雨のあとの、父のフランス語
父から教わった、たった一つのフランス語がある。
「Après la pluie, le beau temps」
(アプレ・ラ・プリュイ、ル・ボー・タン)
「雨の後は、晴れ間がやってくる」
いわゆる「やまない雨はない」というやつだ。
あぷれらぷれゆ…る…ぼた〜ん、アブラカダブラ的な呪文のごとく耳に残っている。
父は、今思えばずいぶんユニークな人だった。
外から家に電話をかけてきては、わざと英語だけで話しかけてくるのだ。
電話口で「ハロー」と渋い声が響くたび、小学1年生だった私は「え?えっ?外国から?」と、あわあわと慌てふためいた。ちょろい小学生である。
冷静になって声を聞けば、父だとすぐにわかるのに。電話の向こうで英語を操るその姿が想像できなくて、本当に外国からかかってきたのだと本気で信じていた。
そんな風に娘をからかっては、最後はこっそり日本語に戻って笑っていた父。
あの頃、父という存在はあまりに大きかった。
頭が良くて、驚くほど物知り。何か一つ質問を投げかけると、1を聞けば10、いや下手すると100まで返ってくる。教え魔なのだ。
知識の泉が溢れ出したようなその語りに、思春期の私は少しだけ辟易することもあった。当時は検索なんて便利なものはないから、一つの疑問に対して父の言葉が矢継ぎ早に向かってくるのは、時には少し鬱陶しかったりもして。
こっちから聞いといて、「もういいよ、わかったから。もういいんだってば。」と邪険にする娘。
謝れるなら謝りたい。今になって反省している。
父が去ってからずいぶん経った。
検索でなんでも瞬時にわかる今。
でも、生身の人間の眼差しを通して、説明されることの意味と大切さをなくしてから痛感している。
あの時、もっと素直に聞いておけばよかったと思うことばかりだ。あの知識の深さも、不思議な遊び心も、今ならもっと深く味わえただろうに。
もし今、父がここにいたら。
聞きたいことがごまんとある。
寄り道、脱線、大歓迎だ。
あのフランス語の意味を、改めてどんな顔で教えてくれるだろう。
父がいなくなった後の人生にも、“雨の日”は何度も訪れた。
「Après la pluie, le beau temps
苦あれば楽あり」
そのたびに、あのフレーズがふと脳裏をよぎる。
「また雨が降っているね、落ち込まないで、やむよ、すぐに(つらいことはもう終わるよ)」と、雨音の中に父の慰めのような言葉が聞こえてくる。
梅雨空の下、アヤメの鮮やかな紫色を見ると、紫が好きだった父の笑い声が蘇る。
「助六の江戸紫の色だね。」
歌舞伎好きだった父なら、きっとそう言うだろう。その後、
「助六の恋人である「揚巻」の名前はアヤメ(菖蒲)に由来していてね…」
次々と続きそうだ。
雨のあとの晴れ間を信じて。
私は今日も苦手な雨の中を、少しだけ軽やかな足取りで歩いている。
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