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就活を捨て、中露国境へ。凍てつくアムール川を眺めて

あらすじ

大学三年生の秋、私は現実逃避のために中露国境にあるアムール川を訪れる。そこで軍人に囲まれて……?

はじめに

「海外行ったら人生(価値観)変わった」 
SNSでよく聞く言葉であると同時に、バカにされがちな言葉である。
薄っぺらいひとがインドに行ってから言いそうなセリフだなあと、ある時までは私も思っていた。
しかし、確かにたった一度の海外旅行で、私のその後の人生も、価値観も、本当に変わってしまったのだ。
何十都市も海外旅行をした今でもなお忘れられぬ瞬間が、中国黒竜江省黒河にはある。

大学三年生の秋

2017年秋。私はサマーインターンの期間をよくわからぬまま無意味に過ごし、まもなく就職活動が控えていた。周りでは早期内定も出ていた。
空気に流されてなんとなく複数の業界のインターンを経験したものの、迫り来る就活がいやでいやで仕方なく、自分が仕事として何をしたいかも全くわからなかった。私は、とりあえず中高の同級生A氏に、脈絡なくLINEを打った。

私「中露国境のアムール川眺めに行かん?」
A氏「いいね!」

怖いほどの即レス。
彼女はこの時点で私同様、海外経験が乏しい。中国に行ったこともなければ、幼少期以来ぶりの海外だった。しかし、彼女元来の性格で、異様にフットワークが軽かった。
そのため、A氏はこの旅以降も一緒に船で大阪から上海に行ったり、昆明~成都途中下車の旅にも即レスで着いてきてくれる、貴重な旅友になっていく。その時の記事はこちら👇

そもそも、なぜアムール川か

当時の私は石光真清という陸軍軍人が書いた自伝、『城下の人』に熱中していた。彼は日清~第一次世界大戦の間、陸軍のスパイとして中国大陸を駆け回った人物。ときにはハルビンで洗濯屋や写真館を営み、馬賊や海賊と行動をともにし、ロシアの情報を取っていたという。

黒竜江省に位置する中露国境の街•黒河市は石光も滞在していた街であり、ロシア、清、日本、朝鮮の人々がごちゃ混ぜに暮らしていた地だ。また、ロシア軍により清国人の大虐殺が起きた歴史もある。
当時の東アジアの人々は、憎み合い、殺し合い、助け合い、支え合い、寒い大地を生きてきた。そんな記憶が、石光の自伝には、小説のようにありありと描写されている。

実はこの石光真清、ゴールデンカムイファンはピンと来たかもしれないが、作中のメインキャラ•鶴見中尉のモデルとなった人物である。
(※正確には鶴見中尉には同姓同名の実在人物のモデルが存在するが、ファンブック内で作者の野田氏が石光の伝記にも言及しており、鶴見中尉の人生のディテールとして参考にしたことは明らかである)

この当時すでにゴールデンカムイを単行本で読んでいたものの、鶴見中尉と石光真清の関係性についてはまだ明らかになる直前であり、作中で鶴見中尉の過去が描かれて歓喜したのはその後のこと。

いわば、石光真清の聖地巡礼。
将来何をすべきかもわからない当時の私にとっては、何者にもなれる変幻自在の彼の人生が羨ましかったのかもしれない。

黒河市の位置

そんなこんなで、中国語は「ニーハオ」ならわかるレベルの女二人で、11月にして零下20度を下回る黒竜江省を訪れる事になった。
ちなみにこれが、私にとって人生三度目の海外旅行となった。(一度目は大連・長春。二度目はサイパン)

麗しの街、ハルビン

ハルビンの街並み

アムール川に面する街•黒河までは、まず春秋航空でハルビンに飛び、そこから寝台列車で向かうことにした。
当時のハルビンは11月中旬ですでにマイナス10度前後。寒いけれど、冬の北海道くらい厚着していれば耐えれるかなあ。
地下街もあるから、なかを歩けば意外と暖かい。
ハルビンで有名な中央大通は、西洋風建築が保存されていて中国とは思えない光景だ。

教会
タンフル


中国の冬におなじみのフルーツ飴!
ちょっと前にTikTokのASMR界隈で流行していて、謎だった。

水餃子

夜ご飯は、評判のいい東北餃子王で食べた。東北の水餃子マジでうまい。他の地域の1000倍うまい。マジで。

広場ダンス


感動したのは、見たかった広場ダンスがこんなに寒いハルビンでも見れたこと。

ハルビン駅といえば伊藤博文


ハルビン駅に安重根記念館があると聞いていたけれど、改修中で叶わず。

731部隊記念館

731部隊記念館


ハルビンに来たついでに、郊外にある731部隊記念館にも行った。
路線バスで1時間半、そこから徒歩15分くらいの場所にある。
中国語力ゼロでネットもない状態(前の日に私がレンタルWiFiを紛失した。ADHDしぐさ)だったので、道行くおじいさんたちに筆談と身振りでなんとか伝えて、辿り着いた達成感が強すぎて展示内容の記憶があまりないのが残念。
なかは南京大虐殺記念館のような新しくてモダンな感じの展示だった。

人体実験の蝋人形

蝋人形のクオリティが地味に高かった。

−27度、極寒の黒河へ!

あこがれの開放寝台

ロシアと中国の国境の町、黒河へは寝台列車の三等ベッドで11時間ほど。
実は初の寝台列車(サンライズ出雲は風情がないのでノーカン)だったため、ワクワクが止まらない。中国流のカップラーメンにフォークを挿すやつもしっかり堪能。

ベッドは一番上

3段ベッドのハシゴがないタイプの客車だったので、出っ張ってる足場に足をひっかけて登るだけで、アスレチックの気分だ。

トイレは和式便器の底が空いていて線路に用を垂れ流しするタイプで、歴史的な物をみる初めての連続に嬉しくなる。穴から外気が入ってくるため、お手洗いの床もカチコチに凍っている。
また、駅に停車中にトイレに行こうと思ったら車掌が施錠しており、「なんで?」と不思議に思っていたが、よく考えれば当たり前。駅の線路に汚物が垂れ流されるのはそれは避けたいだろう。

海外の寝台列車は初めてだったけど、妙に揺れが心地よく、意外に熟睡してしまった。

明け方

翌朝。人民の生活音で目がさめる。
窓から外を覗くと、一面雪の大地が見えた。
日本では見ることのない、どこまでもはてしない大地、そして地平線。
奥の方からは熱烈な色の太陽が迫ってきていた。

夜が明ける。
100年前の人々も、変わらぬ朝日をこの地で見ていたんだろう。

到着
黒河駅。終点。

ようやく。黒河に到着した。
国境の町、終点だ。
ここからタクシーで15分ほどのところにアムール川はある。

ああ…

見える。

ロシアが見える。
向かいの町は、ブラゴベシチェンスク。
この国境沿いの町にも、明治時代の時点で、日本から売られた女郎がたくさん移住していたという。
石光もここで、日露戦争の5年前から諜報活動を始めた。
ここはずっと、そういった極東のごちゃごちゃした歴史を目撃してきた町なのだ。

寒すぎてビール
謎オブジェ

中国あるある、川沿いのいたるところに謎オブジェがある。

寒すぎる。

ふざけているように見えるかもしれないが、寒すぎて辛い。
こうでもしなきゃ無理。一ミリでも肌が露出していると死ぬ。
ニュースによると、このとき大寒波がちょうどこの一帯に押し寄せていて、−27度だったようだ。まだ11月なのに…?!

黒河の街並み
寒くても出歩いてる人は多い。

黒河では、郊外にある愛琿歴史陳列館へ行った。
駅からホテルまで乗った際のタクシー運転手は優しくかつ商魂たくましく、翻訳アプリで「他にどこ行くのー? 俺案内するよ!」とノリノリだったため、翌日、この陳列館までチャーターをお願いした。
だいたい片道1時間ほど。

歴史陳列館


なかは撮影禁止で、私たちの様子をぴったり監視員が付いていたため写真はないが、この近辺の歴史を振り返る展示内容。
特にロシア軍によるアムール川での清国人虐殺への力の入れようはすごく、等身大ジオラマで虐殺風景が再現されていた。
なんなら、731部隊記念館よりも強い恨みを感じた。731部隊記念館は、こちらのような感情よりもデータと資料で説明するタイプの展示館だった。

道中の風景

それにしても、この中国人タクシー運転手のドライブテクニックがすさまじい。
速度100km超えで、バンバン対向車線にはみ出し追い越しをしていく。対向車がきていても気にしない。
中国東北のドライビングは総じてすさまじいと言うが、なかなかこんなスリルは味わえない。

そして極めつけは街中へ戻ってから。
運転手は翻訳アプリを使って、「今から夜ご飯を食べに自宅に帰ります」などと言い出した。
私たちは意味がわからず、てっきりアプリの翻訳ミスかと思ってA氏と不思議に思っていた。
ところが確かに車はホテルに戻らず、普通の住宅街へ。車を降りて去って行く運転手。
そして現れた、エプロン姿の奥さん
困惑していると、運転手の代わりにエプロン姿の奥さんが運転を始め、無事ホテルに送ってくれた。
彼はただただ晩御飯を一刻も早く食べたかったようだ。これ以上に謎の出来事に、いまだに出会えていない。

夜はロシア料理屋でボルシチとロシアンクレープ

さすが国境の町、ロシア料理がおいしい。本当にびっくりするくらいボルシチがうまい。ハルビンでもロシア料理を食べたけれど、こちらの圧勝だった。

軍人に囲まれて…

黒河からハルビンへ帰るために駅に入ると、大変肝が冷えることが起きた。
駅の入り口で、なにやら厳かな雰囲気が漂っている。銃を携帯した国境警備の軍人がわらわらと立っており、駅に入る人々のチェックをしている。
私たちが恐る恐る身分証としてパスポートを出すと、軍人の顔色が変わる。
そして数人が私たちを取り囲み、何かを言ってくる。なんとなく察してパスポートを手渡すと、「動くな」のポーズとともにパスポートをどこかに持って行かれた。
今思うと国境の町あるあるのことで、なんてことはないのだが、中国慣れしていない私はパスポートを持ってかれる=拘束を予感して、この15分間はびくびくしていた。

無事、なにかの照合を経て解放され、待合室でA氏と暇を潰していると、さきほどの軍人が再び私たちに近づいてきた。思わず身構える。

彼が何かを言いたそうにしているので、私はメモとペンを差し出した。
「ドラえもん大好き」
彼は中国語でそう書くとにっこり笑った。

軍人と

彼は20歳。私たちよりも年下だった。ハルビン出身で、軍隊でお金を稼げたら、いつか日本で仕事をするのが夢だと語った。
それから私たちは、いろいろな話を筆談でした。日本の桜は綺麗かとか、ハルビンで一番うまい餃子はどこかとか、家の餃子が一番美味しいとか。
必死に辞書で意味を調べながら、漢字を羅列するなんちゃって中国語を使いながら。
なんだか身構えて怖がっていた自分が恥ずかしくなった。国境の町で、国籍も立場も関係なく、ドラえもんの話で笑いあった。この世界は思った以上に小さくて広い、そんな当たり前のことを、あの時はじめて身体で理解した。。

おわりに

無事帰国した私は、そのまますぐ、大学を休学した。
そして中国に留学することに決めた。
翌年3月からの留学は、正規の制度だととっくに締め切りが終わっている。
だからといって私は諦められず、直接行きたい大学に申し込むメールをしてみた。
自分がどんな仕事をしたいのか、何者になりたいのか、やはりこのときもよくわからなかった。
とにかく早く中国に行きたい、それだけだ。
何をしたいのかもわからなかった私は、もういなかった。

(終わり)

その個人留学について詳しい記事はこちら👇

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タカイワ マサ | ライター・イラストレーター 面白いと思ったら応援のほどよろしくおねがいいたします! いただいたチップは執筆活動に使わせていただきます。