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★纏め★上賀茂神社/下鴨神社を本宮とする全国の賀茂社/鴨社/加茂社紀行【古代豪族シリーズ】

『出雲国風土記』『日本書紀』『山城国風土記』『新撰姓氏録』によると、カモ氏は神武天皇の神武東征で八咫烏として大和に導くとする。私見では出雲から奈良・葛城に腰を下ろし、奈良と京都の境にある南山城・岡田あたりに腰を下ろし、今の上賀茂神社・下鴨神社に移動したと思っている。
 平安時代初期の『新撰姓氏録』の「山城国神別」巻の「鴨県主」の項では、下鴨神社祭神・賀茂建角身命は神武天皇を先導したヤタガラスの化身と説明され、妻は丹波王国(宮川神社か神野神社)の祭神であるとも。
 ちなみに多くの人が知っている「鴨長明」は下鴨神社の境内摂社・河合神社所縁の人物である。
 そんな全国津々浦々に広がる賀茂社・鴨社・加茂社を集めてみた!!

プチ系図
オオクニヌシ@出雲大社💛タギリヒメ@宗像大社
 ↓
アジスキタカヒコネ@出雲大社摂社
         @高鴨神社(賀茂大明神)
         @土佐神社
         @貴船神社
(阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神)
-----------------------------
賀茂建角身命@下鴨神社(八咫烏)💛伊賀古夜姫命@丹波王国
↓ 
玉依日売@下鴨神社💛不詳(松尾大社?向日神社(角宮神社)?乙訓神社)
 ※不詳だが『新撰姓氏録』では火雷別
↓ 
賀茂別雷大神@上賀茂神社  
-------------------------------
「アジスキタカヒコネ=賀茂別雷大神」説、『三輪高宮家系』では「アジスキタカヒコネ=オオヤマグイ」となっており、諸説あるようだ・・・。

 2016年に「じゃらん旅行記」で一度出したのをこってり書いています。当時未参拝だった神社が参拝済みになったので神社数はこちらの方が盛り盛りです。内容もモリモリ過ぎるかと思います。


▼カモ氏とは

『新撰姓氏録』ではカモ氏の祖は3種類あるとのことだが、スンと落ちない・・。

  • 山城国/神別/天神

  • 賀茂県主

  • 鴨県主/賀茂県主同祖

カモの正しい表記は「賀茂」なのか「鴨」なのか「加茂」なのか?

①上賀茂神社と下鴨神社は「賀茂」
 
まずは有名どころ「上賀茂神社」と「下鴨神社」でいうと「賀茂」が正しい認識である。理由は、中世の文献では「下鴨」は「下賀茂」と記述されていること。また、上賀茂神社の正式名は「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」で、下鴨神社の正式名は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」で、祭神はそれぞれ「賀茂別雷神」、「賀茂建角身命」なので「賀茂」でよいかと。そもそも上賀茂神社も下鴨神社も今のように分かれていなかった。実は河合神社+下鴨神社+上賀茂神社で1つの「賀茂社」だし。
 では、何から表記が「賀茂」と「鴨」になったかと言うと、賀茂川と鴨川から「賀茂」と「鴨」になったかと思う。要は通称名の「上賀茂」「下鴨」は地名の認識である。

②京都・賀茂社(=上賀茂神社+下鴨神社)以外の「鴨」
 神社名からすると、奈良・高鴨神社、高槻・鴨神社ですね。カモ氏は天津系と国津系があるとすると、国津系かなとも思ったりするし、そういう認識の人も多い。が、ここは分かりかねますのでスルーして、専門家に任せる。

③「加茂」
 実は一番多い表記は「加茂」ではないかと思っている。私が思うに、高鴨神社、上賀茂神社、下鴨神社から分霊・勧請したところから、さらに分霊したら加茂なのかなとも。今で言うと下請け会社とか!?
 もしくは地名かな。様々なところで神社と地名の読みは同じだが表記は変えるなどする地域が多いので。住所は「加茂」だが神社名は「賀茂」や「鴨」を選択したりしているところもありそう。「貴船神社」は地名は「きね」で神社は「きね」と穢れを嫌う神道なので神様は濁らない。京都・京丹後市の「間人」は、「間人皇女」から来ており、「はしひとのひめみこ」と読むが、地名は「たいざ」と読みが同じだと畏れ多いと変えている。

根拠が薄い私見

 日本書紀などでは『賀茂建角身命は、神武天皇が東征されたとき三本足の八咫烏となり導いた功により山城国の北部一帯を賜わった。』とあり、山城風土記では『賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、日向(奈良・葛城?)に天孫降臨し、大和国葛城から山城岡田(京都木津川)さらに北上し現在の賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)あたりにたどり着き定住した』としている。

 平安遷都時には皇室は賀茂氏・秦氏に話を通したらしく、京都では力の強い豪族だったのだろう。

  皇族より古い「海部家系図@国宝」を持ち、皇族にも繋がりがある「籠神社」の海部氏では『籠神社の主祭神は天孫降臨をしたニニギの兄「彦火明命」で、極秘伝に上賀茂神社の祭神「賀茂別雷神」と同神であり、御祖「下鴨大神」を併せ祭祀する。』との記述がある。 そして、同じ葵祭があり、神武天皇を導いたという謂われもあり、共通事項が多いのが面白い!(詳細は後述)海部氏=賀茂氏には繋がりがあるということか?そして鴨氏は葛城氏と一時代を過ごしたのか?

 鴨(賀茂)の祭神は出雲とも係わりがあるとも。葛城&出雲@オオクニヌシ&コトシロヌシ=賀茂&鴨&海部と繋がりがあり、裏切りなどがあったということかもしれません。現代でも家族でケンカして会社を分けるのと同じですね。

他の説
下鴨神社・上賀茂神社は天神で、奈良葛城の高鴨神社は国神で別とする説が根強いらしい。
 出雲大社の宮司・千家尊統氏も「天神とは、伊勢、山城の鴨、住吉、出雲国造。国神は大神、大倭、葛木の鴨、出雲 」と記している。

 ここまではカモ氏は連続性を持つ氏族としていたが、実は3氏族ある説があるので、そちらも紹介しておく。というか、3氏族で認識している方が多いカモ。

  1. 山代国/神別/天神
    造化三神のカミムスヒの孫・賀茂建角身命末裔の天神系
    今の下鴨神社と上賀茂神社のカモ氏で「賀茂」表記が多い?

  2. 大田田根子末裔こと地祇系(三輪氏系)
    アジスキタカヒコネ(アジスキタカヒコ)を祀る。今の奈良県御所市にある高鴨神社などが中心で「鴨」表記が多い?
    『日本書紀』には疫病が発生しオオクニヌシの祟りが原因と判る。そこでオオクニヌシの言う通り、末裔のオオタタネコに祀らせると収まったそうな。(葛城王朝滅亡で四国の高知に流れていることも補記しておく)

  3. 開化天皇末裔系
    余ったので「加茂」という表記が多い??
    開化天皇の妃に竹野姫(現・竹野神社)がおり、垂仁天皇は妃に7名いたが5名は丹波・丹後王国である。そして、近江、尾張に影響を与えていることを補記する。

 真実は不明だが、考古学が真実にたどり着く証拠を出すだろう。では、そんな背景を知った上で神社巡りです!!

 一度、じゃらん旅行記で出していますが、公開後に結構な数をこなしたのでNOTEで2.0版出します。以降、じゃらんは捨てて本NOTEをブラッシュアップしていきます。

▼賀茂・鴨・加茂のメイン神社

|-出雲 #出雲大社摂社#阿須伎神社#阿式社 )」★★★★★

 『出雲国造神賀詞』に、オオクニヌシの別名・大穴持命の子「阿遅須伎高孫根命」が「葛城」に行くというくだりがある。このことから賀茂氏は出雲系であると言えるカモ。詳細は出雲大社東側にある出雲大社摂社「阿須伎神社(阿式社)」参照とし、奈良へ飛ぶ!の前に、鳥取を先に続ける。

|-鳥取 #大神山神社奥宮  ★★★★☆

 この神社の宮司は相見家なのだが、アジスキタカヒコネの末裔である。口伝による一子相伝の秘伝があるとか。同じく口伝に、アジスキタカヒコネは高知に一度行って亡くなったとのこと。つまり、国譲りの時にアジスキタカヒコネは居なかった理由がはっきりした??

 高知の足跡は後述しますが、まずは奈良に行きましょう。

|-奈良 #高鴨神社 #鴨都波神社 #葛木御歳神社 #鴨山口神社  オススメ:★★★★☆

 和歌山北部から奈良県南部にかけて、古代の鴨氏の痕跡だと思える遺跡が多い地域らしい。氏名の「カモ」の語源は「伽耶(かや)」説があるようだがそれはスルーします。(遺跡からは朝鮮半島南部にあった伽耶の特徴を持つ遺物が散見されているとも。)
 後述の通り、神様の名前が農業につながるので、最新の稲作を持ち込んだのは間違いないかと思う。

 奈良の上鴨社「高鴨神社」は、全国の賀茂社の総本宮だそうだ。祭神は味耜高彦根命(アジスキタカヒコネ)で、大己貴命の御子神で「迦毛大御神」とも表記されている。この記載・由緒から賀茂氏=出雲出身としている。

 雰囲気のある神社で、葛城氏は雄略天皇時代に苦境に立たされ袂を分け、京都に移動したのが上賀茂・下鴨神社という人がいる。繰り返しになるが、『山城風土記』も葛城から南山城を経由し、現在の下鴨神社・上賀茂神社に移ったと記されているからだろうか。
 最後に、前述の通り、鳥取・大山の神社の宮司・相見家は「阿遅須伎高孫根命」の末裔で、一子相伝の秘伝を持つ。アジスキタカヒコネは、高知に流れて亡くなったそうな。そのため、国譲りでアジスキタカヒコネは出ていないようだ。とすると矛盾が生じるのだが、奈良と高知に分かれたか?出雲から海のルートで高知経由で奈良に移ったのか??

 カモ氏は祭祀系氏族で、修験道の開祖である役行者や、安倍晴明の師・賀茂忠行もカモ氏であり、天体観測や薬学の知識、製鉄や農耕の技術、馬術などにも長じていたそうな。馬術については滋賀の賀茂神社に行けばわかる!(後述します)

私のじゃらん旅行記:◆神社備忘録:全国鴨社◆鴨氏と賀茂氏は同じカモ!?-役行者・鴨長明ets-(https://www.jalan.net/travel-journal/000052050/

奈良の上鴨社で、全国の賀茂社の総本宮だそうだ。祭神は味耜高彦根命で、大己貴命の御子神で迦毛大神とも言われている。『出雲国造神賀詞』に、オオクニヌシの別名・大穴持命の子「阿遅須伎高孫根命」を「葛城」に、・・というくだりがあり古社には間違いない。 雰囲気のある神社で、葛城氏は雄略天皇時代に苦境に立たされ袂を分け、京都に移動したのが、上賀茂・下鴨となったという人もいる。確かに『山城風土記』も葛城から南山城を経由し、現在の下鴨神社・上賀茂神社に移ったと記されている。 最後に、鳥取・大山の神社の宮司は「阿遅須伎高孫根命」の末裔だったはず。

私のじゃらん旅行記:https://www.jalan.net/travel-journal/000052050/

 話を脱線させるが賀茂氏から教育を受けた陰陽師・安倍晴明末裔は京都から福井に逃れていく。詳細は「安倍晴明3社巡り!京都「晴明神社」福井!土御門となり京都から福井へ・・【京都上京シリーズ】【福井シリーズ】」参照で。

|-京都南山城 #岡田鴨神社  オススメ:★★★☆☆

 『釈日本紀』の山城風土記の逸文によると、建角身命は日向の高千穂の峰に天降られた神で、神武東遷の際、熊野から大和への難路を先導した八咫烏・建角身命で、大和平定に当たり数々の偉勲をたてられた。大和平定後、神は葛城の峰にとどまり、ついで山城国岡田賀茂(現在の加茂町・江戸時代までは賀茂村と書く)に移られ、その後に洛北の上賀茂神社・下鴨神社に鎮まる。とあるが厳密には現上賀茂神社の久我神社に腰を下ろしたようだ。

 賀茂氏族の発展を祈り岡田賀茂の地に洛北より賀茂明神を勧請し賀茂氏族の祖神、建角身命が祀られた。当社の御鎮座は、崇神天皇の御代と伝えられている。境内は、元明天皇の岡田離宮の旧跡と伝えられ、村人が離宮の旧跡を保存するためにこの地に天満宮を創祀したと伝えられる。
 和銅天平時代には、現在の木津川(古名-加茂川)は岡田山(流岡)の北側を流れていたが、その後木津川が南側を流れるように変化し、水害が頻繁になり、岡田鴨神社を旧社地より岡田離宮の跡である天満宮の境内に遷された。

|-京都 #下鴨神社 #上賀茂神社  オススメ:★★★★★

→由緒・歴史

ということで、出雲から奈良・葛城、京都・南山城を経て、下鴨神社・上賀茂神社となる。まず初めに両者を箇条書きで説明。

  • 上賀茂神社は通称名で正式には「賀茂別雷神社

  • 下鴨神社も通称名で正式には「賀茂御祖神社

  • 正式名から下鴨神社には上賀茂神社の祖父と母を祀り、息子は上賀茂神社に祀られる

  • 『山城国風土記』には下鴨神社・上賀茂神社とは記していない

プチ系図
オオクニヌシ@出雲大社💛タギリヒメ@宗像大社
 ↓
アジスキタカヒコネ@出雲大社摂社
         @高鴨神社(賀茂大明神)
         @土佐神社
         @貴船神社
(阿遅鉏高日子根神、阿遅志貴高日子根神、阿治志貴高日子根神)
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賀茂建角身命@下鴨神社(八咫烏)💛伊賀古夜姫命@丹波王国
↓ 
玉依日売@下鴨神社💛不詳(松尾大社?向日神社(角宮神社)?乙訓神社)
 ※不詳だが『新撰姓氏録』では火雷別
↓ 
賀茂別雷大神@上賀茂神社  

  • 毎年5月15日に、行列が練り歩く「葵祭(賀茂祭)」は、京都御所を起点に下鴨神社を経て上賀茂神社までの約8kmの道のりをあるくが、賀茂社の祭りである

  • 両社の創建年代は不詳

  • 賀茂建角身命が神武天皇を先導し、奈良・高鴨神社あたりに腰を下ろし、京都南山城を経由し現在の久我神社に移る

  • 上賀茂社は神武天皇の代、神山(こうやま)に降臨(社伝より)

  • 下鴨神社は同じく神武天皇の代、比叡山の西麓・御蔭山に降臨(社伝より)

  • 下鴨神社には「下鴨氏系図」があり、奈良時代後期、平安時代職、鎌倉時代のものがあり、その後がっちゃんこしてまとめた説もあり、この時に奈良の鴨君と京都の鴨県主もがっちゃんこしたとも思ったり

  • 上賀茂神社と下鴨神社の2つから成るが、古い時代には上賀茂神社(賀茂別雷神社)しか存在しなかった

  • 賀茂氏は、代々賀茂神社に奉斎して古代の山城国葛野郡・愛宕郡を支配し、その子孫は上賀茂・下鴨の両神社の祠官家となったといわれている

    1. 葛野郡・愛宕郡は、現在の京都市内

    2. 794年の平安遷都を行う昔から、賀茂氏は京都を拠点にしていた

    3. 平安遷都後は、上賀茂神社・下鴨神社ともに王城鎮護の社として朝廷の崇敬を受けるとともに、山城の国・一之宮となる

    4. 神社で格式が高い「二十二社制」であり、「十六社」にも入る

  • 奈良時代以前より両社をあわせて賀茂社といい、一社ごとのときは、鎮座地の関係で、上賀茂、下鴨と呼称した

    1. 賀茂神社(賀茂別雷神社)から分立されるかたちで下鴨神社(賀茂御祖神社)が誕生した

    2. 下鴨神社の正称を賀茂御祖神社と言うのは、上賀茂神社に祀られている賀茂別雷神の祖(母と祖父)が祀られているため

    3. 河合神社を下社、下鴨神社を中社、上賀茂神社を上社とし、奈良・高鴨神社周辺と同じ構成だった時代があるとも

  • 677年、現在地に社殿を造営されたという(社伝より)

  • 678年には、現在の社殿のもととなる社が造営されたようだ

  • 698年、朝廷が賀茂祭(葵祭)に多くの人が集まり、騎射することを禁じる(『続日本紀』より)

  • 702年、賀茂祭(葵祭)がすでに盛大になされていた(『続日本紀』より)

  • 711年、朝廷は、賀茂祭(葵祭)を山背国司が臨検することを命じる(『続日本紀』より)

  • 726年、朝廷より初めて奉幣

  • 738年、朝廷が賀茂祭(葵祭)に多くの人馬が集まり、乱闘を禁じる(『続日本紀』より)

  • 745年、聖武天皇の不予に奉幣祈祷をする

  • 750年、『続日本後紀』より、「下鴨神社の神田が存在し、財政的基盤を確立していた」とあるため、遅くともそれまでには下鴨神社が創祀されていたとなる

  • 784年、長岡京への遷都にあたって使者を派遣し奉告、奉幣、従二位に叙し、社殿を造営(『続日本紀』より)

  • 793年、桓武天皇が平安遷都を翌年に控え、皇族・壱志濃王らを賀茂社に遣わし、遷都を報告

  • 794年、桓武天皇が平安遷都し、賀茂社へ行幸

  • 以後、皇城鎮護の神として厚く崇敬される

  • 807年、正一位となり、伊勢神宮に次ぐ神社となる!

  • 810年、嵯峨天皇は伊勢神宮の斎宮の制に倣って賀茂斎院の制を始める

  • 初代斎王は、嵯峨天皇第9皇女・有智子内親王

  • 名神大社になり、月次・相嘗・新嘗などの奉幣にあずかり、祈雨・止雨などの奉幣も受けた

  • このころから21年に一度の式年遷宮開始

  • 二十二社の制が整うとともに、上下社一体としてその一社とされた

  • 山城国一宮へ

  • 819年、葵祭は朝廷の行う重要な国家的行事になった

  • 848年、『続日本後紀』には、そこには「賀茂御祖大社禰宜の下鴨県主広雄らが『去る天平勝宝2年(750)に御戸代田(神田)1町が奉充されましたが、これ以降、増えておりません。これでは足りませんので、賀茂別雷神社に準じて1町を加増してください』と訴えた」記している

  • はじめて下鴨神社が記された年で、それまでは上賀茂神社と下鴨神社は1社であったとか

  • 上賀茂神社と下鴨神社を分けたのは、権力者がカモ氏の力を弱体化させた説がある。理由は698年、702年と賀茂祭(葵祭)が人気過ぎて運用管理が大変だったようで、奈良の都も俺たちより民衆人気ありヤバ~と思ったのかも。この後、平安遷都でカモ氏は重宝され伊勢神宮に次ぐ社格になったことも記しておく

  • 889年、賀茂祭(葵祭)とは別に、11月に「賀茂臨時祭」が始まる(帝王編年紀)

  • 927年、延喜式に賀茂社が載る

  • 971年、朝廷の制にならい、摂家が神宝・神馬を献上する「御賀茂詣」が始められる(日本記詣)

  • 1090年、堀河天皇は上下両社に不輸租田各600余町を奉献された

  • 1093年、朝廷の武徳殿で行われていた「競馬会」を上賀茂神社に移す

  • 1467年から1693年まで葵祭は途絶え、明治初年にも一時廃止された

  • 豊臣秀吉は全国統一ののち、社領を没収、かわりに上社に2572石、下社に540石余の朱印領を寄せ、江戸幕府もおよそこれを継承した

  • 1870年、賀茂臨時祭の停止を太政官が命じ、以降廃絶

  • 明治で官幣大社とされ、全国官国幣社の首位に置かれた

  • 鴨長明、賀茂真淵は賀茂氏の社家出身

  • カモの漢字は「鴨川」の鴨と、「賀茂川」の賀茂のとなっているが、その昔、加茂川という字が充てられることもあった。明治以降、行政は支流の高野川との合流点から下流を鴨川、それより上流を賀茂川と表記するようになったとさ

良く纏まっている動画をどうぞ。

→ここまでの纏めと参拝

 『山城国風土記』には、前述の岡田賀茂神社から現在の地に移ったとし、さらに下鴨神社と上賀茂神社の関係を示している。
 「賀茂建角身命@下鴨神社」の子「玉依日売(タマヨリヒメ)」が瀬見の小川で遊んでいると丹塗りの矢が流れてきてそれを拾い床の間に飾っていたところ懐妊し、その子を「賀茂別雷大神」と名付けたそうな。その神が上賀茂神社の神様で(大神神社も似た話があったような・・。)、社伝によると、いったん天に昇った賀茂別雷神が本殿背後にそびえる賀茂山に降臨したことにはじまるとされる。 
 6世紀なかばには欽明天皇の命で賀茂神の祟りを鎮める祭りが行われた。これが「賀茂祭(葵祭)」のはじまりとされ、677年に社殿が造営されたとされる。

 実はその昔、下鴨神社と上賀茂神社は1つだったとする。古い図では神社間は空白で描かれ森であったとする。
 では各神社の詳細は次の私のNOTE参照で。

 下鴨神社拝殿周りには干支ごとに摂社・末社があり、祭神が出雲の神様「オオクニヌシ」の別名たちというのがなかなか面白い。出雲と関係性を残しているのかなとも。
 なお、上賀茂神社の祭神の父は松尾大社(私のNOTE)のオオヤマグイ説があるのだが、秦氏と賀茂氏が京都で婚姻関係を結んだとされる。この賀茂氏と秦氏の関係は伏見稲荷大社(私のNOTE)にもある。秦氏に嫁いだ賀茂氏の姫がおり、日吉大社(私のNOTE)では賀茂氏と秦氏に関係するの社が多い。そして日吉大社の祭神は秦氏・松尾大社の主祭神と三輪氏・大神神社(私のNOTE)の主祭神が祀られており、古代豪族である賀茂氏・秦氏・三輪氏の謎のトライアングルが成立しているのは偶然か??奈良・高鴨神社には大神氏(厳密には神氏)も関係している。

 さて、最後の写真は下鴨神社社殿よりも古くあったとしている「三身の社」です。

下鴨神社 通常非公開!お正月に行きましょう!!
元々は「三身の社」だったようだ。

元宮とも言われており祭神は以下の太字である。5世紀にはあったとか。

プチ系図

賀茂建角身命@下鴨神社(八咫烏)💛伊賀古夜姫命@丹波王国
↓ 
玉依日売@下鴨神社💛不詳(松尾大社?向日神社(角宮神社)?乙訓神社)
 ※不詳だが『新撰姓氏録』では火雷別
↓ 
賀茂別雷大神@上賀茂神社 

→上賀茂・下鴨神社 7つの秘密(某番組のメモ)

  1. 下鴨神社が世界遺産なのは、登録されたのは建物が貴重であることと、「糺の森」が縄文時代から続く原生林で、市街地にある珍しいところだとか

  2. 「八咫烏(ヤタガラス)」になり、神武天皇を宮崎・日向から奈良に導いたとする

  3. 「みたらし団子」は水の神ゆかりの井上社・御手洗川が名前の由来で、賀茂みたらし茶屋のみたらし団子は5個あり、1つ目と4つが離れたいるのは5体を示すとか、後醍醐天皇が参拝したときに水の泡が出て、少しおいて泡が出たためとか諸説ある

  4. 本殿裏に回ると徳川家の家紋がある。下鴨神社社殿は徳川家が復興したからであるのだが、家紋が上下逆になっているのは神様に遠慮したからとか

  5. 上賀茂神社の一の鳥居と二の鳥居の位置は少し向いている方角が違うのだが、二の鳥居は当時の御所から鬼門にあたり、御所を護るためだったとか

  6. 上賀茂神社といえば「立砂」で、「盛り塩」のルーツで、この形は祭神が降臨した神山(こうざん)を表し、松の枝は神山のものを使っている

  7. 上賀茂神社には神馬がおり、日本競馬(くらべうま)という神事がある。競馬発祥の地で、この競馬のジョッキーは賀茂氏のみである(ちなみに馬の生産地は滋賀・賀茂神社である。後述します。)

 「なぜ京都には賀茂神社が2つあるのか?」が気になる方は次のNOTEをどうぞ。

 凄く分かりやすかった記事もどうぞ!

→下鴨神社・上賀茂神社:葵祭

正式には「賀茂祭」である。始まりは5月12日で、下鴨神社は境外にある「御影神社」で「御蔭祭」が行われる。ここで「御生木」と呼ばれる榊を聖別氏して下鴨神社に持ち帰る。上賀茂神社は夜に秘儀「御阿礼神事」が行われ、神職は丸山に出向き、榊を立てて祭神を降臨させる。上賀茂神社の祭神は父を探しに天に飛び立つのだが、祖母・母の下鴨神社の祭神が上賀茂神社の祭神を呼ぶ祭りとも言われているが、下鴨神社創建よりも古いなら、この説は怪しい気がする。

 2024年の大河ドラマ『光る君へ』でも葵祭のことが出ていたが、平安時代から葵祭は大きく分けて3部構成である。

  1. 宮中の儀:天皇が紫宸殿・清涼殿で賀茂社に派遣する勅使に飾り馬を見る

  2. 路頭の儀:勅使と斎王が下鴨神社・上賀茂神社に向かう

  3. 社頭の儀:下鴨神社・上賀茂神社で祝詞をあげ、お祭りのメインディッシュとなる

2022年
2022年

→上賀茂神社⇔下鴨神社交互:葵祭「流鏑馬神事」

 『秦氏本系帳』には下鴨神社・タマヨリヒメの兄弟であるタマヨリヒコが、大災害で飢饉が起き、神の祟りと判断して行ったのが基である。

→上賀茂神社「桃花神事」

→上賀茂神社「正遷宮」

→烏相撲で無病息災

https://www.youtube.com/watch?v=naJwqxJ4as0

→2024年神宮寺が復活!!

→そのほか

【京都】下鴨神社セット!周辺の食事処・カフェなど備忘録|やんまあ@旅行記

★纏め★水占い&水みくじ&氷みくじの神社仏閣|やんまあ

|-京都 #貴船神社  奥宮  オススメ:★★★★★

 実は奥宮の摂社末社に背を向けて鎮座している末社に注目なのである。実は貴船神社は上賀茂神社管轄だった時代があり、水を司る賀茂氏だから管理したのかなと思っている。その一角にオオクニヌシの子で出雲を捨てたアジスキタカヒコネを祀っている社がある。そして、神武天皇の母が行きついた場所から、ここも行くべき神社かと思う。

奈良・高鴨神社と同じく「アジスキタカヒコネ=賀茂大明神(鴨大明神)」としている

 下鴨神社ではスサノオ、オオクニヌシと出雲色が強く、アジスキタカヒコネは居ないなと思っていたが、こういう所で回答されていた。そもそも、記紀では神武天皇の母は淀川を登ってここに来ているわけで、神武天皇を導いたヤタガラスの場所に来たのは偶然か?

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n4635ea0914dc

|-京都 #天橋立 #籠神社   オススメ:★★★★★

 上賀茂神社の祭神と同じという言い伝え、皇族とも繋がりが強く、賀茂氏の有名な神事「葵祭」もある神社。祭神はニニギノミコトの兄「彦火明命(ニギハヤヒ)」。
 ニニギは高千穂に天孫降臨し、ニニギの兄は丹後国の凡海息津嶋に降臨した。そして、ニニギの子孫であるイワレヒコこと神武天皇は大和に来て、ニギハヤヒは神武天皇にヤマトを譲るのだが、この前に八咫烏が大和に導く。これって、久しぶりに親戚が力を合わせたということだったのかも。

 八咫烏は賀茂氏で、この神社の由緒には上賀茂神社の祭神と同一神(別名)と伝え、賀茂祭りこと「葵祭」がここにもあるので、真偽はともかく、神武天皇を導いたとの伝承など共通となっている伝承が多い。祖は神武東征の活躍から「倭宿禰命(やまとすくねのみこと)」という名を頂いたそうだ。
 海部氏系図@国宝によると、倭宿禰命は海部家四代目の祖先にあたるそうだ。そして、この家系図を見ると尾張氏なども入っていることを先に述べておく。前述した奈良の葛城地域の賀茂3社と繋がり、そこに尾張氏もいたということですね。

|-京都 #仁和寺 九所明神社:下鴨神社祭神の妻 オススメ:★★☆☆☆

1212年には存在した仁和寺の鎮守社。祭神は本殿の八幡三神、左殿の賀茂上下明神、日吉神(私のNOTE)、武答神(私のNOTE)、稲荷神(私のNOTE)、右殿の松尾神(私のNOTE)、平野神(私のNOTE)、小日吉神(私のNOTE)、木野島神(私のNOTE)

|-京都 #知恩寺 賀茂神社:下鴨神社/上賀茂神社の神宮寺:★★☆☆☆

  下鴨神社・上賀茂神社の神宮寺「功徳院」が前身!!大神神社と同じく神宮寺は十一面観音が多い。
 最後に、2024年下鴨神社境内に神宮寺跡が出来たことを記しておく。

|-京都 #宮川神社 :下鴨神社祭神の妻 オススメ:★★★★☆

 ヤタガラスこと下鴨神社の祭神・賀茂建角身命の妻・伊賀古夜姫命(イカコヤヒメノミコト)を祀る!!賀茂建角身命の妻と伊賀古夜姫命の間に生まれたのが、タマヨリヒコと下鴨神社祭神・タマヨリヒメ。昔は神野神社でした。

 ちなみにタマヨリヒメの旦那であり、上賀茂神社の父は、松尾大社(私のNOTE)とか向日神社(私のNOTE)とか乙訓神社の話になるが賀茂社のNOTEなので自重する。
 下鴨神社の祈祷の待ち時間での神社の説明では「不明」と言われていた・・。下鴨神社の拝殿本殿左に流れると「三井の社」がある。そこには、賀茂建角身命💛伊賀古夜姫命と娘タマヨリヒメを祀っている。

下鴨神社 通常非公開!お正月に行きましょう!!
(河合神社にもありますけどね)

|-兵庫 #神野神社 :下鴨神社祭神の妻 オススメ:★★★★☆

 未参拝。m(__)m
 2025年に参拝します!!祭神は別雷命・嵯峨天皇。賀茂建角身命の妃・伊賀古夜比売命を祀るという説もある。近世には賀茂大明神と称していた。

|-京都 #向日神社 #角宮神社 #松尾大社 :上賀茂神社の父:★★★★★

 下鴨神社の新年一番祈祷の待ち時間に、神職の方が神社のいわれを話してくれた年がある。記紀の話から、フンフンと心の中で復習をしていたところ、ついに上賀茂神社の祭神の父について語りだした。結論、不明だった。。。

  • 下鴨神社祭神・賀茂建角見命は丹波国神野の祭神・イカコヤヒメと結婚し、タマヨリヒコとタマヨリヒメ@下鴨神社祭神&上賀茂神社母を授かる

  • タマヨリヒメがご懐妊して産まれたのが上賀茂神社・賀茂別雷命で、父は乙訓の神社に祀る「火雷命」とする

  • 延喜式には「乙訓坐火雷神社」が載っているが、火雷神社はない

  • 様々な情報から、向日神社か角宮神社のいずれかを比定されている

  • ただ、向日神社は式内社・向神社に比定されていることから「角」繋がりで「角宮神社」が上賀茂神社の父神という人もいるが、向日神社の祭神が下鴨神社と上賀茂神社とも共通することから決定事項ではないそうな

  • また、向日神社には『向日社略記』では下社と上社があったことが分かっており、いろいろ複雑な歴史を持つ

  • 『山城国風土記』には上賀茂神社の父については述べていないが、『御鎮座記』には向日山に祀ると記されているような

  • そして面白いのが向日神社の社家には祭神は「アメノホアカリ」が蘇秦としており、ここの部分で言うと、賀茂氏・上賀茂神社=海部氏・籠神社=六人部氏・向日神社の由緒繋がりが完成しているのが面白い

 さて、本NOTEでヤタガラス(カモ氏)は奈良の宇陀に一度腰を下ろしたと記しているが、それは向日神社の一説である。同時に、奈良と京都のカモ氏は別という説にも繋がっているようだ。

私のNOTEは次の通り。

▼全国のカモ社

 主要なカモ社を記したところで、それ以外のカモ社をどうぞ!!

|-和歌山 #熊野速玉大社 オススメ:★★★☆☆

 神武東征の話ですね。神武天皇とヤタガラスは奈良に入るのに、今の大阪からではなく、紀伊半島をぐるっと周って、ここ周辺で上陸したようだ。

▽熊野速玉大社境内摂社:八咫烏神社
 熊野速玉大社の八咫烏神社に賀茂社(下鴨神社&上賀茂神社、岡田鴨神社)の祭神が八咫烏として祀られていた。籠神社は神武天皇を大和に導いた神がおり、上賀茂神社の祭神と同一神とする。
(略)
ここに上賀茂神社の祭神がおり、尾張の祖・高倉下命も祀られている。この尾張の祖は籠神社の祭神の末裔なので、3つが繋がった気がする・・。たまたまかもしれないが、神社の楽しみ方の1つかと。そのうち思わぬところから遺跡が出て、考古学が年代を特定し、古書から事実となることがあるかもね。記紀を読んで神様を繋ぐと何かが起こるかも。

私のNOTE

|-奈良 #八咫烏神社  オススメ:★★★★☆

 『続日本紀』の705年に記され古社と記紀からヤタガラスの神社だろう。
 神武天皇を大和に導いた八咫烏はこの地にいたらしく、小さな村のため荒廃する。そこで、同じく神武天皇を大和に導いたとする下鴨神社が再建に乗り出したようで、やはり下鴨神社でも守り続ける必要がある神社なのだろうか。
 ちなみに、奈良・葛城から京都・南山城を経由して京都市内・下鴨神社&上賀茂神社に移動したとするが、実は、南山城の前にここに一度腰を下ろしたとする説がある。この説は、宮崎・鹿児島の高千穂→葛城→宇陀→南山城とヤタガラスの動きを重要視する人が取る説であろう。

 『続日本紀』に「慶雲二年九月丙戌八咫烏社于大倭國宇太郡祭之也」と記述が見える。詳細は宮司の話を聞いてください。

|-大阪 #鴨神社 (大阪府高槻市赤大路町42-3)オススメ:★★☆☆☆

 この神社の由緒書きより『皇統史上も最大の空白期といわれる「神武天皇から第9代開化天皇」までの奈良・葛城王朝を支えた「鴨氏」により、3世紀のころ創建された』とのこと。
 元々鴨族は奈良・葛城山の北部の先住民で、その先祖は地元の「高鴨神社」に祀られている。その鴨氏が、当時未開の地「北摂・摂津の国」へは、大和川や6世紀まであった河内湖⇒淀川を経て進住したものを思われ、「下鴨神社(賀茂御祖神社)」や「上賀茂神社」の創建につながります。』とのこと。ほお~なんか面白い由緒だな。
  奈良・葛城→京都・南山城→京都市内
と前述したが、
  奈良・葛城→大阪・高槻 →京都市内
説が登場する。
 若干、継体天皇にぶら下がったカモ氏がいたんじゃないかと思ってしまうのだが・・・。

|-福井県福井市:賀茂神社(賀茂下上大明神)オススメ:★★★★☆

 平安時代から京都・賀茂神社の支社で、今でも京都へ氏子が訪問している。そして、お守りの宝庫である神社である。安倍晴明の師匠は賀茂氏で、陰陽道の流れが受け継がれているのカモ?

下鴨・上賀茂の両神社の神をまつる賀茂神社は、秘伝書を基にした300種類の守り札授与、自分で吉や凶を書いて夢の実現や恋愛成就などを祈願する「夢おみくじ」「恋おみくじ」設置などを行っている
 賀茂神社氏子の水嶋弘泰さんによると、今回の正式参拝のきっかけは昨年11月、1300年大祭を行った際に両神社宮司代理が神事に参列したことから、お礼参りとして行ったという。
(中略)
 みこたちは、下鴨神社宮司の新木直人さん、上賀茂神社宮司の田中安比呂さんと、それぞれ対面した。同行した水嶋さんによると、2月に行った4年に一度の睦月神事などを引き合いに、両宮司から「『福井での活躍は知っており、今後も神社を盛り上げていってください』と励ましをもらった」という。
 通常は禁止されているという境内でのキャラクター撮影も賀茂神社から両神社への正式参拝ということで「解禁」となり、青空の下、双葉夢叶と双葉恋叶の2人は笑顔で写真に納まっていた。

福井新聞

|-京都府京丹後市 #賀茂神社 :京都府京丹後市網野町木津299)オススメ:★★★☆☆

 温泉!蟹3杯食べに行くぞ!と丹後王国に行くと、メインの道路に鎮座する賀茂社ですね。
 調べると面白いものが出てきそうな雰囲気がある神社。拝殿・本殿左にある山に小さな社がある。どうやって行けるのかわからないのですが、何かがあるのでしょう。

|-京都市右京区京北 #賀茂神社 ( #中江賀茂神社 )オススメ:★★★★☆

 SNSで人気が出た異界の神社。

|-滋賀県野洲市 #御猟野乃杜賀茂神社 (滋賀県近江八幡市加茂町1691)オススメ:★★★★☆

 日本最古の馬の国営牧場に鎮座し、馬の伝統を守り伝えることから、全国随一「馬・競馬・乗馬」守護と仰がれていると共に、「方除・鬼門除・災難除・厄除・八方除」守護、「縁結・子授・安産」守護、交通安全「車」守護等の霊験あらたかな神社として崇敬されている。
 平安時代に入り、宮中で競馬会(競馬の最高のお祭り)が武徳殿の前庭で行われていたのを、京都・上賀茂神社の馬場で行われる(賀茂競馬)ようになると、後白河上皇は皇室の御領地であったこの地でも賀茂競馬が継承され行われるようになったとか。
 日本初の馬の国営牧場!陰陽道「賀茂神社」本殿裏に古代祭祀上!

私のNOTEは次の通り。

▽滋賀県近江八幡 #加茂神社  オススメ:★★★★★

 森に囲まれた場所に出雲神社、加茂神社、長田天満宮社が3社あるな~!と地図かGoogleMAPで見つけた。ある日の神社仏閣巡りで通るので行ってみたら、びっくりした独特の雰囲気と畏怖の念を感じる加茂社である。

私のNOTEは次の通り。

|-滋賀県甲賀市 #加茂神社 (滋賀県甲賀市土山町青土)オススメ:★★★☆☆

 由緒によると京都・加茂社(上賀茂・下鴨神社)から分霊ではなく、前述の岡田鴨神社からの分霊になっているのが面白い。山城風土記では奈良・葛城から京都・下鴨に移動する途中の場所が岡田鴨神社としているが、本当か?怪しいと思っていた。そこからの分霊と記載しているのを見て、やっぱ、岡田鴨神社は、本当に賀茂系ということなんだなと確信した神社である。
 本NOTEを書いていて気づいたが、祭神にニニギいることから籠神社(私のNOTE)も入っているのか?と思ったり。

私のNOTEは次の通り。

|-滋賀県米原市 #加茂神社 (滋賀県米原市米原町醒井58)オススメ:★★☆☆☆

 祭神は別雷神命(わけいかづちのみこと)。
 醒井の加茂神社に湧き出る名水。古くは、「古事記」や「日本書紀」 にも登場し、日本武尊が熱病に倒れた時、体毒を洗い流した霊水とも伝えられている。なぜ、加茂なのかは不明だが、水を司ることができる賀茂氏なので分からなくはない。
私のNOTEは次の通り。

|-兵庫県丹波市 #加茂神社 ×2/鴨神社 ×2

 京都の下鴨神社社領の荘園なので賀茂社多し!!100年前までは、竹田六社ではなく竹田社の祭りだったが、六社になったそうな。いまでも六社の神輿が練り歩く「丹波竹田祭り」の神社巡り!!

竹田六社とは
丹波市市島町竹田地区にある「上加茂神社」、「中加茂神社」、「一宮神社」、「伊都伎神社」、「二宮神社」、「三宮神社」の六社を言います

加茂神社(中竹田/上竹田)

 下鴨神社の主祭神の妻が境内社にも祀られ、上賀茂神社の主祭神の祖母にあたる神は丹波国の伊賀古夜比売命である。亀岡市の宮川神社と丹波市の神野神社のいずれかかと思っていたが、ここにも言い伝えがあるようだ。

由緒より「京都・上賀茂神社の御祭神も当社と同じく賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)で、神社の正式な呼称は賀茂別雷神社という。同下鴨神社は賀茂建角身命(かもたけつむみのみこと)と、娘の玉依媛(比売)命(たまよりひめのみこと)が御祭神である。玉依媛命の子が賀茂別雷命であることから賀茂御祖神社が正式名称。賀茂建角身命は、丹波国の伊賀古夜比売(いかこやひめ)を妻に迎え、玉依日子命(たまよりひこのみこと)と玉依媛命の二人をもうけ、兄の玉依日子命は後に父のあとを継いで賀茂縣主となった。」

鴨神社(梶原/池尾)
鴨神社(梶原/池尾)

 私のNOTEは2025年公開です。
竹田六社「加茂神社(中竹田/上竹田)」下鴨神社社領の荘園なのでカモってる【丹波国(丹波王国)シリーズ/丹波シリーズ】

鴨分雷大神は伊賀古夜比売命「鴨神社(梶原/池尾)」下鴨神社主祭神の妻かも【丹波国(丹波王国)シリーズ/丹波シリーズ】

 公開まで旅行記をどうぞ!『桜巡り!丹波/丹波篠山/福知山へ!!織田家所縁の柏原と八幡丹波篠山城ブラリ◆兵庫⑥京都丹波⑨◆

|-兵庫県たつの #賀茂神社 (室津賀茂神社) オススメ:★★★★★

 歴史的に下鴨神社、上賀茂神社と繋がりが強く、上賀茂神社の室御厨の成立と共に創建され、社殿も重要文化財であるなど素晴らしい神社。平清盛、シーボルトなど有名人も訪れた。高倉上皇が厳島神社御幸の途中に立ち寄り奉幣している。地理的に航海の停泊・宿泊場所だったのだろう。大昔は潮流を見て船で移動だった認識なので、神武天皇が八咫烏とここで休息したのかもしれない。

私のNOTEは次の通り。

|-兵庫県高砂 #加茂神社 (賀茂御祖神社) オススメ:★★★★☆

 平安初期の手水!お賽銭拒否!!石を拝殿内部に投げて💛に入ったら恋愛成就??恋色の小石は1粒持って帰って良いけどお礼巡りしたほうが良いのかも。

私のNOTEは次の通り。

|-和歌山 #加茂神社 オススメ:★★★☆☆

  • 祭神は「別雷神」で、「譽田別命」を配祀する

  • 562年頃、京都賀茂両大明神を雄佐素根が勧請し、下村と梅田の境花渕と称する所に祀る

  • 地名の加茂谷も京都の賀茂信仰が広がるとともにこの地も賀茂社の神領となり生れたとか

  • 異説では、下鴨神社(私のNOTE)より勧請ともいわれ、加茂川上流に鎮座する立神社は上賀茂神社より勧請されたとしている

  • ただ、立神社は奥宮説もある

  • 私見では河合神社、下鴨神社、上賀茂神社(私のNOTE)は1つだった歴史が長いので、バラバラに勧請はないのではないかと思ったり

  • 1090年、実際の創建はこの頃であり、加茂城主であった加茂氏が出自誇張のために欽明天皇時代にまで遡らせたのかも(『賀茂御祖神社略誌』より)

  • 1549年、加茂城主・加茂左近太夫春宗が八幡宮を勧請

  • 古くは賀茂大明神とも賀茂八幡両社とも称し、7ケ村の産土神として祀られた

  • 明治に加茂神社神宮寺の本尊である阿弥陀如来の坐像が下津の長保寺に移される

  • 加茂神社獅子舞は和歌山県の海南市にある加茂神社で毎年10月の第2日曜日に行われる

私のNOTEは次の通り。

|-和歌山 #矢宮神社 :★★☆☆☆

 賀茂社ではないので破線。

  • 『万葉集』に「紀の国の雑賀の浦に出で見れば 海人のともし灯浪の間ゆ見ゆ」という歌からも知ることができる

  • 『新撰姓氏録』には、当社の社家は「矢田部氏」とされ、古くからこの氏族が居住していた可能性が高いそうな

  • 御祭神・賀茂建津之身命(カモタケツヌミノミコト)は、またの名を「八咫烏命」

  • カモタケツヌミの後裔である「矢田部氏」が祖にゆかりある当地を選んで祖を祀ったと伝えられている

  • 593~628年の推古天皇時代に主祭神の子孫が大和国から移ったのが始まり

  • 神武天皇一向を出迎え、内陸の豪族・名草戸畔と戦ったのだろうか
    →宇賀部神社(
    私のNOTE)、且来八幡神社(私のNOTE)、名草神社(私のNOTE)参照

  • 雑賀の守り神で、戦国最強とも謳われた鉄砲集団・雑賀衆も崇敬していたようだ

私のNOTEは次の通りですが2025年6月くらいに公開です。(https://note.com/yanma_travel/n/n4f8fea7e5714)

|-鳥取県倉吉市 #賀茂神社 :★★★☆☆

 上賀茂神社から勧請した神社。
 入って小さな橋を渡り階段を少し登ると右側に古い井戸がある。この井戸は「打吹天女の伝説」にゆかりのある井戸なんだそうです。
 この話を聞くと丹後王国のトヨウケ、羽衣の話に繋がる。そして、この話は前述した「籠神社」に繋がり、この神社の東側には丹後王国と出雲の小競り合いがあったような由緒を持つ神社があることも面白い。

私のNOTEは次の通り。

|-鳥取県八頭町 #賀茂神社 :★★★☆☆

 因幡の白兎といえばオオクニヌシと白兎。実はアマテラスと白兎の話もある。そんな地域の中心となる神社で、経営難の神社の神様を合祀し続ける神社。

私のNOTEは次の通り。

|-香川 #津田石清水神社 /加茂神社:★☆☆☆☆

私のNOTEは次の通り。

|-高知 #土佐神社 :★★★★☆

 高鴨神社の祭神、いや賀茂氏の神様でもある、アジスキタカヒコネが祭神で、高知を開拓した「土佐高賀茂大明神」と称す神社。奈良の葛城は「高鴨」に鎮座し、こちらは「高賀茂」に鎮座する。

 雄略天皇は奈良・葛城に狩りに行くと、自分に瓜二つの人が現れる。正体は葛城の神様で、畏れ多いと服などすべて差し上げて去る。というのが『古事記』に記されているのだが、『日本書紀』では、天皇が葛城の神に勝ってしまう!?この後、葛城王朝はなくなり、高知に逃げたという流れである。一方、前述した鳥取・大神山神社の神職はアジスキタカヒコネの末裔が宮司を代々しているのだが、アジスキタカヒコネは高知に移動したとある。ただ『出雲風土記』では奈良・葛城に遷ったとするので、いろいろと妄想を駆り立てる。シンプルに出雲を捨てて2枝に分かれたと解釈しておこうと思う。

私のNOTEは次の通り。

 この地域は葛城氏の証!?であるヒトコトヌシがあちこちにあり、葛城氏の神社もある。竹林寺などには「一言主地蔵」などもある。アジスキタカヒコネは出雲からここに来て、奈良・葛城が無くなり、親族がいる高知に行こうとなったのかも。

▼2016年までの全国参拝記録

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