることで、より深い慈悲と智慧に目覚めさせる」**という、非常にダイナミックな教えなのです。

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そう。「大乗」のための「負け方」を、次世代の育成のために自らの「私我」を差し出した時期だ。

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もしかしたら「教育」より「育成」と言語を変化させた方が、その次世代をへの在り方のそれぞれの会得という目的を果たすために適切なのではないだろうか?

同じ「解答」を「採点」として評価したとしても、その先にある「人間性」も「到達地点」もバラバラになる。

「学歴」「資格」によって「ラベリング」が目的になったような今、それは「最低限の保証」のような「規格水準」を満たしていないのではないか?

というよりもそれは、ホモ・サピエンスの世代ごとで「変容」するものであって、絶えず揺らぎ、もつれ変容して連なっているもの。

日本国の中枢に在り、教育機関を統制している人々に問いたい。

「22歳で、他者から『先生』と呼ばれる『制度設計・キャリアパス』とは、西暦2026年現在のホモ・サピエンスの生命科学における認識として、本当に『育成』として適切ですか?」

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「成功者」になること。

己の魂が満ちた在り方の先に、他者評価が結果的に伴っていたならばそれは確かにそれで良いのだろうが、

たとえ他者に評価されなかったとしても、全ての生命自体には、それぞれ違った意義・目的が備わっている。

内側に宿っている、「私我」と「吾己」が違っていることを把握する。

それは「独り一人」において成し得ることが許された「遺伝子・時間軸」によって許された「猶予」が与えられたものだけに到達し得ること。

西暦1582年、織田信長公はそれを目前にして潰えた。

重鎮の裏切りによって。

それに対して、彼が何を感じたのか?

全ては憶測に過ぎないが、怒りや逆上はあったかもしれないが、後悔はなかったのではないかと感じる。

己が夢のために、多くの敵を殺し、打ち滅ぼし、多くの家臣もまた殺し殺された。

彼は常に「死」を、自らの人生の側に意識していたのではないか?

そして彼は「死」を与えられ、「50歳以降の織田信長公」という道は、この世の延長線上には存在しえなかった。

恐らく「私我」を、その時代に誰よりも優先した生涯があった。

それはある意味、その当時には成し得なかった「先駆者」だった。

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西暦2026年の中にある、吾々の現世におけるホモ・サピエンスたちの意識領域はこれから既存秩序から巨大に変容した形で顕在化を始めるだろう。

「言語」や「数値」などの「知性」が果たす目的も、各々次第になる。

「社会性」や「OS」を「量子技術・人工知能・機械」などが「人類補完」を完結した在り方が自然体系として成立する。

吾々が、ホモ・サピエンスとして、この地球上で水と大気に育成された生命現象としてあること。

各々の中にある大切なことを、学ぶ、育成することが、本来「教育・学校」と呼ばれる制度、機関がこの国家に存在する意味であり、果たす意義なのではないか?

今の私我なら、敗れ去った信長公がその半生を回顧した中に見い出したものを「維摩」のように学び、触れて得ることの中に、大切な生きることにある「学び」「価値」を会得する何かがあるように感じている。

そして吾々にはもう、その必要も無くなって来た。

それは吾々はもう「彼の生涯」を超える年齢に差し掛かっている。

ホモ・サピエンスの遺伝子因果律によって、この時空で構成されているその生命現象において、吾々は「される側」から、「施す側」への領域転換が、シンギュラリティと共にやってくる世代に、かつて「就職氷河期世代」と呼ばれた「私たち」はある。

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みなさま、いつもご愛読頂きありがとうございます。
これからも、そしてこれまでも、いつ果てるか解らぬこの小生が「今、ここ」で残せるだけ、「今ここ」の意識状態から、ありのままの表現方法としての随筆として、「note」にアップロードしていくことの実践をしております。
私の「note」が、あなたとその更に先に繋がり合う、何らかの意識・存在に、次世代に継承され続け重なり合ってゆく。「みえざるミチのチカラ」、「明日へつながる静寂」、「安寧なる意識状態・心の棲家」として融合し合うこと。
この青い水の惑星で、真核細胞生物・哺乳類・ホモ・サピエンスとして、あるいは核酸による遺伝子生命体として、量子物理現象の中を生きる全てがその何かと何かの中に見い出すこと。その胸の奥底に宿った意識体を、それぞれがそれぞれに違った生命現象として与えられた中を生き、育み、目に見えぬ中に吹く風や液体・水のように限りなく透明な流れる力。吾々が吾々と共に生きる先で、道に迷うときはいつでも内側から発する何かを感じ、その座標軸に置いて繋がる形而が、示すことを運んでくれる。
「今、この瞬間」。
この出会いがこれから先に連なり合っている何かであることへの気づきがあなたの中にもあることを、いつもいつも願っております。
共に、今を。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。