中国の“高句麗”から北朝鮮を眺めた日
はじめに
「高句麗に行きたい」と思った。
モーターボートで北朝鮮に急接近しながら、高句麗の石碑を眺める。
そんな不思議な旅に出てきた。
高句麗とは、紀元前から7世紀ごろにかけて、朝鮮半島(現在の中国、北朝鮮、韓国にまたがる地域)に存在した国である。歴史の授業でも、百済、新羅とともに習った記憶がある方も多いのでは。
実は、高句麗の都は約400年間もの間、いまでいう「中国吉林省の集安」という街にあった。

ご覧の通り、鴨緑江を挟んで北朝鮮と対峙している場所であり、北朝鮮を眺められるスポットとしても、ボーダーツーリズムとしてもなかなかすごい場所にある。
歴史の授業で出てくる、倭国について記された高句麗の好太王(広開土王)碑も、この集安に現存する。
正直、古代史に興味はあまりない。
しかし、2018年当時吉林省長春に留学していた私は、
•そんな時代の日本に関する碑文がいまだに現地に立って残っていること
•そして、いま高句麗の都だった場所が中国吉林省にあること
•北朝鮮を間近で見られるということ
•好きな漫画家•安彦良和氏が集安を舞台にした漫画を描いていたこと(『天の血脈』。面白いよ)
に心惹かれ、集安に一人旅することにしたのである。
列車内で席取り合戦勃発!

長春から集安に行くには、まず通化駅を目指す。長春から夜10時に硬卧(中国の開放型寝台列車)に乗って、翌朝6時に通化駅に到着。

通化というと、思い浮かべるのは通化事件だろうか。終戦直後、共産党統治のもと、ここでは多くの日本人難民や元日本兵が数万人暮らしていた。統治方法に不満をもった元日本兵らが蜂起し、ここ通化で捕えられていた溥儀の皇后•婉容を救出しようとした事件である。事件のその後はなかなか凄惨な内容であるが、そもそも、この通化という街にそれほどの日本人が暮らしていたというのが、今となっては不思議な感じがする。

この通化駅、1937年に満鉄がここまで開通してからずっと使われてきた(駅舎は戦後)のだが、2025年今年になって、新通化駅が近くに建設され、役目を終えたという。

通化から集安へは、非空調硬座席(三等車)で2時間ほど。

農村地帯をゆったりと走る列車は趣深い。

非空調(クーラーなし)なので天井に扇風機が。六月だけど、そこそこ暑いので、みんな窓を開けて外を眺めている。
この日はちょうど端午节(中国の端午の節句)の連休始まりで、帰省する人々で席が埋まっている。

このボックス席は、一つの椅子にあたり3人、向かいあって合計6人が座れる。
中国の場合、無座(座席なし)という格安チケットが存在する。無座といっても、彼らはやすやす立ったままを受け入れるようなたまではない。
3人がけですでに満席の座席に、「ゆーて、まだ一人座れるやろ!」と遠慮なくぐいぐい乗ってくる。もちろん、座席側は全力で対抗する。無座が多ければ多いほど、熾烈な戦いが勃発する。
そんな席取り合戦をしていたら、あっという間に集安に到着した。


モーターボートで北朝鮮に急接近!

さっそく、北朝鮮と中国の国境を流れる川、鴨緑江へ向かう。

わあ、これは確かに近い。川の向こうには、自然豊かな北朝鮮が広がっている。

このように、中国と北朝鮮の国境沿いの都市というのは、観光業として北朝鮮ウォッチングが定着している。
このとき団体で来ていたのは、韓国人観光客だった。確かに、彼らが“祖国”をここまで近くで見るには、中国から見るのが一番だろう。
集安に来て思ったのは、北朝鮮ウォッチングで有名な遼寧省•丹東よりも、比較的緩く、より近くに行ける雰囲気がある。

さっそく、観光モーターボートに乗って、さらに北朝鮮に近づいてみる。中国人親子と相乗りとなった。



この距離感はすごい!
ちなみに、中国人の場合、申し込めばちょこっと北朝鮮日帰り観光ツアーもあるそうだ。(日本人もこの当時北朝鮮に行けるは行けたけど、向こうとパイプのある代理店ツアーに高い金払わないと無理)

次に、鴨緑江国境鉄道大橋へ。
入れるのは中国人限定のようで断られた。

外からでも結構見える。
この橋は1937年に日本が建てたもので、北朝鮮側の満浦駅に続いている。



ご覧のように、中国人にとっても、北朝鮮ウォッチングというのは結構な娯楽らしい。
しかし、中国人からすると一体どんな心境で北朝鮮をウォッチしてるのだろうか?
「興味深い」的な面白さなのか、物珍しさなのか、「うちは改革開放してよかったわー」なのか、、
高句麗の世界遺産を独り占め

好太王碑は5世紀に高句麗の長寿王が建てた石碑で、「倭国が海を渡って攻めてきて新羅、百済を服属させた」と漢文で記されている。当時の日本、東アジア情勢について記した超貴重な一次資料だ。
現在は建物を建てて保護されているが、こんなものが、20世紀まで野晒しでこの地に立っていたのだから驚きだ。
日本では明治17年に陸軍の情報将校がこの地に来て拓本を持ち帰り、存在が知られるようになったという。
ちなみにその碑文について中国人観光客は、「看不了!(読めねーよ!)」と騒いでいたが、たしかに経年劣化でボロボロになっているものの、良く目を凝らすと、ところどころ漢字を認識できるくらいには残っている。

こちらは長寿王(さっきの石碑を建立した人)墓の隣にあった古墳。なんだか、明日香村の石舞台古墳を想起させる。
ここ集安には、奈良の高松塚古墳内にある壁画とそっくりの壁画もあり、考古学的にも関連性が指摘されている。
現代の発達した交通技術を持ってしても、日本→長春→通化→集安と長時間の大移動が必要な距離なのに(北朝鮮を通れないせいもあるが)。
古代の東アジア人たちは、こんな離れた土地を行き来して、政治的に文化的に繋がってきたのか。文字情報として知っていたことではあるけれど、身をもって現地を訪れると、改めて鳥肌が立つ。

登るの禁止の看板をよそ目にガッツリ登ってる人。こんなゆるい世界遺産、なかなかないな……。

東北抗日聯軍(戦前の抗日パルチザン)の交通カードケースが売っていた。誰が買うん? と思いながら、買ってしまった。歴史サークルの後輩に押し付けた。


集安は街全体が世界遺産群として指定されているが、観光客は少ない。中国のタクシーアプリdidiもこの街では非対応なので、タクシーチャーターか徒歩移動だ。

首都を守るための要塞だった、丸都山城。
誰もいない古城に一人佇む。



キンケイギクが、この地で散っていったつわものどもを慰めるように、咲き誇っていた。
(キンケイギクは北米産だけどね。)
おわりに
集安という街は、中国旅行ではマイナーな都市である。しかし、中国、北朝鮮、韓国、そして日本という東アジアの繋がり。そんな歴史の続きに立つ、自分という存在。北朝鮮のボーダーツーリズム。
歴史好き、国境好きには全力でおすすめしたい。
(おわり)
これからも丹東で北朝鮮を見た話や、中国ミャンマー国境に行った話など出す予定です。
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