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源氏三社!THE御神木と神像「壺井八幡宮」河内源氏のはじまり【南河内シリーズ/大阪ミナミシリーズ】

京都の六孫王神社(私のNOTE)や兵庫・多田神社(私のNOTE)とともに「源氏三社」の一つとされ、河内源氏三代の崇拝の拠点とされている。河内源氏の子孫には、鎌倉幕府を開いた源頼朝がいる。

 かつて「香呂峰」と呼ばれ、1020年に源頼信が河内守に任ぜられ、現在の羽曳野市壺井に館を築く。以後、源頼義、源義家と3代にわたり河内を支配したことが河内源氏の始まりとされる。河内源氏の子孫には源頼朝を始め、足利尊氏、新田義貞、河内守護である畠山氏などの名門を輩出している。

 なお、源義家(八幡太郎義家)が愛用したとされる「黒韋威胴丸@重文」や「天光丸の太刀」や神像などが伝わっている。

変更履歴
2026/01/24:初版


▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時

▼見どころ

→由緒

  • 1020年:源頼信が河内国壺井(旧名・香炉峰)に館を構え、河内源氏の基盤を築く

  • 1051年

    • 河内源氏の勢力を広げるキッカケとなる「前九年の役」

      • 前九年の役は東北地方・安倍一族と朝廷が対立

      • 前任の陸奥守が鎮圧に失敗したため、源頼義が後任として安倍一族と戦いを繰り広げた

  • 1064年

    • 源頼義が前九年の役の凱旋を記念し、京都・石清水八幡宮の神霊を勧請して社殿を造営

    • 香炉峰を「壺井」と改名し、壺井八幡宮を創建

  • 1083年

    • 東北地方で再び争いが勃発

    • 原因は前九年の役で源頼義に味方した清原氏における家督争い

    • 源義家は陸奥守として内紛を鎮める為に介入

  • 1109年

    • 源義家の五男・源義時が夢のお告げにより、頼信・頼義・義家の三代を祀る摂社「壺井権現社」を境内西方に造営

      • 武勇に秀でた頼信は、藤原道長に仕え「道長四天王」の一人に数えられている

      • 道長四天王は、源頼信のほか、平維衡・平致頼・藤原保昌の4人

    • 以後、諸氏の崇廟として整備

  • 室町〜戦国時代:
    たびたび兵火に遭い、一部を残して焼失するも再建や復興を繰り返す。

  • 1701年

    • 徳川綱吉の命により柳沢吉保が本殿を再建

    • 現在の社殿はこの時の建築とされる

  • 境内には樹齢800〜1000年と言われるクスノキの巨木が残り、天然記念物に指定され「大阪みどりの百選」にも選出されている

  • 「壺井水」の井戸は、前九年の役の際、源義家が清水を壺に詰めて持ち帰り、井戸を掘って埋蔵したという故事に由来し現在も保存されている

  • 重要文化財・美術品:

    • 黒韋威胴丸(源義家が愛用した鎧、重要文化財)

    • 天光丸の太刀(銘安綱、重要美術品)

    • 僧形八幡神像など複数の坐像(重要文化財)

→境内へ/壺井水

源氏の末裔だ!!

「香炉峰」から「壺井」へ
「香呂峰」という地名が「壺井」と呼ばれるには一つの逸話にあります。戦いの中で、大干ばつに見まわた頼義軍は、飲み水が不足低下していました。そこで頼義は天に祈り、岸壁に弓を撃つと、そこから清水が噴出。それを見た兵士は大いに士気が上がり、大いに敵を打ち破ったと言われます。凱旋後、清水が入った壺を河内に持ち帰った頼義は、香呂峰の井戸底に納め「壷井」と呼ばれるようになったそうです。

平安時代・前九年の役の時、源頼義の軍が飲料水に苦しんだ折、弓の先で岩をつき崩して得た冷泉により、将士の意気があがったと伝えられている。平定完了して凱旋する際、この冷泉の水を壺に入れて持ち帰り、本拠地の香呂峰の南麓に井戸を掘り、そこに壺を入れ苦戦の記念としたもので、これが「壺井」の地名の起源となったと伝えられている。

→参道/御神木

 大阪みどりの百選にも選ばれています。そのシンボルである楠は幹まわり7mを超える樹齢1000年の巨木。

大阪府指定天然記念物壷井八幡宮のくす/大阪府(おおさかふ)ホームページ [Osaka Prefectural Government]

→拝殿・本殿

 平安時代中期の1020年、源頼信が河内守に任官してこの地に私邸を営め。1064年に「前九年の役」を平定した源頼信の子・頼義が石清水八幡宮(私のNOTE)を私邸の東側に勧請したのが起源とされている。

祭神は次の通り。

  • 主祭神

    • 誉田別尊(応神天皇)・仲哀天皇・神功皇后

  • 配祀

    • 玉織姫・武内宿禰

 神像が展示された『★特別展★「河内源氏と壺井八幡宮」大阪歴史博物館★写真OK★』は次のNOTEです。(2026年1月25日に公開)


 さて、反時計回りに本殿を見ます。

 本殿背後は出雲大社にも通じる岩。

檜皮葺
 壺井人幡宮と壺井権現社が現在のきれいなお姿に復元修理されたのがそれぞれ、平成五年と平成七年です。 一般に檜皮葺きの屋根の耐久年数は三十年と言われており、その年数が早くも過ぎようとしています。
 現在はまだまだ、美しいお姿を維持しておりますが、天災や獣害によりいつ何時屋根が傷んだり社殿が損壊するかは分かりません。その時に備えつつ、また、痛む前の修繕等の事業を始めるにあたり、平成二十七年度に奉賛会を立ち上げ、募財を開始させていただきました。
 早々に多額のご浄財をご寄付頂いた方や、分割でご奉納を頂いている方も多くおられます。この温かい心の籠ったご浄財を預かる身といたしましては、より一層、心を引き締めて取り掛かる必要性を感じております。
有り難いことに機会をいただき、お話しをさせていただく中で、少しずつですが前に進んでいる実感はありますが、昨今の物価上昇を鑑みますと、現状ではまだまだ目標額には遠く及びません。
今後も、皆様のご協力を賜りながら、大神様のご期待に沿えるように頑張つてまいりたいと思いますので、ご支援の程、よろしくお願い申し上げます。

神社のパンフレット

 そのうち長岡天満宮のように特別開帳するのかなと予想する。(【特別拝観】1億円で修繕中「長岡天満宮」平安神宮の社殿特別拝観|やんまあ

→源義家公歌碑

  • 原文:吹く風を なこその関と 思えども 道もせにちる 山桜かな

  • 意味:戦よ、もう起こってくれるな。桜の花が散るように、人の命も散るではないか

→壺井権現社

 壺井権現社は、源義時が河内源氏の祖伸の頼信・頼義・義家の霊をお祀りしたことに始まり。そのため、三社権現とも呼ばれている。戦国時代末までたびたび兵火にかかり、八幡宮の一部を残し焼失しました。1701年に徳川綱吉の命で柳沢吉保が再建したもの。

→帰る


 階段は急なので気を付けてください。階段の幅も狭めです。

▽宝物

  • 木造僧形八幡神及諸神坐像@重文(5軀)<頼円・実円作>

  • 黒韋威胴丸 壺袖付@重文

こちらに宝物の写真があります。

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

源氏ゆかりの神社仏閣と夏の味覚!!羽曳野と富田林[大阪ミナミ⑳]|やんまあ@旅行記

旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展

▽大阪歴史博物館の特別企画展「河内源氏と壺井人幡官」

  • 期間:2026年1月16日~2月15日

  • 「八幡太郎」源義家や源頼朝、足利尊氏らを輩出し、「武士の世」の礎を築いた河内源氏一族。彼らの祖・源頼信が拠点を構えた河内国石川郡壺井(現大阪府羽曳野市壺井)の地、そして河内源氏の守護神として長らく武家の崇敬を受けた壺井人幡官の歴史を、近年修復を終えた「木造僧形人幡神及諸神坐像」(国指定重要文化財。写真)をはじめとする、壺井人幡宮所蔵の社宝を中心に紹介します。

  • 現在宝物を調査検討しながら、どのような展示にするかを博物館と調整しています。ARを使った展示や動画による広報、各種講演会(官司もお話し予定です)等も検討いただいています。是非お楽しみにお待ち下さい。

阪歴史博物館の特別企画展「河内源氏と壺井人幡官」
https://www.osakamushis.jp/news/2025/schedule_2025.pdf



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