織姫を導いた祭神「猪名津彦神社」【大阪キタシリーズ/北摂シリーズ/大阪北摂シリーズ/】
世の中的にも『「伊居太神社」と「呉服神社」(私のNOTE)』が有名で、池田市公式HPと観光協会ではプラスで「星の宮(明星太神宮)(私のNOTE)」も紹介されているが、ここも注目すべき神社である!!
織姫伝承の場所は池田市観光協会と池田市のPDFがオススメ。織姫コースがあるようです。
変更履歴
2025/11/11:初版
▼HP/アクセス
鎮座地:大阪府池田市宇保町6
鎮座地:大阪府池田市宇保町6−18
▼祭神・本尊と脇時
阿知使主(アチノオミ)
『日本書紀』には、秋に部下17県の人達を連れて我国に帰化し、大和国桧隈(ひのくま)に住居を与えられ、東漢氏(やまとのあやうじ)の祖となったとされる都加使主(ツカノオミ):阿知使主の息子
漫画で超簡単に知りましょうかね。大阪府豊中・池田の漫画と、コミュニティ新聞をどうぞ。

http://ikeda-bunken.com/bwp/wp-content/uploads/pdf/kureha/kure02.pdf
▼見どころ




社殿は円墳の上に鎮座し、阿知使主、都加使主の墓所であった
一度盗掘に遭うが遺骨が残存し、伊居太神社の神主がそれを持ち帰り同社内に埋葬した
1958年、再度、猪名津彦神社に遷座された
池田市立呉服小学校に詳しい情報がありますが、勝尾寺(私のNOTE)が出てくるのは面白い。
宇保町6丁目に猪名津彦神社があります。本殿横の巨石が物語るように、ここは元古墳であり、宇保猪名津彦神社古墳と呼ばれています。現在の社殿は昭和33(1958)年に再建されたものです。
御祭神は猪名津彦といって、阿智使主、都加使主親子です。この親子は『日本書紀』によれば、応神天皇の時代に呉国からクレハトリ、アヤハトリの織姫を日本に連れて帰ったことが記されています。
さて、現在の宇保町とその周辺一帯は、平安時代の末、呉庭荘と呼ばれていた荘園があり ました。平安時代中期の河内の国土師から坂上正任がこの地にやってきて開発を進めたそうです。
箕面市にある勝尾寺には、承元2(1208)年の「在豊嶋北条宇保村…」と書かれた土地の売買に関する古文書が残っています。このことから鎌倉時代の初めには人々が居住する宇保村があったことが分かります。
『池田市史』第二巻で紹介されている慶長国絵図を見ると、宇保村の所は野入村となっています。元禄10(1697)年の池田村絵図を見ると、宇保と書かれ、田畑の中に30軒ほどの家が描かれています。現在、宇保町には『野入』という姓の家があります。近世初期の村名であり大変興味深いです。
https://ikeda.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=2710030&frame=kouku
伊居太神社に鎮座する「猪名津彦神社(私のNOTE)」には細かい説明があります。レッツ整合性チェックは次の写真になります。

当猪名津彦神社は、後漢の孝献皇帝(霊帝)の聖裔阿智王都加王の両人を 祀る所で延喜式に云う摂津國豊島郡鎮座の神社である。 日本書記に応神天皇20年秋9月 阿智使主其子都加使主は部下17県の人 達を連れて我國に渡来し大和國桧隈に住吉を興へられ同天皇37年春2月 両人を勅使として呉國に縫工女を求めしめんとされ呉王より兄媛弟媛鳥沙 架女幾利区珥女の四婦女を興へられ同41年春2月阿智使主等呉國より筑 紫に帰省したが胸形大神の乞に兄媛を差し上げ他の三婦女を伴い摂津國 武庫にいたる時に天皇崩御の報に接し献するを得ず後仁徳天皇は居館を 豊島郡為那野に造営し羅綾織維の業を専らにされその功績により此の地 を呉服と名付け反正天皇は勅命を持って送り名をされ猪名津彦大明神とし 之が倭漢直の祖である。 降って允恭天皇の時その子孫忘奴手直に阪上姓を弟奴留間直にはれ奉姓賜う文化年間に古墳の盗堀がはやり阿智使主の古墳と傳えられた所も其の例にもれず行はれ此の所より珠塗の棺の破片人骨の若干を持ち帰へり猪 名津彦大明神跡に埋葬し御霊は現地に御祀りしものであります。右文は、伊居太神社の御文章を書写したのもであります。 -




磐座なのか?古墳の何かを隠すための蓋なのか?などは不明。


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