毎年2日のみ公開「金閣寺不動堂」秘仏石不動明王御開帳にGO!【きぬかけの路シリーズ】
金閣寺寺内の不動堂は桃山時代の再建で、創建時の金閣が失われてしまった今となっては鹿苑寺内でもっとも古い建物である。
お堂奥に石不動(いわふどう)尊をまつる石室があり、その礼堂としてつくられたものであるが、創建年代については不詳。石室は大きな緑色片岩を組み合わせてつくられており、京都盆地付近では産出しないことから、遠方から運ばせたとのこと。近年、石室北壁から1342年などを指す線刻の文字などが発見され、義満の北山山荘以前のものであることが確認された。
本堂に石室。そして石像といえば次もオススメですね。

変更履歴
2026/08/10:初版
▼HP▼アクセス
京都府京都市北区金閣寺町1
▼見どころ
→由緒/歴史
正式名称は「不動堂」、不動明王を祀る堂宇
金閣寺(鹿苑寺)境内の一角に位置する小規模な堂
不動明王は、仏教の守護神・火の神として厄除けの信仰対象
金閣寺の創建者である足利義満が建立当初から信仰していたと伝わる
義満の時代(14世紀末〜15世紀初頭)に建立された可能性が高い
その後の火災や戦乱で幾度かの再建が行われている
不動堂は参拝者の厄除け・家内安全・学業成就を願う場所として重要視されている
江戸時代以降も維持され、近代では文化財保護の対象となっている
祭礼や特別な法要の際に開扉されることが多い
現在も金閣寺の精神的な拠り所のひとつとして信仰を集める
金閣寺不動堂の歴史・由緒を西暦でどうぞ。
1397年(応永4年)
足利義満によって金閣寺(鹿苑寺)が創建される際、不動明王を祀るため不動堂も建立されたとされる。15世紀(室町時代)
不動堂は義満の信仰の中心の一つとして重要視され、厄除けの場として機能。1470年代
応仁の乱(1467-1477)などの戦乱で金閣寺や不動堂は被害を受けた可能性がある。16世紀以降
戦国時代を経て数回の再建と修復が行われる。17世紀(江戸時代)
江戸幕府の庇護を受け、金閣寺及び不動堂の維持修復が継続される。1950年
放火により金閣寺が全焼した際、不動堂も大きな被害を受けた。1955年
金閣寺の全面再建にあわせて不動堂も復興・修復される。現代(21世紀)
文化財として保護され、参拝者の厄除けや祈願の場として信仰を集める。
→本堂





堂内写真禁止です。
正面は小さな御前立の不動明王で不動明王三尊形式になっている。脇侍は制吒迦童子と矜羯羅童子ということだが、童子ではなくおっさんである!?
正面左手には弘法大師が、中央の石窟の中に不動堂のご本尊さま石像不動明王立像が、右手には役行者三尊(役行者・前鬼・後鬼)が安置されている。
また左手の横には厨子入りの弁財天が安置されている。正しくは弁才天十五童子像だと思った。で、厨子の下の方に目立つ馬・牛と思われるものがある。妻と二人で「「眷属」in龍谷ミュージアム」であったけと話す。
弁才天十五童子像
弁財天って単独で安置されているイメージだったが、十五童子を従えることがあるのは知らなかった。
この2つは、いずれも腕が8本の宇賀弁財天と十五童子が描かれているのだが、違いはNo.62の聖護院(私のNOTE)は「新羅明神」が描かれている・・。三井寺(私のNOTE)や三室戸寺(私のNOTEは2025年公開)にも祀られる「新羅明神」は気になるな~。また纏めようと思いながら眺めていた。
弁財天十五童子像には、前段の鏡の下あたりに「牛と馬」「米俵」
▼Gemini
弁才天十五童子像の前に、馬のようなものが置かれている場合、それは通常「牛馬童子(ぎゅうばどうじ)」と呼ばれる眷属(けんぞく)です。
十五童子の中の一人である牛馬童子は、動物愛護の神とされており、牛や馬を従えた姿で表されることがあります。
また、弁才天信仰が日本の稲荷信仰と習合した結果、弁才天像やその眷属の近くに牛馬や米俵が置かれることもあります。これは、弁才天が五穀豊穣の神としての性格を併せ持つことを示しています。
▼ChatGPT
牛・馬・米俵は、稲作と深く結びつく 豊穣・繁栄・富の象徴です。この構図は、弁財天信仰と稲荷信仰が習合した形を示します。また、これは 神仏習合の特徴的な表現で、農耕と信仰を統合した形態として理解できる。
▼Copilot
金閣寺の不動堂にある弁才天十五童子像の前にある馬のようなものは、実際には白馬の石像である可能性が高いです🐎。
🐴 白馬の意味と役割弁才天十五童子像の構図には、米俵を載せた荷車と白馬が添えられることがあります
白馬は、豊穣・神の使い・浄化の象徴として描かれることが多く、弁才天の神格と結びついています
特に室町時代の絵画では、弁才天の下に十五童子が並び、その前に白馬が描かれている例が複数存在します。
金閣寺の不動堂は、石不動明王を祀る古い堂宇ですが、近年では弁才天十五童子像も安置されており、その前に置かれている馬のような像は、童子の一人「牛馬童子」に関連するか、あるいは神の使いとしての白馬像と考えられます。
つまり、馬のように見える像はただの装飾ではなく、弁才天信仰における重要な象徴なのです。
→御開帳の見仏「石不動明王立像」
では本堂の主役である石仏の「石不動明王立像」を見仏。
名称:石不動明王立像(いしふどうみょうおうりつぞう)
材質:花崗岩(かこうがん)製の石造像
像高:約169cm
制作時期:鎌倉時代(12世紀末〜14世紀初頭)
作者:不詳
安置場所:金閣寺不動堂内の石室
石室の特徴
構造:石室は最大幅約2メートル、奥行き最大約2.5メートル
内部の線刻:康永元年(1342年)から応永12年(1405年)にかけての年号や「南無不動明王」などの名号、題目、梵字が刻まれている
信仰の対象:眼病にご利益があるとされ、体の悪い部分と同じ場所をなでると病気が平癒すると信じられている
不動明王の役割と信仰
・主尊:不動明王は仏教の守護神であり、悪を断ち切り、衆生を救う役割を持つ
・二童子:制吒迦童子(せいたかどうじ)と矜羯羅童子(こんがらどうじ)が左右に立ち、不動明王を補佐する
・信仰の対象:厄除け、魔除け、病気平癒、学業成就などの祈願に広く信仰されている
像高:164cm(等身大に近い)
肩幅:約55cm
背後:石造の光背(火焔形)が設置
足元:左右に花崗岩の石柱と台座
二童子像がかつて存在していた痕跡
周囲:左手前に石造の狛犬(体長46cm・高さ24cm)が南を向いて配置
使用石材:和泉砂岩(いずみさがん)
→ 和歌山県方面で産出されるもので、京都まで運ばれた石像・光背・周辺構造物は、すべて自然石によって構成されている
制作年代
推定制作年代:14世紀前半〜15世紀初頭(鎌倉末期〜南北朝時代)
根拠:石室内部に刻まれた年号(康永元年1342〜応永12年1405)より推定
様式的特徴:写実的で力強い造形、忿怒(ふんぬ)相の表情や力感のある姿勢が特徴
密教系彫刻に典型的な構造で、護摩供用の主尊像としてもふさわしい造形
安置場所(石室)
石像は木造礼堂とは別の石室に安置
石室構造:
最大幅:約2m
奥行:約2.5m
構成:緑色片岩による石組(古墳的構造+中世庭園の意匠融合)
石材の特徴:
緑色片岩は水に濡れると美しい緑色に発色
石材の一部は幅1m超・長さ1.6m以上と非常に大型
主に紀ノ川・吉野川流域から運ばれたもの
石室内の刻字と信仰資料
刻字内容:
年号(例:康永元年1342、応永12年1405)
名号(南無不動明王 など)
題目、梵字、人名、線刻画
刻字方法:墨ではなく刃物など鋭利な道具で線刻
信仰的意味:参詣者や信者が石に願いを刻みつけた記録とみられる
発見意義:石像の信仰が中世から途絶えず続いてきた証左
歴史的背景・文化的価値
年号の刻字により、西園寺家の北山第時代からの信仰対象であったことが判明
足利義満による金閣建立(1397年)よりも50年以上前からこの地に存在
石像自体が、鹿苑寺成立以前の貴重な仏教信仰の遺物
石仏が石室内に安置され、その空間に信仰記録が刻まれるのは極めて希少
京都の寺院における中世不動信仰・石造仏のあり方を示す学術的価値が非常に高い
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
京都の夏!!みたらし祭と五山送り火-京都の2025年8月-
その他
▼セットで行くところ
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