見出し画像

「住吉神社/青賀原神社」【南河内シリーズ/大阪ミナミシリーズ】

摂津の総本社である住吉大社と深い繋がりを持つ、河内長野の古社・住吉神社。創建は神功皇后に遡ると伝わり、三韓征伐の祈願と凱旋の物語を今に伝える由緒正しき一社である。境内には八百万の神々の名を刻んだ石柱が並び、かつての神仏習合の名残も色濃い。さらに、明治期には青賀原神社が合祀され、丹生・高野・龍神信仰も重なり合う、重層的な信仰空間が形成されている。

  • 住吉神社

    • 住吉大社と繋がりが強い古社

    • 本殿の外周には様々な神様の名を記した石柱などが面白い

  • 青賀原神社

    • 1907年、青賀原神社は住吉神社に合祀された

    • 祭神は国津神(久爾津神・九頭神)、高龗神、保食神だったそうな

    • 現在は丹生大明神、高野大明神、久爾津神、稲荷大明神

変更履歴
2026/04/17:初版


▼住吉神社

  • 公式HP:

  • アクセス:大阪府河内長野市小山田町448
         (大阪府河内長野市小山田町453)

  • 祭神:

    • 住吉大神

    • 息長足姫命(神功皇后):歴史上の女傑で、応神天皇の母

    • 武内宿禰

→由緒

  • 住吉神社は、その創建が神功皇后に遡ると伝えられている

  • 神功皇后が三韓征伐の時代に建立した古社

    • 211年、神功皇后が三韓征伐の時、深く三神に祈願し、凱旋の後、摂津住吉に祀った。

    • 252年、神功皇后が、和泉国の逆瀬川の上に謄陀船という地に到着し、河内国の行幸が始まり、弓を射て、この矢の落ちた地を定めた

    • その時、国境沿いに名主・興三五郎が迎え、高天原(現在地の一小丘)に奉斎した

  • 現在も、毎年1月中の卯の日に弓を射る神事があるが、この神功皇后の射弓の故事にちなむもの

  • 『日本書紀』仲哀天皇の条では「9年、仲哀天皇が筑紫香椎宮(私のNOTE)で崩御」し「斎宮を小山田邑に造らせられた」とある

  • さらに、神功皇后の条では「摂政2年冬11月、仲哀天皇を河内国長野陵に葬った」とある

  • 本殿は1813年に流造様式で再建され、現在に至る

  • この本殿は江戸時代後期の建築様式をよく伝える流造の傑作として評価されている

  • 江戸時代の書物には五社大明神の御祭神は薬師・阿弥陀・大日・観音・地蔵とし、神仏習合の色が濃い地だったのだろう

  • 境内には神宮寺があったようで、鐘楼が残っている

  • 御祭神は、底筒男命・中筒男命・表筒男命の住吉大神で、氣長足姫命・武内宿禰・國津神・高龗神を合祀したようだ

  • かつては、住吉大明神をはじめ、五社大明神、豊浦神社、清崎神社などとも呼ばれていたようで、明治の初めに今の住吉神社に改められた

→境内へ

→拝殿・本殿

住吉神社の鎮座地は、かつての河内国錦部郡小山田村で、明治22年(1889年)に下里村、天野山村の区域と合わせて天野村が発足。明治29年(1896年)に所属郡が南河内郡に変更されます。この当時の住所は南河内郡天野村大字小山田字尾上山。天野村は昭和15年(1940年)に長野町、千代田村と合併し、改めて発足した長野町の一部となります。昭和29年(1954年)に長野町が三日市村、高向村、天見村、加賀田村、川上村と合併して現在の河内長野市が発足しました。 現在の氏地は、かつての小山田村(現小山田町、荘園町)、下里村(現下里町、緑ヶ丘)、天野村(天野町)、与通(よつ。現松ヶ丘町、楠町周辺)の区域となっています。ちなみに、与通という地名は弘法大師ゆかりの地名で、「四鉤樟(よつるくすのき)」や「四つ樟」などが変化して「与通」になったようです。古い地図では「四津」、「四通」、「代津」、「與津」、「與通」などの表記も見られます。後に町名変更されましたが、今も盛松寺の通称「與通大師(よつだいし)」などにその名を残しています。

 塀の内側の本殿前、向かって右側には天神社(菅原神社)と戎神社(事代神社)の社が鎮座する。

→本殿周辺の石標

 全部で「八百萬社」「四社大明神」「天照皇大神宮」「春日大明神」「粟嶋大明神」「稲荷大明神」「多賀大明神」あるようですが、何個か抜けていますね。

四柱大明神
四柱大明神
天照皇太神宮
春日大明神
稲荷大明神

→摂社・末社

 恵比寿さんは耳が悪い!どんどん叩くところ多いっすよねwwまた纏めようか。本宮は島根ですね。

 で次は諏訪案ですけど・・・オオクニヌシの息子たちで、国譲りの主役級の神様だ・・・。なんで??

→諏訪社

 諏訪の本宮は長野ですね。あっ・・ここも河内長野だ。そういうことか!?


→馬駆神事/高天原神社

 毎年10月第2月曜日の体育の日には、住吉神社で「馬駆神事」が執り行われる。この神事は、神功皇后の征韓を祝賀するために始められたとされ、 伝統的な裸馬の競走が行われる。氏子が奉納された馬の手綱を取り、約200mの馬場を駆け抜ける。

馬場の途中、右側(東側)に「高天原神社」が西向きに鎮座。神功皇后が滞在したという高天原とはこの辺りを指すのでしょうか?

馬駆神事
 地域の氏地である旧小山田村、下里村、天野村、与通(現在の小山田町、下里町、天野町)を中心に行われます。 この神事は地域の伝統を受け継ぐ重要な行事であり、神社に集う多くの参拝者を魅了しています。

→メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼青賀原神社

  • 公式HP:

  • アクセス:大阪府河内長野市下里町933

  • 祭神:

    • 丹生大明神

    • 高野大明神

    • 久爾津神

    • 稲荷大明神

→由緒

  • 当社の祭神は、頭九つの大蛇から空海を助けた「丹生大明神」

  • 言い伝えでは、高野明神が丹生大明神に化身して出現し、大蛇を退治したと伝えられ、そのため高野明神もまた祭神として祀られている

  • 和歌山県かつらぎ町の「天野の里」より勧請されたと伝わることから丹生都比売神社(私のNOTE)からの勧請とも

  • 784年か1184年、創建

  • 1180年、)のことと。どちらが正しいのでしょうか。奈良時代の時点では

  • 現在の本殿は江戸初期に造営されたもの

  • 前述の通り、住吉神社に合祀された歴史がある

→メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

大阪のネモフィラ×藤井寺&河内長野の神社仏閣/京都・松尾大社の松尾祭★大阪ミナミ⑱京都西京⑧★|やんまあ@旅行記


大阪旅行記


▼セットで行くところ


▼仏像展



#住吉神社
#住吉大社
#神功皇后
#武内宿禰
#住吉三神
#河内長野
#大阪神社
#古社巡り
#神社好きと繋がりたい
#神仏習合
#八百万の神
#石柱巡り
#青賀原神社
#丹生大明神
#高野大明神
#空海伝説
#九頭龍伝説
#馬駆神事
#伝統神事
#歴史好き
#神社仏閣巡り
#関西神社
#御朱印巡り
#わたしの旅行記
#一度は行きたいあの場所
#神社仏閣
#神社
#神社巡り
#やんまあ
#やんまあ旅行記
#旅行記
#やんまあ神社仏閣
#人文学
#大阪
#大阪ミナミシリーズ
#河内長野シリーズ
#旅行・おでかけ

いいなと思ったら応援しよう!