世界遺産!京都五大閣「金閣寺(鹿苑寺)」2009年以降写真見比べ【きぬかけの路シリーズ】
有名すぎるし情報も多いので割愛!?正式名称は「鹿苑寺」だが、金箔が貼られた舎利殿金閣が有名であるために一般的には「金閣寺」とよばれている。金閣寺は元々、鎌倉時代の公卿、西園寺公経が建立した西園寺という寺院で、これを室町幕府3代将軍足利義満が譲り受け、山荘北山殿をつくったのが始まりであると考えられている。
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2026/08/11:初版
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京都府京都市北区金閣寺町1
正式名称:鹿苑寺舎利殿(ろくおんじ しゃりでん)
通称:金閣(きんかく)、金閣寺
所在地:京都府京都市北区金閣寺町
宗派:臨済宗相国寺派
建立年:1397年(室町時代)
創建者:足利義満(室町幕府第3代将軍)
世界遺産:古都京都の文化財の一部(1994年登録)
▼見どころ
→由緒歴史
金閣寺(正式名称:鹿苑寺)は、相国寺の塔頭寺院のひとつ
臨済宗相国寺(私のNOTE)派に属する禅寺。
鹿苑寺という名前は、足利義満の法号「鹿苑院殿」から由来。
境内にある「舎利殿(金閣)」が非常に有名であるため、一般には「金閣寺」として知られている。
金閣寺の場所は、鎌倉時代初期には公卿・西園寺公経の別荘地だった
公経は白川仲資王との所領交換によってこの地を入手。
広大な庭園を持つ邸宅「北山第(北山殿)」を築き、氏寺として「西園寺」を建立。
この「西園寺」は、現在の金閣寺に先立つ由緒ある寺院だった。
1335年、鎌倉幕府の滅亡後、西園寺家の没落
西園寺公宗が後醍醐天皇の暗殺計画に関与したとされ、討たれる。
この事件により、現在の金閣寺の土地は幕府によって没収される。
1378年、足利義満が京都北小路に「花の御所」を造営し移住
室町幕府の第3代将軍・足利義満が、政治の中心として「花の御所」(現在の京都御所付近)を建設。
この場所は平安京の北端に位置し、都市の「外」、いわゆる「洛外」であった。
義満は新たな政治的秩序の象徴として、ミニ平安京とも呼ばれる都市計画を目指していたとも。
北への造営は象徴的意図も
義満が築いた北山殿(金閣寺)は、天皇の権威を見張るような配置にもなっており、かつての藤原氏が興福寺・春日大社(私のNOTE)を設けたのと同様の「権威を監視する構造」とも見られている。
1394年、義満が将軍職を甥の足利義持に譲り出家
政治の実権は保持しつつ、表面的には隠遁したように見せた。
翌1397年には、京都北西の衣笠山周辺(現・金閣寺の場所)に「北山殿」を造営し、そこに移り住む。
1398年、「舎利殿(金閣)」が完成
舎利(仏舎利=釈迦の遺骨)を納める建築として、金箔を張った楼閣建築「金閣(舎利殿)」を建立。
仏教的空間、政権の象徴、文化的権威をすべて備えた象徴的建造物。
上層は仏堂、中層は武家風、下層は寝殿造風の三層構造で、異なる建築様式が融合されている。
義満の死後(1408年)、その遺言により北山殿は禅寺として転用
義満は死後に自身の邸宅を禅寺とするよう命じ、「鹿苑寺」が正式に開山される。
舎利殿(=金閣)はそのまま仏堂として保存された。
1419年、西園寺の跡地にあった伽藍の多くが解体
1589年、豊臣秀吉が鹿苑寺の寺領を350石と定める
寺領とは、寺が維持運営するために認められた田畑の石高(収穫量の目安)。
秀吉もまた金閣寺の文化的価値を認めていたとされる。
江戸時代、伽藍の再建や修理が行われる
金閣は1649年に大規模な修理。
幕府の保護を受けながらも、建物の保存が続けられた。
明治時代、廃仏毀釈の影響を受けるも完全には荒廃せず
明治初期の神仏分離政策と仏教排斥運動により、多くの寺院が破壊・荒廃したが、鹿苑寺は規模を縮小しつつも存続。
やがて観光地として人気が回復し、国宝にも指定。
1929年(昭和4年)、金閣が国宝に指定される
1950年(昭和25年)、学僧による放火事件が発生
21歳の学僧が放火し、金閣が全焼。
金閣の内部に安置されていた足利義満坐像も焼失。
三島由紀夫の小説『金閣寺』はこの事件をモチーフにしている。
1955年(昭和30年)、金閣を再建
焼失から5年後、史料を基に忠実に再建された。
当初は金箔を一部しか施していなかったが、のちに全面に金箔を張る現在の姿となる。
1986年(昭和61年)、「昭和大修復」が行われる
鹿苑寺前住職・村上慈海師の依頼により、金閣の大規模な修復工事。
金箔の全面張り替えや建物構造の補強などが実施された。
2023年4月、拝観料が300円から500円に改定
観光地としての整備や保存のため、拝観料が値上げされた。
それまでは「安すぎる」とも言われていたが、値上げ後も世界中の観光客に人気。
→境内へ








→南池跡周辺







→金閣:2010年代から年代別に見比べ!!
正式名称は「鹿苑寺」だが、金箔が貼られた舎利殿金閣が有名であるために一般的には金閣寺とよばれている。金閣寺は元々、鎌倉時代の公卿、西園寺公経が建立した西園寺という寺院で、これを室町幕府3代将軍足利義満が譲り受け、山荘北山殿をつくったのが始まりであると考えられている。参拝者専用の駐車場が3か所あるので、車で行くことも可能。
超有名だが、交通の便が悪く時間ロスが大きいところでもあるので、車で来るのが良い。言うまでもなく、森を抜け金色の建物を見ると「お~~」となる。個人的にオススメは雪化粧の金閣寺である。しかし、人が多い・・。






https://www.youtube.com/watch?v=1DnjyT2nvkE





屋根に違いを大きく感じますね。


修復した直後は次の動画です。定期的に補修しています。




1950年の焼失風景は次の記事参照です。
動画
記事など









→方丈と陸舟の松




外観のみ見学可能。内部は原則非公開で、特別公開の時期を除いて一般の立ち入りはできません。
拝観順路を進むと、土塀越しに方丈の屋根や一部の構造が見える
「京の冬の旅」など特別公開(春や秋など)で内部を見学できることもある
現存の方丈は1678年(延宝6年)に後水尾天皇により再興された建物で、2005年〜2007年にかけて大がかりな解体修理が行われた
方丈前の庭は、相阿弥作庭と伝わり、後水尾天皇お手植えの侘助椿がある
長寿の盆栽「陸舟の松」は約600年の樹齢とされ、船の帆のような形に仕立てられた松として知られている



「りくしゅうのまつ」と読む
金閣寺(鹿苑寺)方丈庭園にある巨大な五葉松
枝が舟の帆のような形に仕立てられている
名称の意味:「陸にある舟」=禅的な象徴を含む
樹齢は約600年(伝:足利義満お手植え)
方丈前庭の中心的な存在であり、象徴的な造形物
松の枝は水平方向に大きく広がる独特な姿
庭園は相阿弥作庭とも伝わる
禅の象徴として「迷いを超え悟りに至る舟」という意味合いも
「長寿・繁栄」の象徴ともされる
→金閣

舎利殿は、三層構造の楼閣建築で、それぞれの階が異なる建築様式で造られている。
一層
法水院(ほっすいいん)
寝殿造(しんでんづくり) 貴族的で優雅な様式、柱が見える
二層
潮音洞(ちょうおんどう)
武家造(ぶけづくり) 禅宗様の書院風、仏像安置
三層
究竟頂(くっきょうちょう)
禅宗仏殿様(唐様) 完全な仏堂、内部に仏舎利を安置











→榊雲
金閣寺を守護する鎮守神を祀った小さな社(古廟)で、境内の売店裏手、石段を上った先にひっそりと建立されている。

読みは「さかきうん」か「しんうん」のいずれか。
「榊雲」は一般的に「しんうん」と読みます 。
漢字の意味合いとしては、「榊」が古来より神前に供える神聖な植物であることから、そこに「雲」が添えられ、天上の神を象徴するような神社名称と解される。
ご祭神は、春日明神(春日神・春日権現)
藤原氏の氏神であり、作庭を行った西園寺家にも縁の深い神々である春日大社の神々が祀られている
西園寺家(藤原氏の一族)がこの地に所有していた時代から、北山の山の神として崇敬され、現在も寺の鎮守として祀られ続けているとのこと



多くの参拝者に見過ごされがちですが、金閣寺参拝の折には探してみる価値がある場所とされている。
賽銭箱は設けられていないようですが、「そっとお賽銭を置く形でお参りするのも良い」と案内されている。



金閣寺との関係の背景
金閣寺の前身は、西園寺家が所有していた「西園寺」という寺院や山荘で、その地にはもともと春日明神が祀られていたことがわかっている
足利義満が北山殿を築き金閣寺へと変貌させた後も、春日明神はそのまま鎮守として祀られ、信仰は継承された
→銀河泉/巖下泉/金閣寺垣

銀河泉について。
金閣寺境内にある湧き水の泉
金閣の裏手、方丈から少し離れた山側に位置
名称の意味は「銀河のように清らかな泉」という詩的表現
伝承によれば、足利義満が茶の湯に使ったとされる名水
現在も水が湧き出ており、清浄で神秘的な雰囲気を持つ
泉のまわりには苔が美しく、静寂な山内の風情を感じられる
銀河泉から流れ出る水は、龍門の滝や鏡湖池へとつながる水系の一部
小さな祠や石組みとともに景観を構成
拝観順路の途中にあり、誰でも立ち寄って見学可能
静けさと苔むした景色から、パワースポット的な人気もある

巖下泉について
金閣寺境内にある小さな湧き水の泉
読み方は「がんかせん」
名称の意味は「巖(いわお/岩)の下に湧く泉」
金閣の北側、銀河泉のすぐ近くに位置
伝承では、足利義満が茶の湯に使ったとされる清水
山の岩陰から静かに水が湧き出しており、自然の趣が強い
銀河泉よりさらに小規模で、素朴で静謐な雰囲気
周囲は苔や石組みに囲まれ、禅庭的な空気感が漂う
非人工的で自然のままの泉として保たれている
銀河泉と同様に、金閣寺の茶道文化や水の信仰を伝える名所

金閣寺垣について
京都・金閣寺で見られる伝統的な竹垣の様式
縦に並べた竹を、横竹で押さえて縄で結ぶ構造
使用される竹は、丸竹や割竹(細めのものが多い)
節の位置をそろえるなど、丁寧な仕上げが特徴
結び目には黒縄や麻縄を使用(自然素材)
高さは膝〜腰程度で、庭や道の仕切りとして使われる
適度な隙間があり通風・採光を妨げない
庭園や参道などに設置され、景観を整える役割を果たす
素朴で静かな印象を与え、禅寺の美意識と調和
現代の和風庭園や茶庭でも用いられる人気の垣根様式
→竜門滝



金閣寺境内にある人工の小さな滝
銀河泉・巖下泉から流れ出た水が滝となって落ちる構造
滝の高さは約2メートル程度
背後に大きな立石(滝石)があり、水が岩の間を落ちる
滝の下に置かれた石は「鯉魚石(りぎょせき)」と呼ばれる
「登龍門伝説」に基づく庭の意匠
→ 鯉が滝を登り龍になる=出世・成功の象徴静かな水音と苔むした周囲の景観が美しい
拝観順路上から間近に鑑賞可能
滝と鯉魚石の組み合わせは、禅的意味合いも持つ
金閣寺の庭園における動的(動きのある)要素のひとつ
写真スポットとしても人気がある場所






→白蛇の塚/安民沢


金閣寺境内にある白蛇を祀る塚(塚墓)
白蛇は日本の伝統で神聖な守り神・吉兆の象徴とされる
塚は小さな盛り土や石碑で構成されている
白蛇は特に金運や家内安全をもたらす存在と信仰される
塚の周囲は静かで、訪れる人が祈願や感謝の参拝を行う場所
金閣寺の歴史や自然信仰と結びついた、神秘的なスポット
一般的に自由に参拝可能
観光客の中には、白蛇の加護を願って訪れる人も多い
他の寺院や神社でも白蛇信仰は見られるが、金閣寺の白蛇の塚は特に格式ある由緒が伝わる
金閣寺の庭園や境内散策の際に立ち寄る価値がある場所


西園寺家では鎮守として弁財天を祀っていたようで、白蛇はその使いとされます。後述する「不動堂」に安置されている厨子入りの弁財天は西園寺家のものなのかも。
→高台から金閣








→夕佳亭
夕佳亭は、小高い場所に建てられた数寄屋造りの茶室で、その素朴な佇まいの中にも、静かな格式と品格が感じられます。この茶室は、江戸時代の著名な茶道家・金森宗和によって建てられたもので、1680年に後水尾天皇が崩御された際、当時の鹿苑寺住持が宗和に命じて建立したと伝えられています。
その後、幕末の1868年に焼失し、1874年に再建されました。
「夕佳亭」という名は、茶室から望む夕日に映える金閣(舎利殿)の姿が格別に美しいことに由来しています。「夕佳」とは、「夕日に映えて佳(よ)い景色」という意味を持ち、この地の風情を象徴する名前として名付けられました。
金閣寺境内にある茶室(茶席)のひとつ
室町時代に建てられた歴史ある建物
名前の意味は「夕陽に映えて美しい」という意
数寄屋造りの典型で、簡素で落ち着いた和風建築
茶の湯のために設計され、静寂と趣を重視
庭園の景色と一体化するように配置されている
内部は畳敷きで、茶道の掛け軸や花入れが飾られる
茶会や特別な催しの際に使われることが多い
金閣寺の歴史と文化を感じられる重要な文化財の一つ
訪問時には外観の見学が可能だが、内部は通常非公開の場合が多い

「貴人榻(とう)」 昔高貴な方が座った石とされ、室町幕府から移譲されました。夕佳亭は拝観順路のなかで一番高い場所にあります。


「富士型の手水鉢」 室町幕府8代将軍足利義政の遺愛といわれています。義満の没後しばらくして北山殿は禅寺(鹿苑寺)となりました。義政はしばしば鹿苑寺を参り、東山殿(後の銀閣寺)造営の参考にしたといわれています。



→お休みどころ




金閣寺境内に設けられている休憩スペースや休憩所の総称
主に拝観途中の疲れを癒すための場所として利用される
簡易的なベンチや座席が設置されていることが多い
一部は屋根付きの休憩所で、雨天時も利用可能
お茶や軽食を提供する売店やカフェが併設されている場合もある
境内散策の途中での小休止に最適なスポット
自然の庭園や池を眺めながらゆったり休める設計
季節の花や景色を楽しみながらのんびりできる環境
訪問者の混雑緩和にも役立っている
観光案内やトイレの近くに設けられていることが多い



金閣寺をモチーフにした和菓子のひとつ
外観は金閣寺の三層の建物や金箔をイメージしたデザインが多い
主な材料は「練りきりや餡(あんこ)」などの上品な和素材
風味は抹茶味や黒ごま、白あんなどが多く使われる
金閣の「華やかさ」と「優雅さ」を表現した繊細な仕上がり
京都の和菓子店や土産店で販売されることが多い
お茶席や観光土産として人気の一品
季節限定バージョンもあることが多い
見た目の美しさから、贈答用にも喜ばれる

和菓子は外で買えます。



→金閣寺不動堂
室町幕府3代将軍として権勢を誇った足利義満によって金閣がつくられる以前、その場所には、西園寺家の寺の「西園寺」があった。創建は鎌倉時代前期、藤原公経(西園寺公経)という貴族によってとする。しかし、室町時代に入ると寺は荒廃し、足利義満による北山山荘となった。金閣の前の池は西園寺以来のものであるという。
義満の死後、遺言により北山山荘は鹿苑寺となったが、後継者によってお堂が他寺に移されたり、また火災にあったりして、当初の建物は金閣のみとなった。

建立時期:天正年間(1573年〜1592年)
再建者:豊臣秀吉の重臣、宇喜多秀家
建築様式:入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんがわらぶき)
特徴:金閣寺の境内で最も古い現存建築物
開扉法要:毎年2月の節分と8月16日の五山送り火の日に行われる


堂内写真禁止です。
正面は小さな御前立の不動明王で不動明王三尊形式になっている。脇侍は制吒迦童子と矜羯羅童子ということだが、童子ではなくおっさんである!?
正面左手には弘法大師が、中央の石窟の中に不動堂のご本尊さま石像不動明王立像が、右手には役行者三尊(役行者・前鬼・後鬼)が安置されている。
また左手の横には弁財天が安置されている。
詳細は次のNOTE参照。
→ラストは「茶枳尼天」

出口の門の横に「茶枳尼天(だきにてん)」が祀られています。日本では中世以降稲荷神と同一視され、繁盛の神として信仰されました。

→帰る



▽五山送り火-2025年-
8月の「五山送り日」は入口に戻り奉納した。









▼京都五大閣
具体的には「金閣寺(鹿苑寺)」の金閣、「銀閣寺(慈照寺)」の銀閣、「西本願寺(本願寺)」の飛雲閣、大徳寺塔頭「芳春院」の呑湖閣(どんこかく)、「東福寺」の伝衣閣(でんねかく)(京四閣は金閣、銀閣、飛雲閣、呑湖閣で東福寺が入らない)
興味がある方は京都五大閣NOTE巡りを!?
▼歴史
■ 鎌倉時代
鎌倉時代前期:西園寺公経が白川仲資王との所領交換により現在の金閣寺の地を取得。
13世紀後半:西園寺家の氏寺「西園寺」が建立され、邸宅「北山第」が整備される。
1335年(建武2年):西園寺公宗が後醍醐天皇暗殺計画に関与し、討たれて西園寺家は没落。土地は幕府に没収される。
■ 室町時代
1378年(永和4年):足利義満が「花の御所」を造営し、政治の中心とする。
1394年(応永元年):義満が将軍職を譲り出家。
1397年(応永4年):義満が衣笠山麓に「北山殿」の造営を開始。
1398年(応永5年):「舎利殿(金閣)」が完成。金箔を貼った三層の楼閣建築が注目を集める。
1408年(応永15年):足利義満死去。遺言により「北山殿」は禅寺「鹿苑寺」として改められる。
1419年(応永26年):鹿苑寺のうち、金閣を除く伽藍が解体され、他の寺院へ移築される。
■ 安土桃山時代
1589年(天正17年):豊臣秀吉が金閣寺の寺領を350石に定め、保護を行う。
■ 江戸時代
1649年(慶安2年):金閣の大規模な修理が行われる。
江戸期全体:寺の諸伽藍が徐々に再建され、金閣寺が整備されていく。
■ 明治時代
1868年以降:廃仏毀釈(神仏分離政策)の影響を受けるが、完全な荒廃は免れる。
観光地として次第に人気を取り戻す。
■ 昭和時代
1929年(昭和4年):金閣が国宝に指定される。
1950年(昭和25年):学僧による放火事件で金閣が焼失。足利義満坐像なども失われる。
1955年(昭和30年):金閣が再建される。初期は金箔は部分的なものだった。
1986年(昭和61年):昭和大修復が行われ、全面金箔貼り替え・建築補強など実施。
■ 令和時代
2023年(令和5年)4月:拝観料が300円から500円に値上げ(文化財維持や観光整備のため)。
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記▼セットで行くところ
京都の夏!!みたらし祭と五山送り火-京都の2025年8月-
その他
セットで行くところ
2010年代の金閣寺は次のNOTEです。
バスに並んでいるあなた!ちょっと歩いてわら天神、平野神社、北野天満宮あたりもどうぞ!
▼仏像展
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