国際寝台列車で、中国から中央アジアへ国境を越える
鉄道で国境を越えたことがあるだろうか?
しかも、EUのように出入国が容易な地域ではない、このアジアで。

陸路で国境を越えるときの空気は、空路とは全然違う。
“旅をしている”感覚が、肌にまとわりつく。
これは、2019年当時、学生最後の夏休みを過ごしていた私が、
海外に疎い還暦近い母親を連れて、
中国(新疆ウイグル自治区ウルムチ)〜カザフスタン(アルマトイ)まで国際寝台列車に乗り、
鉄道で越境した旅の記録である。

ウルムチの行列地獄

2019年9月。
中国新疆ウイグル自治区・ウルムチ駅で国際寝台列車の切符を買うところから、この鉄道旅は始まる。
このとき、私は大学最後の夏休み。
卒業旅行として、母とともに西安からジョージアまで餃子を食べ歩くという前代未聞の行程を組んでいた。
👇なぜそんな旅程に還暦近い母親を連れているのか? という詳しい経緯を気になる方は、母視点のnoteをご覧ください。
まず、アルマトイ行きの国際寝台列車の切符を買うためにはウルムチ駅の券売所に並ぶ必要がある。
しかし券売所のある駅に入るには、中国恒例の荷物検査がある。どの列に並べばいいのかもわからないカオスのなか、とりあえず列らしき何かの最後尾に立つ。
少しでも隙間があくと、蛇のように人が入り込んでくる。列の後ろからは押され、横からは抜かされる。駅の中は人の熱気で蒸し暑く、とにかく中国屈指のカオスである。

国際列車の切符は、12番窓口でしか買えないと聞いていた。しかし、到着するとなぜか閉まっている。
とりあえず隣の列に一時間ほど並んでみる。
ランチどきだったのだろうか。
12番口に戻ってきた女性に向かって「アルマトイ行き、2人」と中国語で伝え、身分証を出すと、ようやく紙切れのような切符を渡された。

一人1041元。当時のレートで1万7千円くらい。
2晩かかる、余興としての国際寝台としては、まあ妥当だろうか。
中国語とロシア語の他に、なぜかドイツ語も記されている。
そもそもこういう国際寝台列車は、国際貨物輸送のおまけ的に運用されていることが多い。
貨物輸送のためのユーラシア大陸横断鉄道だと思えば、第三言語はやはり英語ではなく(旧ソ連圏の)ドイツ語なのだろうか?
国際寝台列車の過ごし方は?

我々の乗る列車はK9795。
夜23時33分にウルムチ駅を発車する。



ホームに降りると大きな緑色の車体が停まっていた。

車内はコンパートメント式の扉付き4人部屋。
この国際寝台はそもそも観光車的位置付けなので、このような綺麗な個室席しかない(と思う)。
席はかなり余っているようで、私たちのような二人組は贅沢に一部屋を使えた。

席にシーツを引くとこんな感じ。

車内はかなり快適で、ハンガーや荷物置きも充実。

窓際にはコンセントにゴミ箱も!

車掌さんを呼ぶボタンや、アナウンスの音量ボタン。

エアコンの調節スイッチと、車内は本当に至れり尽くせり。

コンパートメントの外の通路にも、このような椅子があって、まったり車窓を見ることもできる。

そして! いままで中国で安い寝台列車しか乗ってこなかった私にとっては驚きの、清潔なトイレと洗面所が!
長旅にはありがたい。
ちなみに乗客はアメリカ人カップル、ドイツ人カップル、中国人の家族連れ、そして日本人の一人旅男性が2人ほど。
約10人のための“国際線”が、発車した!
乗ってる路線が違う?! 想定外の事態

二日目の朝。綺麗な朝焼けで目が覚める。

列車は、国境沿いの荒涼とした大地を走り続けているようだ。

さすがウイグル自治区、シルクロードという感じがする。

朝ごはんは、前日にウルムチのスーパーで買った激安の葡萄。
この列車に食堂車はない。
Wikipediaには「2晩かかる」と書いてあったので、私たちは水や食料を2日分抱えて乗り込んだ。
しかし、翌日中国人の車掌さんに「アルマトイには何時着くの?」と聞くと、
「もう今日だよ!」と言われて目が点になる。
え?今日??
そう、実はこの中国〜カザフの国際貨物線は、昔はアラシャン経由の二泊三日の路線だったのだが、2012年ごろから新線が開発された。
どうやら、私たちが乗った2019年当時には、すでにこの新路線が開通していて、1泊半で到着するようになっていたらしい。
マップで現在地を確認すると、想像以上に国境が近いことに気づく。
慌てて、今夜泊まるカザフスタンのホテルをネットで予約した。
国境の町、コルガス(霍尔果斯)で途中下車

二日目の昼頃だろうか。あっという間に、我々はカザフスタンとの国境の街・コルガスに到着した。

全員荷物を持って列車を降りるように言われる。
中国の出国手続きがあるのだという。
コルガス駅は出来立てピカピカだ。

どうやら貨物の方の出入国手続きが長引くようで、
「二時間くらいここで待つから、外に行ってご飯食べたりしてもいいよ」
とのこと。
暇なので、コルガスの街を歩いてみることにした。

このコルガスという街は、完全に習近平の一帯一路政策の一貫で開発されている要所のようで、まだこの時点では、街全体が工事の真っ只中。

駅周辺に建物は並んでいるが、人が住んでいる気配は乏しく、すれ違うのは工事関係者くらい。

周囲には工事中の道路と鉄条網のフェンスばかり。埃っぽくて、日差しは強いけど風が冷たい。

駅舎の外を2キロほど歩き、やっと見つけた食堂に入ってみる。
注文したのは、水餃子と、暑いからビール。

こちらの水餃子、東北三省の激ウマ餃子に慣れている人間としてはあまり期待していなかったのだが、皮からしっかり作られていてなかなか美味しい。

この乌苏ビールというのは、ウイグル自治区特産の地ビール。乾いた大地によく似合う、さっぱりした飲み心地だ。
当然だが、中国あるあるでビールはぬるい。

駅に戻ると、中国の出国検査が始まった。
陸路出国というのは、空路とは違い警備が徹底していて、「スマホの中身まで見せろ」と言う。
私はWeChatの会話内容や写真もしっかり確認された。
目的や、過去の出入国歴についてもいろいろと聞いてくる。
同乗していた日本人中年男性のひとりが、国境付近の線路や設備を入念に撮影していたことがバレてしまい、当局に「その写真を削除しろ」と命じられることに。
中国語がわからない彼のために、私は車掌の要望で通訳させられ、「消さないと出国できませんよ」と伝えた。
中国に限らず、線路や車両などの鉄道関連の写真は、安全保障にも絡むセンシティブな存在なのだ。
あっさりしたカザフスタン入国
コルガスを出発してすぐに列車は停止し、迷彩服姿のカザフスタン国境警察が乗り込んできた。
大柄な警官は笑顔で挨拶し、荷物の口を軽く開けて中を覗き込むだけ。
「これで終わり?」と思うほど簡単だった。
即座にパスポートに入国スタンプが押される。
質問もなく、荷物の中身をひっくり返されることもない。
中国側の検査があまりにしつこかっただけに、そのあっさりさに拍子抜けする。

そして列車は、先ほどまでの乾燥地帯を抜けて、気づいたら果樹園を走っており、

後ろには嘘みたいに高い、天山山脈が佇んでいる!

このユーラシア大陸の雄大な車窓の変化を独占できるだけで、ものすごい価値がある気がする。
真夜中のアルマトイに到着

アルマトイ駅に到着したのは、二日目の夜11時過ぎだった。
夜のアルマトイは暗く、駅にはホームという概念がなく、列車の高いデッキから飛び降りるように地面へ降りる。
改札もなく、そのまま駅舎の外へ放り出された。
真夜中の駅前で大きなバックパックを背負って右往左往する私たちの前に、ヤンデックス(配車アプリ)のタクシーが救世主のように現れた。

中華的カオスから、一気にソ連の空気へ

カザフスタンに降りて、驚いた。
旧ソ連なので当たり前だが、完全にロシアの文化の空気が流れている。

一方で、ウイグルにもあった中央アジアの、バザールなどの雰囲気も健在だ。

実はカザフスタンには、朝鮮族もそこそこの割合で住んでいる。
戦前にソ連が、シベリア付近の朝鮮族たちを強制移住させたからだという。その影響で、キムチがバザールにはよく売っており、我々モンゴロイドのような顔立ちのカザフ人もよく見かける。

ヨーロッパ、ソ連、中央アジア、朝鮮、さまざな文化と文明の狭間にあるこのカザフスタンという国の厚みは、非常に魅力的だ。
混沌の塊・中国から来た我々からすると、あまりに秩序立って見えた。

私たちが泊まったカザフスタンホテルは、ランドマーク的な高層ホテルで、ロビーもカフェも清潔で広く、英語も通じた。
ホテル近くの、カザフスタン料理屋さんに入ってみる。


肉の煮込みと平たい麺の料理、ベシュバルマク。羊肉で作ることが多いようだが、こちらはなんと馬肉!
味付けは簡素なのに、そもそも馬の旨みがすごく濃くて美味しい。

ミニミニ餃子・チュチュワラ。ペリメニとの違いはいまいちわからないが、こちらはトマトスープに入っていた。

アルマトイの街の中心にはDostyk Plazaという大きなショッピングモールがあり、モダンなカフェやファストフード、アパレルショップが並び、スーパーも大きくて清潔だった。
中国では常にトイレットペーパーの手持ちを気にしていた私が、モールのトイレに備え付けの紙を見つけたとき、思わず「文明だ……」と呟いてしまった。
国境を越えるとき、空気が変わる

「夜行列車で国境を越える」
ただそれだけのことが、旅の中でこんなに大きな体験になるとは思わなかった。

線路の向こう側に広がる空気の違い。
言葉、匂い、街のリズム、人々の声の大きさ。

国境の存在、このユーラシア大陸の繋がり、文化の変遷を実感できる旅は、やっぱり陸路ならではなのだ。
(終わり)
余談
(このあと我々はウズベキスタンを通り、ジョージアへ向かった。
そこでジョージア料理を大変気に入った母親は、コロナ禍に単身ジョージアで料理修行をし、いまではジョージア大使館の料理を担当するまでに至ったのはまた別のお話。)
気になる方は母のnoteをお読みください👇
今後も、ウズベキスタンの寝台旅や、ジョージアについてなど書く予定です。
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