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生きているだけで、オリンピック

久しぶりに、オリンピックを真剣に見た。
今回のミラノ・コルティナダンペッツォオリンピック。

自分はいつも栄冠よりも、かなわなかった人たちの姿に心が動課される。

ノルディック複合の渡部暁斗が、27年の競技人生を締めくくった。 20年前、17歳でトリノに立ったあの男が、 最後のクロスカントリーで「久々にワクワクして走れた」と言った。 それだけで、もう十分だと思った。

スキージャンプ、二階堂蓮。 3本目の会心のジャンプで一気に2位へ浮上した、その直後だった。 激しい降雪。競技は打ち切り。 138.5メートルの飛翔は、幻になった。 「これがオリンピックですね。そう思うしかない」 その言葉の重さが、しばらく胸に残った。

高梨沙羅は、泣いた。 北京で失格になった混合団体。 4年越しのリベンジを、銅メダルという形で果たした。 「特別な瞬間」 ほんの一言だったが、何年分もの感情がそこにあった。

坂本花織は、引退を決めてこの舞台に立った。 「愛の讃歌」に乗せた4分間。 銀メダル。 最後の演技を終え、涙をこぼした。 誰もがわかっていた。これが最後だと。

高木美帆は、この大会で冬季五輪メダル通算10個という日本記録をつくった。 最終種目の1500メートルへ向かう背中は、静かだった。 勝ちだけを追い続けてきた選手の、集大成。


勝った選手だけではない。 カメラはそういう場面にも、長く向けられていた。競技そのものよりも、その"映し方"が心に残った…


転倒したあとの沈黙。 インタビュー前の深呼吸。 四年どころか、十年二十年積み上げてきた時間。

昔は、金メダルがすべてだった気がする。 一位が正義。結果が価値。

それを丁寧に映していた。

敗者にも拍手が送られていた。 観客も、テレビの向こう側も、 勝った人も負けた人も、同じように称えていた。

その光景を見て、思う。人間の本質はここかな、と。
勝ち負けを超えて、「ここまで来た時間」に敬意を払う。

それは甘さではなく、成熟だと思える。


そして、ふと気づいた。

選手たちは期限を持っている。 四年後の大会という、はっきりした締切。 そこへ向かって仕上げていく。

だが自分たちはどうだろう。
期限はない、と思っていた。

違う・・・あるよ。
それは、生きている期間。

生きてる終了日は、知らされない。 カウントダウンもない。 順位も出ない。

それでも、確実に時間は減っている。

そんな感覚が、 自分たちの人生もまた、一つのオリンピックではないかと思えた。


毎朝の出勤と帰宅。クルマ修理が成功した瞬間。陸運局登録完了した日。
そして誰かに感謝されたとき。

どれも小さい。 ニュースにもならない。
でも、不思議と「清々しい」。

あれは、自分との約束を守った証だ。
小さな決勝。 小さな完走。その繰り返し。

それを重ねて、何十年。


病気もあった。 怪我もあった。 事故や失敗や、情けない夜もあった。
それでも、ここまで生きてきた。

これは、褒めていい。

誰に見られなくてもいい。 スポットライトが当たらなくてもいい。

有名かどうかは、光の問題だ。 価値の問題ではない。


残したものは何か、と自分に問う。

大きな名前か。 肩書きか。 功績か。お金か。
・・・見つからない。もしかすると違う。

背中かもしれない。 態度かもしれない。 あきらめなかった姿かもしれない。

自分では気づかない形で、 誰かの中に残っているものがあるはずだ。


それでもまだ、自分探しは続く。

答えは出ない。 出さなくていい。

問いを持ち続けているということは、 まだ走っている証拠か。


生きているだけで、オリンピック。

今日もまた、 スタートラインに立っている。

出場し終えた選手も次のスタートに向かう。
サラリーマンも次の人生に向かう。

拍手はなくてもいい。

完走すればいい。

そして、ときどき胸の中でこう言いたいなぁ。

「よくやってきたな」と。静かに。

それで、十分だと…信じたい。

(終わり)


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