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コロナ前夜、武漢留学記:あの街に暮らしていた日本人として思うこと

はじめに

新型コロナで世界中が知ることになった街、武漢
「やばい街」
「コウモリを食べてウイルスをばら撒いた街」
——そんなイメージを持っている人も多いかもしれない。
だけど、私にとって武漢は、学生時代の半年間を過ごした“大切な街”だ。

長江沿い

あの街には、汗だくでかぶりついた羊肉串の屋台があって、ビール片手に湖を眺めながら語り合った夜があって、無謀にもタオバオ(通販)で買った電動バイクを組み立てて爆走した日々があった。

武漢大学周辺

2018年から19年にかけて、あの街で確かに私は暮らしていた。
コロナ前夜、武漢はどんな街だったのだろうか。
今日はそのことを書いてみたい。

私が武漢に行った理由

赤丸が武漢

「そもそも、なぜ武漢に留学したの?」
当然の疑問だ。
コロナ前、日本で武漢という地名を聞いて「おお!」となるのは、三国志などの中国史オタクくらいだった。
国語で習う、李白の漢文「黄鶴楼送孟浩然之広陵」の、黄鶴楼のある地ですよ、と言って食いついてくれる人もなかなかいない。
実は、2018年前半当時、私は大学を休学して、中国の吉林省・長春に個人で留学していた。そのときのおかしな経緯についてはこちら👇

本来、半年で終わりのはずのモラトリアムだったが、この長春留学があまりにも楽しすぎて、もう半年中国に住みたくなってしまった。

そのときに留学先候補として浮上したのが、
・長春同様、日本人が多すぎない街
・辛亥革命・日中戦争など近代史の舞台
・極寒の東北とは全く異なる気候や文化

という条件を併せ持った湖北省武漢市にある武漢大学だった。

大阪から船で上海へ、そして武漢へ

留学へは、東京→新幹線で大阪→日中国際フェリー「新鑑真号」で二泊三日→上海→高鉄(新幹線)で5時間かけて武漢と正気の沙汰ではない行程で向かった。
そのときの国際フェリーの詳細はこちら👇

2019年9月1日。当時中国では、新学期が始まる直前であり、多くの学生が大移動しており、その勢いに圧倒された。

漢口駅
はちゃめちゃな混雑


武漢という、超超巨大都市

中国内陸の街、武漢の市場のコウモリが」などという新型コロナに関するニュースを2020年当時見ていた多くの日本人にとっては、武漢はなかなか田舎の未開の地ような印象があるみたいなのだが、はっきりいって大都会である。

・2024中国100都市ランキングで、第8位(GDPや財政などから試算)
・武漢市の人口は1300万人以上
・スタバ、無印良品、ローソン、セブンイレブンetc……外資系店舗多数
・便利な地下鉄網
と、直前まで吉林省に住んでいた私にとっては、衝撃すぎるほど都会だった。この世の全てが存在しているのでは、とさえ思った。

ショッピングモール
当時流行ってたVR体験
安室透も流行ってた

武漢について特筆すべきこととしては、キツい気候である。
武漢は「中国三大ボイラー」とも呼ばれるほど高温多湿の都市だ。
9月初旬の武漢は、東京の暑さに慣れている私でも参るほどだった。外に出た瞬間、動かなくてもサウナのように汗が噴き出すのだ!
一方で、実は冬は冬で結構寒い。一月になると、最低気温がマイナスを下回る日もしばしば。八王子くらいの寒さだろうか。

こう書いていると、すごく住みにくそうな都市だが、基本的にはいい街なのだ。
そのいい街たる所以は、やはり都市中央に流れる長江の存在が大きい。

長江沿岸
人民がまったりと過ごしている
泳ぐ人も多数

長江沿いは武漢市民にとって憩いの場であり、この雄大な河が、何千年にも渡り、さまざまな歴史と発展を武漢にもたらしてきたことが想起される。

武漢大学、広すぎる問題!

留学生寮

次に、武漢大学について紹介する。

私の個人部屋。

武漢大学は、一言で言うと
「クソデカい」
キャンパスの敷地は約400万平方メートルあるといい、東京ドーム90個分に相当する。

学内バス。学生は一元。

あまりにも広すぎるため、留学生寮からキャンパスを出て地下鉄駅のある新街口まで行くには、学内バスを30分も乗る必要がある。

女子寮

そんな留学生活は、不便と言えば不便かもしれないが、武漢大のキャンパスはなんといっても美しい。
戦前からの建築物が多数残っており、キャンパス全体が観光名所にもなっている。

筆者も記念撮影

特にこの女子寮は有名で、観光地化しているが、いまも女子寮として使用されているため、普通に下着が干してある

1966年の同所。©︎高岩震

後から知り驚いたのだが、私の祖父も文革の直前に武漢を訪れ、この女子寮の写真を撮っていたのだ。

紅葉のキャンパス内
夏の寮周辺

この雄大で自然豊かなキャンパスを「暑い!」「遠い!」など文句を言いながら歩いていた日々が、いまとなっては懐かしい。

留学中の思い出、ハプニング集

まず思い浮かぶのは、
①タオバオ(sheinのような通販サイト)で買った電動バイク事件
だろうか。

1万7000円弱だったはず。

買ったはいいものの、なんと組み立て式。
組み立てが難しくて寮の外で説明書と苦戦してたら、どこからともなく警備員、食堂のシェフ、謎のおばあちゃん、警察官までもが集まってきて、あーだこーだ言いながら組み立てるの手伝ってくれた。そして、完成したら嵐のように去っていった。
しかし、完成した原付は結局動かなかった。

「組み立て下手くそだよ」とお兄さん。

なので、修理工のお兄さんを呼んで直してもらい、広いキャンパスを現地人さながらノーヘルで乗り回していたのだが、なんと一カ月で盗難された。
展開が速すぎる。

②直しても直しても悪化しながら壊れる部屋の天井
中国だと、「そんなところ壊れることある?!」というところが頻繁に壊れる。

自室トイレ天井

武漢の自室トイレに入っていると、バキバキィ!とやばい音を立てながら天井が落ちてきた。
すぐになおしてもらったが、不思議なのが、その後もより悪化しながら崩壊を繰り返すことだ。

崩壊二回目
崩壊三回目

そんなことも、たまには生活の良いスパイスだろう。

③東湖から湧き出る虫の大群

この黒い点は全てユスリカ

武漢大のすぐ近くには東湖という風光明媚な湖がある。秋になると、そこ経由で大量のユスリカが発生する。最初、「壁の模様かな?」と思ったものが全てユスリカだったときの衝撃たるや。
害はないが、部屋の壁も床もユスリカまみれになる。

武漢飯がうますぎる

武漢名物、熱干麺

武漢の料理といえば、有名なのはゴマだれ味の混ぜ麺、熱干麺だろう。
しかし案外留学中にこれを食べた記憶はあまりない。

東湖の夕暮れ

私がしょっちゅう食べていたのは、東湖のほとりに現れる、名もなき串焼き屋さんだ。

夜になると湖沿いが賑わう
羊肉串
アサリのガーリック炒め

ビール片手に湖を眺めながら、夜風を浴びる。この瞬間が大好きだった。

横断歩道の中

そのほかよく食べたのは、地下鉄新街口駅の横断歩道に、深夜になると現れる屋台たち

炒飯のプロ
揚げジャガイモ
串焼き屋

夜遅くまでカフェで勉強してから、この身体に悪そう、かつ、不衛生そうな深夜メシを友達と食べる日々。楽しかったな。

私の武漢大学生活

普通に暮らしていた。普通に勉強していた。なんてことはない毎日だった。
韓国人のクラスメイトと在日朝鮮人の話題を語って泣きあったり、ウズベキスタン人に中国語を用いてロシア語を習ったこともあった。カラオケで騒いで徹夜もした。慣れないクラブで踊ってみた。好きな人もいた。普通の学生だった。

タピオカドリンクでめっちゃ太った。
LUUPのようなシェアサイクル全盛期だった。
文化祭準備で深夜まで作業
文化祭当日

ネパールチームの売っていたビリヤニを食べて食中毒になったのもいい思い出。

同じクラスの友達とゲームセンター
中国式クラブ
KTV(お姉さんいないやつ)
米津玄師「Lemon」の映像どうなってんねん。


その後の武漢

武漢大学正門

私が武漢を離れ帰国したのは、2019年1月末のこと。
同年12月、武漢で謎の肺炎が発生していると報じられ始めた。
翌月、武漢は「封鎖」された。
毎日、ニュースでは「武漢」という文字が絶えなかった。知り合いが多数チャーター機に乗って帰国した。
自分が住んでいた街なのに、すべてがドラマのようというか、まぼろしのようだった。

おわりに

キャンパス内

新型コロナウイルスの起源については、「市場近くの研究所から漏れた説」だとか、「タヌキが持ち込んだ説」だとか、いや「2019年の初めにはすでに世界に広がっていた説」だとか、今もさまざまな説が飛び交っている。WHOも今年6月末に「結論はまだ出ていない」と発表したばかりだ。

あれほどニュースで繰り返された「武漢」という言葉も、コロナが私たちの日常に溶け込むにつれ、いつの間にか聞かなくなっていった。

武漢の名所・黄鶴楼
黄鶴楼から見る長江

だけど、私にとっての武漢は、「コロナの街」なんかじゃない。
死ぬほど暑くて、寒くて、美しくて、広くて、楽しくて、懐かしい。そんな街だ。

そんな武漢で過ごした日本人がここにいたことを、記録として残しておきたかった。

惟だ見る 長江の天際に流るるを

李白『黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る』より



(終わり)

今後も、中国留学中の話や、旅行記など書いていく予定です。

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タカイワ マサ | ライター・イラストレーター 面白いと思ったら応援のほどよろしくおねがいいたします! いただいたチップは執筆活動に使わせていただきます。