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深淵の大魔道士 第8話「光を求める決意」|創作大賞2026|ファンタジー小説部門|ライトノベル|ラノベ


医務塔の朝は、まだ冷たかった。

ラビー・クリステイルの枕元で、不死鳥が静かに羽を休めている。

眠っているわけではない。
金の瞳は細く開かれたまま、ラビーの呼吸を確かめるように見つめていた。

時おり羽が震える。
そのたびに、金と紅の火の粒がこぼれ、細い糸のようにラビーの胸元へ溶けていった。

命は、つながっている。

けれどそれは、ラビー自身の焔だけで立っているという意味ではなかった。

窓辺に立つメルスティンが、静かな声で言う。

「不死鳥は、今のラビーさんの魔力炉を外側から支えている。まだ自力では保てていない状態だ」

ラビーは、悔しさを隠さず唇を噛んだ。

「……つまり、わたくしはまだ半端者ということですのね」

「そう言い切るには早いけれど、安心できる状態ではないね」

フラワー・マンディは、そっとラビーを見た。

いつものラビーなら、すぐに強気な言葉を返していたかもしれない。
けれど今は、不死鳥の羽音だけが、ふたりの間に落ちていた。

「このまま不死鳥に頼り続けることはできますの?」

ラビーが問う。

メルスティンは首を横に振った。

「永遠には無理だよ。不死鳥は奇跡だけど、依存先にしていいものじゃない。ラビーさん自身が、それに見合う器へ育たなければならない」

「見合う器……」

「鳳凰の大魔道だ」

部屋が静まった。

その言葉だけで、空気の重さが変わる。

「今のままでも命はつながる。けれど、それは“生かされている”に近い。自分の焔として立つなら、自分の力で永続する火へ届かなければいけない」

ラビーは、ゆっくりと顔を上げた。

「……嫌ですわね」

「何が?」

フラワーが小さく尋ねる。

「守られて終わるのが、ですわ」

その一言に、フラワーの胸も小さく熱くなった。

メルスティンは、今度はフラワーへ目を向ける。

「フラワーさんも同じだよ」

「私も、ですか?」

「花は、水と光と葉の複合だ。今の君は、水と葉の側を少しずつ伸ばしている。でも本当の意味で花を大魔道に近づけるには、いずれ光が必要になる」

フラワーは、自分の手を見つめた。

ラビーの命を包んだ手。
震えながら花珠を保った手。

けれど、あの時ラビーを本当に繋ぎ止めたのは、自分の花だけではなかった。

深淵。
時。
太陽。
不死鳥。

いくつもの力が重なって、ようやく命は戻ってきた。

「……足りて、なかったんですね」

「足りていない」

メルスティンは、誤魔化さなかった。

「けれど、届かないわけじゃない」

その時だった。

ベッド脇に置かれた黒い魔導書が、わずかに脈打った。

黒い粒子が集まり、眠たげな目元と黒髪の輪郭を結ぶ。

「……おはようございます」

ハイネ・ベルセルクだった。

けれど、いつもより少し色が薄い。
輪郭そのものが、まだ現実へ馴染みきっていないみたいに頼りなかった。

「ハイネさん……!」

フラワーが思わず身を乗り出す。

ハイネは不死鳥を一瞥し、それからラビーへ視線を向けた。

「……聞いたんですね」

「ええ」

ラビーはまっすぐ答える。

「わたくし、自分の焔を自分で立て直したいですわ。不死鳥に生かされるだけじゃなくて、わたくし自身が、この子にふさわしい焔になります」

フラワーも続けた。

「私もです。守られるだけじゃなくて、守れる人になりたい。そのために……光を学びたいです」

しばらく沈黙が落ちた。

ハイネは、ふたりの顔を見ていた。

眠たげな目の奥に、ほんの少しだけ迷いがある。

「……危ないですよ」

ぽつりと、ハイネが言った。

「光は、深淵より優しいとは限りません。届くものほど、失った時に痛いから」

ラビーは、小さく笑った。

「もう、痛い目には遭っていますわ」

「そうですけど」

「なら、なおさらです」

フラワーも頷く。

「行きたいです」

ハイネはしばらく黙っていた。

やがて、小さく息をつく。

「……じゃあ、会いに行きましょう」

「誰にですの?」

「光に、一番近い人に」



放課後。

学園の裏手にある水場では、フラワーが縦長の水の盾を揺らしていた。

ハイネの小さな衝撃を、真正面から受け止めるのではなく、やわらかく逸らすための練習だった。

「持たないでください。流して、ずらして、通さない」

「守るって、受け止めるだけじゃないんですね」

「そうです」

ハイネは短く頷く。

「守りたいと思うほど、真正面から抱えたくなる。でも、全部を抱えたら一緒に沈みます」

フラワーは息を整え、水の輪郭を作り直した。

怖いものを包む。
でも、近づきすぎない。

それは、ラビーの火を花珠で包んだ時の感覚に少し似ていた。

その時だった。

遠くから、低い走行音が聞こえてきた。

学園の脇道を、黒い細長の車体が静かに滑ってくる。
足元の光輪が淡く回り、銀の魔法回路が夕方の光を鈍く返していた。

「えっ……?」

フラワーが目を丸くする。

魔導リムジンの扉が上へ開き、中からラビーが姿を見せた。

今日は病衣ではなく、淡い色のワンピース姿だ。
まだ本調子ではないのか、不死鳥が肩口に寄り添っている。

「迎えに来ましたわ」

「ラビーさんが……?」

「当然ですわ。せっかくですもの」

ハイネは車体を一瞥した。

「……新型ですね」

「ええ。お父様が試験導入している魔導リムジンです」

フラワーは思わず近づいた。

黒い光沢のある車体。
細長い窓。
内側には柔らかな灯り。

魔法陣と機構が、まるで最初からひとつの生き物だったみたいに組み合わさっている。

「すごい……」

ラビーは、ほんの少し嬉しそうに笑った。

「でしょう?」

その笑顔を見て、フラワーは少しだけ安心した。

ラビーはまだ弱っている。
けれど、ちゃんと前を向こうとしている。

それが分かったから。



クリステイル邸の応接間で待っていたのは、ラビーの父だった。

穏やかな笑みを浮かべているが、その目の奥には、貴族というより技術者の光が宿っている。

彼はハイネたちを迎えると、まず娘の肩に寄り添う不死鳥を見た。
それから、まっすぐハイネへ視線を向ける。

「……まず先に、礼を言わせてほしい」

部屋の空気が静まった。

ラビーの父は一歩だけ歩み寄り、父として頭を下げた。

「娘を救ってくれて、ありがとう。代償の大きい術だったと聞いている」

ハイネは、少し困ったように視線を逸らした。

「……別に。助けたかっただけです」

「それでも、だ」

静かな声だった。

「実際に救ってくれた人には、きちんと言葉を渡すべきだと私は思っている」

ラビーが横から口を挟む。

「お父様、ハイネさんはこういうのに慣れていませんの」

「見れば分かるよ」

「分かるなら、あまり追い込まないでくださいまし」

「ラビーさんも庇い方がだいぶ不器用ですよ」

「うるさいですわ」

そのやり取りに、張っていた空気がほんの少しだけ和らいだ。

「さて……紹介しておこう」

父の隣に立っていた白衣の男が、前へ出る。

「共同研究者の、御堂慎二博士だ」

「どうも。東洋から来た、しがない研究者です」

御堂は笑みを浮かべたまま、ハイネを見た。

ほんのわずかに、目を細める。

「……君が、あの」

その先だけが、不自然に途切れた。

だが、御堂はすぐに肩をすくめる。

「いや、失礼。思っていたより、ずっと若い方だったのでね」

ハイネは何も言わない。

その沈黙のあいだに、もうひとりの少女が静かにハイネへ視線を向けていた。

白銀の髪。
片方だけ赤い瞳。

「娘の深紅です」

深紅は小さく会釈しただけだった。

けれど、その赤い瞳の奥で、淡い光の輪が幾重にも揺れた気がして、フラワーはなぜだか背筋がひやりとした。

「御堂博士は、魔法を再現可能な形へ落とし込む研究をしていてね」

ラビーの父が言う。

「その技術を、魔導リムジンの動力にも応用している」

「魔法を、再現可能に……?」

フラワーは思わず呟いた。

魔法は、心や魔力の揺らぎによって形を変えるものだと思っていた。
花も、水も、火も。
誰かの想いに触れるたび、少しずつ違う姿になる。

それを、同じ形で作れるようにする。

夢のような話に聞こえた。
けれど同時に、ほんの少しだけ怖くもあった。

御堂は、楽しげに笑う。

「才能や血筋に頼らず、誰でも同じ魔法を扱えるようにする。悪くない話だろう?」

ハイネだけが、少しだけ目を細めた。

「……魔法を、道具にするんですね」

「言い方は選びたいところだね」

御堂は笑っていた。
けれど、その笑みの奥にあるものは読めなかった。

人を助ける話のはずなのに。

フラワーの胸には、小さな違和感だけが残った。

その時、深紅がはじめて口を開いた。

「……人間は、そうやって何でも作れると思いたがる」

静かな声だった。

けれど、その一言だけで、場の温度がわずかに下がった。

フラワーは深紅を見る。

少女はもう何も言わない。
ただ、ハイネを見ていた。

白銀の髪。
片方だけ赤い瞳。

その瞳の奥で、淡い光の輪が幾重にも揺れている。

まるで、壊れる未来だけを先に知っているみたいな目だった。



夜。

ラビーの部屋は、昼の応接間とはまるで別世界だった。

天蓋付きの大きなベッド。
薔薇色と白で揃えられた内装。
丸いテーブルには焼き菓子と紅茶。

甘やかな空気の中に、少女たちの寝間着姿が並ぶ。

ハイネは部屋へ入るなり、その光景をしばらく眺めていた。

やがて、ぽつりと呟く。

「……パジャマパーティですね」

ラビーが呆れたように眉を寄せる。

「言い方が平坦すぎますわ」

「初めてなので」

「まさかの初めてですの?」

「たぶん」

フラワーが嬉しそうに目を輝かせる。

「じゃあ、今日はハイネさんの初めてのパジャマパーティですね」

「記録しなくていいです」

「記念日ですわね」

「増やさないでください」

小さな笑い声が、部屋に広がった。

そのやわらかさの中で、ハイネは紅茶の表面へ目を落とす。

「フラワーさんとラビーさんが光を手にするの、楽しみです」

静かな声だった。

「ふたりは、きっと創造の側へ行ける」

そこで、言葉がふと途切れる。

フラワーが首を傾げた。

「ハイネさん、何か悲しそう……」

ハイネは答えなかった。

紅茶の表面に映る自分の顔を見つめたまま、ほんの少しだけ黙る。

深淵。
黒い魔導書。
沈める力。

自分には、光は遠すぎる。

そう思っているように見えた。

フラワーは、まっすぐハイネを見る。

「ハイネさんこそ、光です」

ハイネが顔を上げた。

「ラビーさんと私を、繋いで、導いてくれる」

フラワーは少しだけ照れながら、それでも言葉を続けた。

「それって、光だと思います」

ハイネは、何も言えなかった。

やわらかくて、あたたかくて、誰かを生かすための光。

自分には縁のないものだと思っていた。
あるのは深淵だけで、壊すための力だけだと、ずっと思っていた。

「……明日早いので、もう寝ましょう」

逃げるみたいにそう言うと、ラビーが小さく笑う。

「ハイネさん、照れてますの?」

「照れてません」

「間がありましたわよ」

「気のせいです」

フラワーが、くすっと笑う。

その笑い声だけが、やけにやさしく部屋に残った。

けれど、そのやわらかさの外にいるように。

部屋の隅に座っていた深紅だけが、黙ったままハイネを見ていた。

白銀の髪の奥。
片方だけ赤いその瞳は、静かで、冷たく、まるで夜の底みたいだった。

その赤の奥に、かすかな波紋が幾重にも揺れる。

そんなわけがない。

あなたは、破壊から逃れられない。
戦いからも、深淵からも。

そう訴えるように、深紅の片瞳は、吹き出す前の鮮血みたいに赤を滲ませていた。



翌朝。

空気は澄んでいて、少しだけ冷たかった。

邸の玄関前には、魔導リムジンが待機している。

ラビーの肩には不死鳥。
フラワーの胸元には、サクラから託されたフルート。
ハイネはいつも通り眠たげで、深紅は少し離れた場所から無表情にこちらを見ていた。

ラビーが一歩前に出る。

「行きますわよ」

ハイネが小さく頷く。

「……まずは、黒龍の森です」

「黒龍の森……?」

フラワーの声が小さく揺れた。

ハイネは森の方角を見る。

「光の祠へ向かうには、そこを通る必要があります」

不死鳥が羽を震わせ、淡い火の粒を散らした。

フラワーは鞄の上から、サクラのフルートに触れる。

守られるだけでは終わらない。

ラビーも。
自分も。

そして、きっとハイネも。

それぞれが、それぞれの光を求めていた。

魔導リムジンの扉が、静かに開く。

光の祠へ向かう旅が、始まる。

第9話へつづく。


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