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継体天皇の子・安閑天皇「安閑神社」神代文字は何を語るのか【滋賀湖西シリーズ/大津シリーズ/継体天皇シリーズ】

滋賀県高島市安曇川町にひっそりと鎮座する安閑神社は、知る人ぞ知る古代史ミステリーのスポットです。継体天皇の皇子を祀るこの神社の境内には、表面に不可解な幾何学模様が刻まれた巨石があり、古くから「神代文字」の碑として語り継がれてきました。漢字伝来以前の失われた文字なのか、それとも神事における祭祀の痕跡なのか。その正体は定かではありませんが、見る者の想像力を掻き立てる不思議な引力を持っています。さらに境内には、鎌倉時代の『古今著聞集』に登場する怪力の女性、大井子の伝説が残る「力石」も安置されており、民俗学的にも興味深い伝承が残されています。本記事では、静寂な森の中で太古のロマンを放つ石碑の謎と、地域に根付く信仰の歴史を紐解きながら、安閑神社の奥深い魅力に迫ります。

安閑神社(あんかんじんじゃ)の境内には、俗に「神代文字」と伝えられている1基の碑(高さ1m、幅1.4m)が建っており、表面には絵とも文字とも判別しにくい陰刻があります。旧産所村(現、安曇川町田中馬場地区)にあった三尾神社(現、田中神社摂社安田社)に伝えられた「秀真伝」(ホツマツタエ)の謎の超古代史の記号文字に類似した点があるように思われ、不可解な町の歴史がいにしえのロマンヘいざないます。

安閑神社 | びわ湖高島観光ガイド

 もし継体天皇は大陸と繋がりが強く、鉄の輸出などで中央のヤマトから天皇になって!と言われたとしたら、大陸と今でいう絵文字(神代文字)で会話したということはないだろうか?

安閑神社·神代文字碑(あんかんじんじゃ·じんだいもじひ)
安曇川町三尾里に鎮座する神社で、祭神は継体天皇の子の安閑天皇。この神社境内に高さ1m幅1.4mの花崗岩の表面に絵とも文字とも判別のつかないものが刻まれている「神代文字」と伝えられる碑が建っています。古くから「神代文字の石」として伝承されてきました。

<校正6>高島今昔旅

変更履歴


▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時

  • 公式HP:

  • アクセス:〒520-1215 滋賀県高島市安曇川町三尾里

  • 祭神:安閑天皇

安閑天皇
 
越前時代の継体大王の二人の皇子、安閑と宣化兄弟が、それぞれ第27代・第28代の大王に就きましたが、兄が安閑天皇。
 当地で生まれた継体天皇の子ではありますが、三尾氏の女性である若比売や倭媛との間にできた子ではなく、尾張氏の女・目子媛との間にできた長子です。

▼見どころ

→由緒

→駐車場から境内へ

→境内

→「神代文字の石」と「力石」

 神代石は絵とも文字とも判別しにくい陰刻がされた石で、古墳の一部を橋にしていたものとも伝わります。漢字が渡来する前から日本にあった神代文字と称されるものです。

鎌倉時代の説話集「古今著聞集」に「越前の国(福井県)から都へ相撲の大会へ行く一人の武士が、この村(石橋村)を通りかかり「大井子」という美しい村娘に出会つた。この娘は、大変な力持ちで、武士はこの村に止まり力を付けて都へ上がりお陰で、相'撲大会に勝つた」と誌るされている。また、この石は「この村で田の水争いがあつたとき、この娘は、夜の間にこの石で水ロを塞ぎ、水争いを止めた石」といわれる。おとなが大勢で持ち上げられない大きな石を持ち上げた力持ちの娘。当時の水争いの激しさを伝える遺跡である。
字とも絵とも判別のつかない陰刻がされた石である。元は知らないで橋に使われていたというが、一説には古墳の一部ではなかつたか、とも言われる。この陰刻の解明は未だなされていないが、この種の記号文字は神代文字と呼ばれ、不思議な歴史の貴重な遺産である。

滋賀県高島市に鎮座する安閑神社は、第27代安閑天皇を祀る古社で、周囲には古墳や祭祀遺跡が点在し、古代高島の中心にふさわしい雰囲気をたたえている。その境内でひときわ目を引くのが、巨石に刻まれた線刻で、地元では俗に「神代文字」と呼ばれてきた存在である。神代文字とは、記紀以前の日本に存在したとされる独自の古代文字を指す言葉だが、学術的にはその存在が全面的に肯定されているわけではなく、多くは後世の創作とされる。しかし、高島の人々はこの石刻を「太古の痕跡」と敬意を込めて受け継いできた。

安閑神社の神代文字は、境内の小高い丘に残る自然石の表面に刻まれており、縦横の直線や三角形の組み合わせが特徴的だ。いわゆる阿比留草文字(あびるそうもじ)や、出雲系神代文字とされる字体に似ているようにも見えるが、厳密に一致するものは確認できない。地元の古老は「神様に捧げた印」と語り、古い民俗信仰の中で象徴的な意味を持っていた可能性がある。また、線刻そのものが非常に風化していることから、江戸期よりは古い、少なくとも近世より前に刻まれた痕跡であることはほぼ確実と考えられる。

高島は白鳳期から奈良時代にかけて古代寺院が多く、海津・鴨・安曇川など各地の祭祀遺跡から古代の石製遺物が見つかっていることでも知られる。つまり、文字であれ記号であれ、石に“意味を刻む”文化が早くから根づいていた地域である。その土壌の中で、安閑神社の石刻は祭祀行為の一部であった可能性が高い。神々を呼び出すための「依り代」の印であったのか、村の守護を祈る象徴だったのか、詳細は分からない。しかし、いずれにせよ人々が神聖な場にしるしを刻んだという事実は動かない。

一方で、学術的には「古代文字」と断定するには慎重な検証が必要で、文字というよりは紋様・記号・印章に近いとの見方もある。祭祀用の「刻印石」「呪具石」が日本各地の縄文・弥生遺跡から出土していることを考えると、文字に至る前段階の象徴記号と見ることもできる。つまり、“日本に固有の文字があった”というロマンよりも、「古代高島の人々が神に祈るため、石にしるしを刻んだ」という生活と信仰の痕跡として捉える方が現実的である。

とはいえ、安閑神社の神代文字を前にすると、単なる記号として片づけるには惜しい魅力を感じる。石の前に立つと、静かな森の空気の中で、太古から続く祈りの時間に触れているような不思議さがある。高島の地は、古代の水運・交易の要衝であり、多様な文化が交差してきた土地である。こうした石刻が残った背景には、異なる文化の層が折り重なるような歴史の積み重なりがあったのだろう。

安閑神社の神代文字は、解読すべき“古代文字”というより、過去の人々が祈りの形として残した“痕跡”である。その意味を想像しながら歩くと、神社はより豊かな物語を持った場所として立ち上がってくる。神代文字は、今もなお静かに当時の息遣いを伝えているのである。

 力石は鎌倉時代の古今著聞集に記されているもので、高島郡に住む大井子の伝承を伝えます。美人で力持ちの大井子はこの力石を持ち上げて水田の用水の流れを変えて水でもめる村人を反省させましたとさ・・・。

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

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