ファンによる、ファンのためのガイド本『氷室冴子とその時代』嵯峨景子
氷室冴子ファンによる、かつての氷室冴子ファンと、これから氷室冴子ファンになる人へのガイド本(現時点での完全版)
氷室冴子といえば、真っ暗だった私の中学時代を救ってくれた人の一人。
最初に氷室さんの著書を、どこでどう入手したのか全く覚えていないのだけれど、氷室さんの本を読んで「高校生になったら、きっと自分を理解してくれる人が現れる」と信じることができたから、中学時代を乗り越えられた気がします。
中学時代、好きな漫画を貸し借りする友達はいたけれど、好きな本をあれこれおしゃべりできる友達はいませんでした。高校生になって、やっとそういう友達を見つけることができて、『なんて素敵にジャパネスク』の発売日には昼休みを抜け出して本屋に買いに行ったのを、つい昨日のように覚えています。
かなりの氷室冴子ファンだったおかげで、嵯峨さんの本にかかれていることは9割がた知っています。でも、氷室さんのデビュー前、活躍しはじめた時代は私の知らない世界だし、北海道のことにも疎いし(余談ですが、藤女子大学って中島みゆきさんもOGなんですね)、ましてや氷室冴子さんの周囲や関係者、そして全く繋がりがない著名人の「氷室冴子」評なんてカバーしきれないので、この本はファンにとってはお値段以上ですね。
例えば、青山剛昌さんの『名探偵コナン』87巻。「蘭GIRL」「新一BOY」は『なぎさボーイ」』『多恵子ガール』が元ネタとか。『海がきこえる』は『涼宮ハルヒの憤慨』にも出てくるとか。
それから、ずっと忘れていて、思い出したこともあります。『なぎさボーイ』『多恵子ガール』『北里マドンナ』に続くはずだった野枝の物語。そうそう、楽しみに待っていたけど、ついに読めなかったっけ。
氷室冴子原作の『ライジング!』の劇中劇『レディ・アンをさがして』がミュージカルになって、小説版もあるらしい。そして、単純な『ローマの休日』みたいなお話じゃなくて、氷室さんならではのセリフがあったとか。
流行曲の作曲家ラルフが自分の歌が「二、三ヶ月で消えるヒットソング」だと自重するけれど、アンは「歴史に残る‥‥それって大事なこと?」と問いかける。「でも、その二、三ヶ月のあいだ、みんなが、あなたの歌を歌うわ」「アメリカじゅうがあなたの歌をアイサツがわりに口ずさんで。ちょっぴり、いい気分になるんだ。それって、素敵ね。とても」
氷室冴子が少女小説家として軽んじられたり、さんざん叩かれていた時代をリアルで知っているファンとしては感慨深いにもほどがあるセリフ。AMラジオすら受信しにくい山奥の田舎で、氷室冴子がゲスト出演するという夜のラジオ番組(だったと思う)をなんとかリアルタイムで聞こうとがんばったときのこと。
ラジオパーソナリティの男性は、ゲストの小説に興味がないどころか、ゲストに敬意さえ払わず、さんざん馬鹿にした質問しかしませんでした。あのときの怒りは、自分のことのように今でも覚えています。あの時代、稼いでいる若い独身女性へのセクハラめいた「処女だろう?」「結婚しないのか?」攻撃も、この本ではきっちり抑えられているので、、、嗚呼。
そして、『海がきこえる』裏話。アニメ方面には疎いので、ジブリの近藤監督とのお話は貴重な情報。このアニメが出た頃、私は大学生で高知好きの知り合いが何度も高知に誘ってくれたので、あの物語の地理的な感覚がよくわかった。そして、いつもの氷室小説とは違うの作品なのもよかった。時代はバブルだったし、いつまでも「少女」ではないし。
そして、宮崎駿は『海がきこえる』に反発して、『耳をすませば』をつくったなんて、初めて知りました。確かに、宮崎駿さんは「女」を生身の生き物として描けない、機械は生き生き描けるって、よく聞く批判です。
著者は80年代の氷室さんのインタビューで、創作スタンスについて「自分が少女期に楽しめただろう、こういう小説が読みたかった」というものを書いていて、同時代の少女たちによりそったものではない、「自分の中の”少女”を増幅させて書いているに過ぎない」と語っているそう。
自分のスタイルを完成させてしまった氷室さんは、確かに、等身大の自分の世代の小説はプロットだけで完成させていません。そちらは、エッセイで十分表現されてしまったからなのかも。
かつての「少女小説」という言葉は今ではほぼ使われなくて、「青春小説」と言い換えられているらしいです。須賀しのぶさんは「少女小説というものは、暴論かもしれないけど、つきつめてしまうとジェンダーとの闘いであると思っている」と振り返っていて、なるほどと思う。
斎藤美奈子さんは「少女小説」を、「少女というジェンダーロール」に意外と縛られていない主人公のキャラ、小さな事件を通して精神的な自立へ向かう成長の物語、女の子同士の友情を重んじる価値観。男の子との関係が安々と恋愛には発展しない慎重さ、セックスがでてこない」少女の物語と定義しています。
そして、「氷室冴子が開拓者した」少女小説は、一般的には「SF的要素で別の境地を開拓した」新井素子がSF界隈で高く評価され、「一般の大人の文芸世界に持ち込んだ吉本ばななが異常に高く評価されているともいいます。余談だけど、私はいまのところ斎藤女史が氷室冴子を批評しているのを見たことがない。「少女小説」に言及することはよくあるのに不思議です。
単純な恋愛小説は楽しいし、近未来SFや海外を舞台にしたドラマもわくわくします。でも、ときどき、氷室冴子さんの小説を読んで、眼の前の状況に抗らいたくなることもあります。そんなとき読み返して、自分の立ち位置を確認するような、氷室作品はそんな感じです。
その後、氷室冴子さんのエッセイが復刊されています。氷室さんもファンも、ちょっと時代を先取りしすぎていたのかもしれません。
